福山空襲

 

昭和20年 6月からはじまった福山の空襲では市街地の約80%が焼土と化し、市民の81%

が被害を被った。

死者354人、重軽傷者864人。

 

第50回原爆、福山戦災死没者慰霊式 パンフレットより

『母子三人像にまつわる悲しい話』

8月9日の朝、火照るように暑い市中に入り、住吉町の水田の中に母子3人の焼死体を見つけました。

母親はうつぶせになり、胸にすがりついた赤ちゃんを片手でしっかり抱きよせ、まるで乳を飲ませてい

るようなかっこうでした。

そしてその母親の足を6才くらいの子が両手でしっかりつかまえて、ひざまずいていました。

着物などは焼けてしまって、遺体はまるでろう人形のようでした。

水田の中に入っていれば水があるので助かると思ったのでしょうが、稲は焼け水は枯れて母子はむし

焼きになってしまったのです。

 

中央公園

広島県福山市

    

母子三人像

碑文

第二次世界大戦の終焉を告げんとする昭和二十年八月八日夜 米軍機の焼夷弾投下により

市街地は一瞬にして火の海と化した

今ふるさとよみがえり生成発展をつづけるとき

ここに尊い犠牲となられし御霊の冥福を祈り平和を祈念するため慰霊の像を建立し永く後世

に伝える

昭和四十七年三月建立  福山市長 立石定夫

 

  

母子三人像

 

  

母子三人像

 

原爆死没者慰霊碑

 

都市空襲

更新日:2008/03/02