福岡大空襲

 

昭和20年 6月19日、マリアナ基地を出発したB29重爆撃機221機は、有明海から背振山地を

越えて西南部方面から福岡市内に侵入した。

午後11時過ぎから市内の東部ならびに西部地区に焼夷弾が投下され、発生した火災を目標にし

て後続機が中心部に投弾した。全市は火の海に包まれ約二時間にわたる攻撃で福岡市街は焦土

と化し、上下水道の漏水率 60%、電気・ガスなどの公共施設も甚大な被害を受けた。

焼失戸数 10,738戸、罹災者 50,243人、死者 691人、行方不明235人、負傷者 530人。

 

冷泉公園

福岡県福岡市博多区

戦災記念碑

碑文

戦災死没者の慰霊と平和への祈りをこめて

昭和四十八年六月十九日建立

 

沖濱神社

福岡県福岡市博多区

戦災地蔵尊

 

黒田神社

福岡県福岡市博多区

戦災地蔵尊

 

恵比須神社

福岡県福岡市博多区

戦災地蔵菩薩

碑文

昭和二十年六月十九日空襲に依り当町内戦災殉難者の霊を慰め 茲に地蔵菩薩を建立する

昭和二十六年五月  一の組婦人会員一同

 

西方寺

福岡県福岡市博多区

戦災地蔵尊

由来

古門戸地区の無縁仏を祀るために建立されている。

昭和二十五年建立

 

簀子公園

福岡県福岡市中央区

簀子戦災死者供養塔

碑文

昭和二十年六月十九日夜 大空襲に依り簀子校区内にて百七十六名戦災犠牲となる

依ってここに校区内生存者有志相計り供養塔を建立す

昭和二十二年六月十九日

 

円応寺

福岡県福岡市中央区

無縁仏地蔵尊

由来

簀子校区の戦災死者で引き取り手の無かった遺体が円応寺の境内で荼毘に付され、

無縁仏地蔵尊に納められ供養されている。

 

中州川端

福岡県福岡市中央区

川端飢人地蔵尊

由来

享保飢饉の時の死者を祀る飢人地蔵だが、第二次世界大戦の戦死者や空襲によね戦災死者も

合わせて供養するようになった。地蔵尊の後ろの卒塔婆にその旨が記されている。

 

栄昌寺

福岡県福岡市西区

じゅうご地蔵

由来

栄昌寺ははかつて博多区下川端町に建立されていたが、昭和20年6月19日の空襲で焼失、

前々御住職一家五人も避難先の十五銀行の地下室で亡くなられた。

戦後、寺は再建され十五銀行の地下室で亡くなられた63名を慰霊する「じゅうご地蔵」が祀ら

れた。平成14年に栄昌寺は当地に移転した。

「じゅうご地蔵」の名前には、十五銀行・銃後・自由御地蔵の三つの言葉がかけられている。

 

宗玖寺

福岡県福岡市東区

洲崎地蔵尊

縁起

大東亜戦争の悲報頻りに至る昭和二十年六月十九日午前九時 突如として福岡市は

米軍機B29の空襲をうけ一瞬にして火の海と化したが 其の中でも最も被害が甚大で

あった此の周辺を 懐かしい肉親や近隣の人々の尊い御霊が数多く失われた

私共は今是等の不幸な方々の上に深く同情を致し 併せて当町出身の戦没英霊をも

迎え其の数五十有余 ここに供養の碑を建立し名づけて洲崎地蔵尊と呼び 是等の尊

い犠牲をして無意義ならしめぬよう こころしてその御霊を慰めると共に 人類永遠の

平和を郷土守護の礎たれとの祈りをこむるものである

請い願わくば有縁無縁行きずりの人よ 一掬の涙をもって合掌を手向け賜わんことを

昭和二十五年六月  上洲崎町有志建立

 

由来

洲崎地蔵尊はかつて被災地である博多区洲崎町に建立されていたが、区画整理に伴い

宗玖寺に移された。

 

崇福寺

福岡県福岡市東区

戦災地蔵

 

戦災地蔵

 

都市空襲

更新日:2017/04/29