銚子空襲

 

銚子市は、昭和20年 3月10日、7月19日〜20日、8月 1日の三回にかけ、焼夷弾による無差別

攻撃を受け多くの市民の命が奪われた。

 

3月10日

東京大空襲の帰途、米軍機が余った焼夷弾や爆弾を銚子に落としていったと思われる。

B29は照明弾を投下しながら銚子の中心市街地に大量の焼夷弾を投下し、折からの強風にあおられ

火災は夜明けまで猛威をふるったという。

死者47人、負傷者163人、焼失家屋1000余戸と記録されている。

 

7月19日

B29爆撃機 91機の編隊によって約3000発の焼夷弾と150発の爆弾が投下された。

死者337名、負傷者約1,000名、焼失家屋4,000余戸。

 

 1

規模は小さいものの内浜町周辺と一部前宿町にもB29による三度目の空襲があった。

死者4名、負傷者30数名、焼失家屋350戸。

 

市立体育館 隣

千葉県銚子市

嗚呼戦災死者之碑

碑文

第二次世界大戦の末期 昭和二十年三月九日及び七月二十日 八月一日の三回に亘り 銚子市

敵機の空襲を受けました 其の際我等が同胞三百三十七名は 悲惨にも萬感の思ひをこめて戦災死

致しました

嗚呼 実に痛恨の限りであります 時あたかも本年は戦災死後三十三回忌に当たり 鎮魂の願いを

こめてここに慰霊碑を建立し 以て諸霊の御冥福を心より祈りあげます

昭和五十二年八月十五日

戦災死者慰霊碑建設委員会 代表 美呂津太兵衛書 長塚由松 他有志一同

題字 銚子市長 嶋田 隆書

 

    忠魂碑                忠霊塔               嗚呼戦災死者之碑

 

都市空襲

更新日:2009/06/14