熱田空襲

 

昭和20年 6月 9日、午前08時34分空襲警報発令、愛知時計電機に出勤したばかりの従業員や

動員学徒2,000余人は避難したが、やがて警報は解除され工場内に戻った。

09時30分、再び空襲警報発令と同時に米軍B29爆撃機47機から1トン爆弾を含む総計278トン

の集中攻撃を受けた。

わずか10分程の間に1,000名余が爆死、全体では2,000名以上の死者が出た。

 

堀川護岸

愛知県名古屋市熱田区

愛知時計電機(旧:愛知航空機)と堀川

 

被爆堤防

 

  

被爆堤防 に残る銃撃の弾痕                           旧:愛知航空機(工場)の鉄骨

碑文

この護岸は、昭和八年に築造され、平成四年度から実施したマイタウン・マイリバー整備

事業による新たな護岸の設置にあたり撤去したものの一部である。護岸表面に見られる

くぼみは、昭和二十年六月九日のいわゆる「熱田空襲」の爆撃によりできたものである。

平成八年三月  名古屋市

 

愛知時計電機

愛知県名古屋市熱田区

  

慰霊地蔵尊

碑文

過ぐる第二次世界大戦当時当愛知時計電機株式会社には従業員並ニ動員学徒を併せ

二万二千名就業せり

時に昭和二十年六月九日午前九時三十分より同四十分に至る約十分間の空襲により

忽ちにして工場一帯は当社関係死者千百四十五名重軽傷者三千名更に地方人百名の

大修羅場と化せり

嗚呼惨しいかな 茲に終戦後五年船方工場再建せらるるに当り同志相謀り随喜の

写経を埋蔵し地蔵尊一体を建立し以って右殉国諸霊魂の冥福を祈らる各霊位願くは

此の功徳により仏果菩提を証得せられんことを

昭和二十四年六月九日  覚王山主 勅賜禅師瓏仙託

 

慰霊地蔵尊

碑文

為第二次大戦非戦闘員横死者諸霊之追善菩提

昭和二十年六月九日此の白鳥橋周辺は米軍の爆撃により無量数百名の一般人命を失い よって

将来の平和と安定を祈り被爆死者等の冥福を謹みて祈願するものである

昭和三十三年八月吉祥日  広小路徳風会 一般有志者

 

  

慰霊地蔵尊

 

祐誓寺

愛知県名古屋市熱田区

愛知航空機殉職者の碑

 

千年八幡神社

愛知県名古屋市熱田区

慰霊の碑(右)

碑文

第二次世界大戦終結眞近かの昭和二十年六月九日 当千年を襲った大空襲により罪なき住民

数十名 悲惨にも爆死せらる 戦争の残酷さを憎み永遠の平和を念願しこの人柱となられた

方々の冥福を祈りつつここに碑を建つ

昭和五十三年八月十五日

 

都市空襲

更新日:2008/03/02