海軍大尉 小灘利春

 

回天一型靖國神社へ帰る

34年ぶり、関係者の念願かなう

昭和54年 9月 1日

オールネイビー

 

回天会会長の小灘利春さんは回天帰国の喜びと、その経緯について次のように語った。

ハワイの米陸軍博物館から回天があるとの手紙が靖国神社についたのは昨年の二月二十六日のことだ。

同館の館長、ウォーレン・セスラーさんの夫人、ウォーレン・ミチヨさん(四三)が日本人であったのが好運だったと思う。

夫人が直接、手紙を書いてこられたので靖國神社に来たのは日本文だった。

おそらく博物館にあった回天は、処分寸前だったのかも知れない。

しかし、文面ではパナマで捕獲したとあるが、回天の歴史を調べて見てもパナマに出撃したという事実はない。

そこで本物の回天なのかどうか、という疑問も生じたわけである。

 

回天が有ったというニュースは本当に喜ばしいものだが、しかし一方では本物か、あるいはニセ物か不安だった。

そこでハワイにあるという「回天」の詳しいデーターを送るよう手紙を出した。

その返事として一枚の写真が送られてきたが、これは倉庫に眠る回天ではなくハワイにある潜水艦博物館に展示してある

回天四型という、途中で製作中止になって使われていない型のものであることが判明した。

 

これらのことが明らかになった背景には、ハワイに在住していた寺尾氏に負うところが多いが、これも好運なことである。

寺尾氏は、米軍側がなかなか見せてくれないところを粘って見せてもらい、一型と確認した。

米軍側は靖国神社が日本に持っていってほしいと言ってきたわけだが、靖国神社にはそのような予算はない。

そこで回天会や関係者の方々に募金を行うことにして五百万募金を行ったが、多くの方々が協力され

募金を達成して回天はついに帰還し靖国神社に奉納されることになった。

 

ハワイに二つの航路が入っているが、その内の一つが最近つぶれたということで我々もどのように運搬するか

不安だったが、ちょうど、つぶれた航路の変わりに日本郵船がハワイルートを招き、

その第一便である西独船「プリッテンパーグ」という貨物船の最初の貨物として日本に運搬することに決まった。

第一便というので、日本郵船にも協力してもらい、これもまた好運だった。

七月六日に「プリッテンパーグ」号はホノルルを出航し、七月二十九日に横浜に入港、同三十日に陸揚げしたが、

同船が横浜で下ろした荷物は「回天」ただ一つだけだったという。

 

この「回天一型」はハワイの陸軍博物館に保管される前にどこにあったのかは依然としてナゾに包まれている。

博物館側には是非、調査してほしいと依頼してあるが、いまだに返事はこない。

おそらく、練習用頭部がついているので出撃基地にあったものではなく、大津島にあったものだと思う。

終戦後、大津島にあった四基が米軍によって持っていかれたと聞いているのでその一基であることは間違いない。

 

私自身も回天を探し続けてきただけに感激にたえない。

八丈島の洞穴に生き埋めになっていた回天はその後、島民が掘り起こしスクラップしてしまったようであり、

現在、日本では現物の回天は見つかっていない。

 

十月十三日午前士一時から回天慰霊祭を行い、回天一型の除幕式を同時に挙行する。

ぜひ多くの方々の協力、支援をお願いしたい。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/10/21