海軍大尉 小灘利春

 

月刊「正論」への投書

平成15年12月  日

 

十月号の投書を拝見しました。一部誤解があると思い、説明のため一筆します。

 

一、九三式魚雷のプロペラを内証で「羽根の一部分をザックリと削り取って」直進させることに

  成功したとのことですが、それで良くなったのか、悪くしたのか、大掛かりになりますが

  きちんとした試験発射をして比較しなければ判定できないのでありませんか?

  魚雷には縦舵機があって、ジャイロコンパスの原理で舵をとりながら決められた方向に直進します。

  曲がって進んだとすればプロペラの形の所為ではなく、この縦舵機系統の問題ではないでしょうか。

  旧呉海軍工廠水雷部などの専門家にその点を確かめるべきでしょう。

  大体、大きく削られたプロペラが厳格な検査をパスする筈もないと思います。

 

二、人間魚雷「回天」は搭乗員が生還できるよう、最後の突撃の前に脱出する装置をつけることが、

  試作許可の段階から前提条件となっていたのは事実です。

  しかし考案された各種の方法がどれもうまくゆかず、そのために兵器採用が大幅に遅れたので、

  搭乗員側の強い要求によってついに脱出装置は見送られました。

  途中で艇から下りたのでは、確実に命中するかどうかわかったものではありませんから、

  たとえ脱出装置があっても、実戦で私どもが使うことはなかったでしょう。

  命中しなければ、大事な時期に自分というものが国土、国民を護る役に立たないのです。

  回天が停止、或いは減速したとき水面に浮き上がるよう、常時正の浮力にしたのは、

  搭乗員が生還することとは関係ありません。

  水面に浮上、停止した艇からハッチを開けて外に出ることは出来ますが、とにかく止まったときは

  浮かんでいないと困るのですから、正の浮力にするのは至極当然な話です。

  別段生還のためというほどではなく、問題は訓練中に回天が海底に突入して浮かびあがらないときです。

  その殉職例が二件、三名ありました。

 

  山口県徳山市沖の大津島にあった回天隊最初の訓練基地で、先頭に立って奮迅の努力をしていた

  指揮官板倉光馬少佐は、常時百キロの浮力を保つよう搭乗員全員に実に口やかましく要求されました。

  それは回天が速力を落として浮上したとき、波浪があっても安定した水上航走をして、

  観測しやすくするためでした。

  もっとも、後になると浮力を負にして襲撃運動を敏速にする腕のいい搭乗員たちがいました。

  横舵と速力を上手に使って、負浮力でも滑らかな水上航走ができるのですが、急速潜入はうまくいっても、

  負浮力のままで艇が停止するとたちまち沈没です。

  訓練のときは回天の前端が火薬の代わりに海水を詰めた駆水頭部になっており、

  深く潜りすぎたときは自動的に、また浅いところで沈没したときは搭乗員が内部から操作して

  頭部の海水を圧縮空気で排出し、艇を軽くして浮上できます。その例が多数ありました。

  ただし最初の頃は内部から排出操作をする装置がなく、沈没位置を捜し出して潜水夫が潜り、

  頭部の表面にあるボタンを押さないと排水できませんでした。

  訓練開始二日目に回天の創始者ら二人が海底で殉職しましたが、暗夜かつ荒天のため

  総員の徹夜捜索も及ばず沈没地点の発見が遅れたためでした。

  艇の浮力は十分にありましたが、海底に突っ込んだときは土砂の吸着力がなかなか強く、離れません。

  私も海底突入の経験がありますが、潜水夫が来てくれるまで身動きできませんでした。

 

  ちなみに回天は「ハッチを閉められたら、泣いても叫んでも開けてもらえない」と一般に言われますが、

  事実は全くの逆です。

  回天のハッチは艇の上と下にありますが、開閉するハンドルは両方とも艇の内側だけについているのです。

  従って搭乗員が乗艇してから自分でハッチを閉め、出るときは自分で開けます。

  飛行機と同様、艇外にいる整備員が操作を手伝ってはくれますが中から開けられないとは

  一部の「戦後マスコミ」の歪曲です。

  なお、回天も魚雷も、水中では正の浮力のときは頭を少し下げ、負のときは頭を上げて、

  所定の深度を保って走ります。念のため申し上げます。

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/09