海軍大尉 小灘利春

 

忘れ難い人たち 勝山 淳

平成11年 6月20日

 

茨城県、海兵73期、第一特別基地隊大津島分遣隊。

回天特攻多聞隊の伊53潜水艦の先任回天搭乗員として出撃、

バシー海峡東方の洋上で敵輸送船団を攻撃、駆逐艦アンダーヒルを撃沈した。

 

伊号第53潜水艦は回天特別攻撃隊多聞隊の一艦として昭和20年 7月14日大津島基地を出撃、

レイテと沖縄の間の敵輸送ルートの攻撃に向かった。

甲板の上に搭載した回天六基の先任搭乗員は勝山 淳中尉であった。

色白で快活、積極的な気鋭の青年士官である。

バシー海峡の東方で7月24日午後、伊53潜は敵輸送船団を発見した。

後ろから追いかける不利な態勢である上、海が荒れていたが、勝山中尉のたっての要請で、

艦長は中尉の一号艇だけを発進させた。

相手は七隻の輸送船で艦艇が九隻も護衛についていた。

船団の先頭で護衛部隊を指揮していた駆逐艦「アンダーヒル」の艦長ニューカム少佐は潜望鏡を発見して

爆雷攻撃を行い、油の膜が浮かんで来たのを見て「日本の潜水艦一隻を轟沈!」と無線電話で放送した途端に、

もう一本の潜望鏡を真近に発見し、「衝突用意」の号令をかけて転舵、突進した。

直後に艦首で大爆発が起こり、破片と海水が空中千フィートの高さまで吹き上がり、滝のように落下した。

艦体は前部で真っ二つに切断、艦長以下士官10人、兵員112人が命を落とした。

 

1.6トンの火薬が詰まった回天を乗り切ったためか、回天の搭乗員が操縦して命中したのか、

一体どちらなのか判らないのは、爆発の前に多数の乗員が、艦の前後左右に現れる回天を目撃

しているからである。

回天は全速で一分間に千米を走り、命中しなければ反転、再び突撃する。

駆逐艦のほうもぐるぐる走り回ったであろうから、あちらこちらに見えて当然であろう。

 

戦史研究家の一部は今でも「回天が六〜七隻で同艦を協同攻撃した」と信じている。

その点、伊58潜が魚雷で撃沈した重巡洋艦「インディアナポリス」を、回天が沈めたと言って聞かない

人がいるのと同じである。

このときは真夜中でもあり、艦長が回天を出さなかった。

 

事実は勝山中尉ひとりの大奮戦だったのである。

そして、誰が挙げた戦果であるかを確定できる回天では唯一のケースとなった。

飛行機特攻でも操縦者の名前と戦果が結びついた例は少ないと思われる。

 

勝山中尉には、八丈島へ出撃する私の後任として大津島の諸業務を彼自身の出撃までつとめて貰ったが、

にも水戸ッポ、勝気であるが実に純情で、人に愛される明るい人物であった。

勝山 淳中尉(没後少佐)は、あの戦局のもと最も価値ある若人を代表する一人であったと言えるであろう。

 

伊号第53潜水艦搭載回天の発進状況

 

潜水艦側の経過

昭和20年 7月24日

1400過ぎ  潜望鏡で敵船団を発見 バシー海峡東方海域

.          総員配置、回天戦用意下令、全員乗艇 方位角後落 距離大

.          一艇のみ発進に決定、他は発進取り止め

.          一号艇発進用意                           …艦長

1425頃       発進

.          約40分後大音響聴取                        …先任将校

.          (16〜17分後重厚な爆発音を確認)               …坂本雅俊一飛曹(回天搭乗員)

.          敵艦が燃えているのを確認した                  …先任将校

 

日米戦闘記録対比 7月24日

時間経過

伊号第53潜水艦 戦闘記録

アメリカ側 戦闘報告

14:00

敵船団発見

 

勝山少佐が大場艦長に発進を主張

回天一号艇のみ発進用意、他は用具収め

14:20

 

ソナー反応あり

14:25

回天一号艇(勝山少佐乗艇)発進

 

14:32

 

ソナー反応を通報

14:40

 

アンダーヒル 機雷を射撃

14:42

 

潜水艦が艦底下を通過

14:45

 

潜望鏡接近・射撃、潜水艦が艦尾通過

14:53

 

アンダーヒル 爆雷を投下

14:55

 

潜望鏡を発見

15:05

大音響聴取

衝撃すると通報

15:07

 

潜航艇がアンダーヒル艦首至近に浮上

アンダーヒルが右に急旋回

アンダーヒル爆発

15:15

敵艦が燃えていた

 

 

平成11年 6月20日 海軍兵学校第73期クラス会報 70号

 

海軍少佐 勝山  淳

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/12