海軍大尉 小灘利春
南海の底ひに逝った福島誠二
−いつもニコニコと独歩の境地
昭和51年 2月
和歌山県有田郡の産で、耐久中学から兵学校七十二期生となった。
十九年九月のはじめ、大津島基地に着任した初期からの搭乗員である。
肩幅が広く、がっしりした体格で、悠々と基地内を歩いていた。
いつもニコニコしているが、口数は少なかった。
それだけに、何かのときポツリと洩らした、「田中絹代はいいなあ」の一言が不思議と印象に残る。
二十年三月末、沖縄水域に向かう多々良隊のイ五六潜、回天六基の先任搭乗員として出撃して行った。
母潜がそのまま帰らず、沈着な彼の奮闘ぶりが伝えられていないのは残念である。
昭和51年 3月 5日発行 回天刊行会「回天」所収
更新日:2007/10/21