海軍大尉 小灘利春
千早隊 伊号第三七〇潜水艦の戦闘
平成16年 9月16日
昭和二十年二月十九日、米軍が突如、硫黄島へ上陸を開始した。
金剛隊が出撃したあと続いて比島周辺の艦船を攻撃する計画で整備、訓練中であった伊三七○潜は、
僚艦伊三六八潜とともに、急遽硫黄島水域へ出撃が決定。
回天五基を搭載し、二月二一日光基地を出撃した。
艦長藤川進大尉、
搭乗員は 岡山至中尉(海軍機関学校第五四期、宮崎県)
. 市川尊継少尉(兵科四期予備士官、早稲田大学、新潟県)
. 田中二郎少尉(同、慶応大学、兵庫県)
. 浦佐登一・二等飛行兵曹(第十三期甲種飛行予科練習生出身下士官、群馬県)
. 熊田孝一・二等飛行兵曹(同、福島県) の五名であった。(当時階級)
伊三七○潜は硫黄島周辺で、二月二六日黎明時に回天による攻撃を実施する筈であったが、
出撃後一切の連絡がなかった。
三月二日第六艦隊司令部は状況報告を命じたのに応答がなく、六日作戦を中止、帰還を命じたが、
それにも応答がなかった。
二月二六日の未明、硫黄島で積荷を全部陸揚げしてサイパンに帰る輸送船九隻の船団を駆逐艦など
四隻が護衛して、速力十二ノットで之字運動を続けながら南下中であった。
右前方の位置に就いて警戒していた米海軍護衛駆逐艦「フィンネガン」は日本時間○四四五、
水上捜索レーダーで右前方十六粁に艦船を探知した。
位置を次々と記録してゆき、目標の速力五ノット、針路五○度と判定した。
命令を受けてフインネガンは船団を離れ、速力を上げて目標の進路を遮るよう接近した。
天候は晴、海上は静穏で風速四米、月齢十四、日出時刻は○五五九であった。
○五二○、距離六.一粁になったとき目標は消えた。
○五三○、その地点に到着してソナーによる捜索を開始、○五四二最初の反響を掴んだ。
速力を十ノットに落として捜査、目標の針路五○度、速力三ノットと測定してヘッジホッグ攻撃を開始した。
潜水艦の伏在位置をソナーで確認、
最初の発射は○五五九、ニ四個の弾体を前方に一斉投射したが、反応がなかった。
○六○四、二回目のヘッジホッグ発射、やはり反応なく、第三回の○六一四の発射も同様。
○六三七の第四回も、○六五五の五回目もやはり反応がなく、目標を見失った。
潜水艦がかなり深く潜航したと判断して爆雷攻撃に切替え、爆発深度を深々度に設定して準備した。
そのときの潜水艦の基本針路七十度、速力を三ノットと判定、距離を一○○○米に開いた上、
速力を一五ノットに上げて接近し、○七一三、爆雷十三個を投射した。しかしこれも反応がなかった。
あと、潜水艦は針路を時折小さく変えていたが、現在針路一八○度と測定できた。
○七四一、二回目の爆雷攻撃を実行。
またしても反応はなかったが、潜水艦が攻撃の間、急激な運動を行っていたことが分かった。
ソナーは失探したが、四分後に再探知した。
潜水艦が深度も度々変え、今は浅いところに来たと見て、速力を一○ノットに落とし、ふたたび
ヘッジホッグ攻撃を開始、
○八二四、第六回の発射をしたが、兵器の不調のため効果がなかった。
ソナーが、潜水艦がまた深く潜航したことを示したため、三回目の爆雷攻撃に着手した。
しかし、○八五○には潜水艦が海面にかなり近いところにいると判断された。
全爆雷の起爆深度を急遽、浅く改調するにしても時間がかかるが、そのうちまた目標が深く潜ったので、
○九○○、爆雷を一斉に投射した。
四分五一秒後、かなり深いところに激しい爆発を感知した。
ソナーにはいろいろな音響が入ったが、やがて何も聞こえなくなった。
海面にはその間、変化が現れなかった。
○九○八、重油と多数の断片が浮き上がってきた。
その地点は北緯二二度四四分、東経一四一度二六分であった。硫黄島の略真南、約一二五浬である。
護衛空母「ツラギ」搭載の「グラマン・アヴェンジャー」雷撃機が夕刻、支援に飛来し、
聴音ブイを投下して捜索を続けたが、何も探知できなかった。
木片は木甲板と見られる裂けたばかりの板切れが多数あって、付いていた鉄ボルトの断面は真新しく、
切断されたばかりであった。
また、板の破片に鉛筆で文字が書かれていたことは、海水に洗われる外舷にあった板ではなく、
艦内部の木材であることを示していた。
日本文字を記入した木片から、潜水艦の艦名がサイパン入港後、確認された。
この位置は硫黄島周辺と言うよりも洋上であるが、たまたま硫黄島とサイパン島を結ぶ輸送船団の
常用航路の上という不運があった。
シュノーケル装置を持たず、進出と充電のためには毎日、夜間に浮上し航走しなければならない「潜水艦」である。
その故に、遭遇した護衛船団の前方警戒網にレーダー探知されての交戦となった。
○四四五の初探知以後、○九○○まで四時間以上にわたる戦闘であった。
その間、伊三七○潜の艦長は針路、深度、速力を種々に変換し、任務達成のために懸命の努力を続けて
回避につとめたと察せられる。
攻撃した護衛駆逐艦は一隻であっても、レーダー、ソナーの性能と運用の優秀牲、加えて撃沈を確認できるまで
攻撃を続ける執拗さの前に、長時間の戦いののち遂に伊三七○潜の天運は尽きたものと推察される。
第六艦隊司令部は戦闘詳報に回天特別攻撃隊(伊三六八潜および伊三七○潜)の功績として
「昭和ニ○年二月二六日、硫黄島攻略部隊敵有力艦船を同島付近に奇襲し、回天の体当たり攻撃を以て
多大の戦果を収め、作戦に寄与するところ極めて大なり。その武勲顕著なりと認む」
と記載した。
更新日:2007/09/09