海軍大尉 小灘利春

 

回天に沈められた米艦の戦友会

平成15年 5月30日

 

護衛駆逐艦「アンダーヒル」

人間魚雷「回天」に撃沈された米国軍艦の戦友会が現在なお活動を続け、戦没者を追悼する慰霊祭を

盛大に執行している。

そして彼らは、敵方であった我々に以外に思えるほど好感を持っている。

 

終戦間近の昭和20年 7月24日、沖縄東方の洋上で回天特別攻撃隊「多聞隊」の伊号第五三潜水艦

から兵学校73期の勝山 淳中尉(没後少佐)搭乗の回天がただ一基、発進した。

回天は米軍輸送船団を指揮して航行中の護衛駆逐艦「アンダーヒル」に命中、撃沈した。

艦長以下112名が戦死、

救助された乗員116名は戦友会を結成し、慰霊祭を年々、同艦戦没の日に合わせて開催を続けている。

場所は首都ワシントンに近いアナポリスにある米国海軍兵学校の教会である。

米海軍は二百年の歴史をもつが、この学校の構内で慰霊祭の執行を許されているのはアンダーヒルの

戦友会だけであるという。

回天と戦って斃れた一護衛駆逐艦に米国海軍は破格の栄誉を与えているのである。

このとき戦死した乗員機関兵曹長の子息ヘンリー・ロード氏は戦闘状況を詳しく調査した結果、親の仇である

筈の日本人、日本という国に好感を抱き、来日して茨城県那珂郡にある勝山少佐の実家を訪ね墓参した。

平成12年 9月のその日、少佐の弟妹ほか親族が集まり、同期生の元回天搭乗員や伊五三潜の航海長も

加わって「昭和20年7月24日を偲ぶ会」が開催された。

故・勝山少佐とアンダーヒルの戦没乗員をともに偲ぶ懇談の席である。以後ロード氏は来日の都度、

親族たちと会って親交を深めている。

勝山少佐の甥小野正実氏が中心になって同戦友会のメンバーとの情報、連絡に当たった。

双方の意思疎通が急速に進展したのは、近年普及したメール通信に負うところが大きいが、

この戦闘の経過、意義の探求を通じて双方の間に育まれた親近感

「最善を尽くして堂々と戦う者は敵味方を問わず尊敬する」という軍人同士の共感があると思われる。

こまほど小野氏から、米海軍兵学校の教会前で記念撮影をしたアンダーヒル戦友会約60人の参列者の写真が

財団(財団法人特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会)に提供された。

 

艦隊随伴油槽艦「ミシシネワ」

昭和19年10月20日、回天特別攻撃隊の第一陣「菊水隊」が西カロリン諸島の米軍前進基地ウルシー泊地を

攻撃、米艦「ミシシネワ」に命中した。

同艦は爆発し長時間燃え続けたのちに沈んだ。

米海軍の最新、かつ最大型の艦隊随伴油槽艦であった。

全乗員約298名中50名が戦死、92名負傷。

燃えさかる火焔と重油が一面に広がる海から無事に救助されたのは156名であった。

その生存者たちによる戦友会が現在も盛んな活動を続けており、新旧の写真を収めた立派な会誌を発行、

また年々全米各地で戦友会を開催している。

同戦友会の運動により、二年前に米国海軍の潜水艦がウルシー環礁内を調査し、同艦終焉の地点、状態を

確認、それによりミクロネシア連邦政庁は海中に在る同艦の周辺を「聖なる墓域」に指定し、

一般人の潜水、立ち入りを法令で禁止した。

今春、同艦内に残る積荷燃料油の抜き取り作業を米海軍の大型救難艦が開始したが、

そのあと沈没状況の精密な調査を進める計画がある。

本年の戦友会は7月23日より米国北東岸ロングアイランド州のプロビデンス市で開催される。

周辺の海軍関係施設や記念艦の戦艦マサチューセッツほか各種軍艦の見学旅行を兼ねる五日間の

充実した会合になるであろう。

当全国回天会にも案内状が来たが、日本から遥々参加する有志があるので、

我々の代理を兼ねて頂くつもりでいる。

乗員の子息マイク・メイヤー氏はこの戦友会の幹事であるが、父と同様に大の親日家になり、

第二次大戦の戦史をミシシネワを軸に記述を進めてきた。

回天戦全般についても、日米の関係者と緊密な連絡をとって詳しく調査し、新しい資料を数多く発掘した。

信頼度の高い戦史書として米海軍研究所から近日、刊行される予定である。

 

米重巡洋艦「インデァナポリス」

回天特別攻撃隊「多聞隊」の伊号第58潜水艦は米重巡「インデァナポリス」を昭和20年 7月30日未明、

魚雷攻撃で撃沈した。

同米艦は二発の原爆を米本土から最大速力でテニアン島のB29基地に運搬する任務を終えたあと、

レイテ湾に回航中であった。

乗員1,196名、そのうち生還てきた者は僅かに316名であった。

魚雷が命中したときに真先に電源を破壊されて救難電報が発信できず、また単独航行であったために、

遭難者は救助されるまで四日半ものあいだ太平洋上を漂流した。

戦没者の半数は溺死であり、米海軍にとっては戦中最後にして最大の悲劇となった。

艦長マックベイ大佐は軍法会議で有罪の判決を受け、のちに拳銃自殺を遂げた。

戦友会は艦長と同艦の名誉回復のため53年ものあいだ運動を続けた後、ようやく成就した。

同艦の記念碑が米国中部インディアナ州の州都インディアナポリス市にあり、

その碑の前で同艦の戦友会が追悼式を行っている。

伊58潜がインディアナポリスを攻撃中、回天に乗艇して発進の命令を今か今かと待っていた搭乗員は

「敵艦が沈まないなら出してくれ」と再三、艦長に催促した。

しかし九五式酸素魚雷二型の炸薬量は550キロもある。

魚雷が三発命中したのを潜望鏡で確認している艦長は、獲物を確実に仕留めたと判断して回天を発進させなかった。

したがって同艦の悲運に回天は直接の関与はしていないので、互いの連絡は目下のところ取るに至っていない。

 

 

  

護衛駆逐艦「アンダーヒル」                    艦隊随伴油槽艦「ミシシネワ」

 

アンダーヒル慰霊祭 1991年出席者の記念写真

 

  

ウルシー泊地で炎上中のミシシネワ

 

      

ミシシネワの沈没地点の海底探査

 

写真提供:小野正実様(勝山 淳海軍少佐ご遺族)

 

海軍大尉 小灘利春

更新日:2007/09/24