甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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昭和62年 4月12日

甲飛十三期殉國之碑 第 十四回慰霊例祭

祭典委員長 祭文

 

祭典委員長 浅山房雄

ここ建国の聖地、橿原神宮、神武の一角に礎を定め建つ、甲飛第十三期殉国の碑に鎮まります一千五柱の御霊に、

生存同期生を代表し謹んで慰霊の辞を捧げます。

 

顧みれば、かの昭和十八年当時、戦況われに利あらず、祖国の存亡危殆に瀕したる秋、一身を投げ打って祖国の危難に

当たらんと、純真無垢なる若き情熱に燃え我々は、第十三期海軍甲種飛行予科練習生を志願、百錬鉄火の坩堝に自らを投じ、

峻烈苛酷なる試練に耐え抜き切磋琢磨、精励精進の道を共に歩んだのであります。

そして君達は、世界の戦史にもその例を見ない航空特攻、水中・水上特攻に参加し、或はその訓練中に或は転進中に、

あたら十代の若き命を国に捧げて散華されました。

今、この名板に刻まれた君達の名前を撫でさする時、在りし日の若々しい明るい笑顔が、歯を喰いしばった姿が、

そしてあの精悍な面魂が、瞼に浮かび脳裏に起り、大声で叫びかけたい衝動に駆られます。

それにも増して御遺族のご心中を思う時、胸迫りて申し述べる言葉も有りません。

君達が命を捧げて守った祖国日本は、一敗地に塗られたりとは云え、不死鳥の如く延り、今や世界の経済大国となり、

豊かで平和な艮き国として繁栄を続けております。

「散る桜、残る桜も散る桜」これはあの当時我々お互いが朝夕、口にし耳に馴染んだ詞です。

散るべき命を長らえて今の世にある我々は、「殉国の若桜」として、声も無く散っていった君達の悲運を

このまま無にしては申し訳ない、君達の遺徳を讃え、末長く御霊をお慰めし続けなければ、という想いは誰もが何時も

心の底に深く抱いているのです。

この想いが結集して、「殉国之碑建立」或いは「若桜友苑の建設整備」となり、また年毎に盛大に行われます慰霊祭を始め、

ことあるごとにこの碑の前に集い額づく同期生の幾多の行事も、総て我々のこの想いをせめて君達に伝えたいという

心の現われなのです。

その我々も殆ど全員が還暦の峠を越える齢となりました。

然し我々は、何時々までも若々しい君達の姿を胸に描き、同期の絆を固め、熱・意気・若さの誇り高き予科練魂をもって

頑張り続けます。

何とぞ心安らかに、この地やり見守って下さい。

朗読された遺書

更新日:2007/11/04