甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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平成18年 4月 9日

甲飛十三期殉國之碑 第三十 三回慰霊例祭

祭典委員長 祭文

 

祭典委員長 猪飼 国昭(東京甲飛十三期会会長)

桜咲くここ檀原神宮の聖地、若桜友苑に於いて 第三十三回殉国之碑慰霊例祭を行うに当り、

一千余名の御魂に対し、生存同期生を代表し、謹んで慰霊の言葉を申し上げます。

 

私共は入隊してより早六十三年、戦い終ってより六十一年が過ぎ去りました。

然しながら本日の慰霊祭には例年の如く多くの同期生、御遺族、御来賓を始め多数の方々の御参列を戴き、

盛大に慰霊祭を行う事が出来ます事は、淋しい中にも、又、喜ばしい事であると思います。

私共甲飛十三期生は、昭和十八年秋、勇躍二万八千余名が、土浦、三重、奈良、美保、松山、鹿児島と、

六ヶ所の航空隊に入隊しましたが、戦局は緒戦の優勢より一変し、すでに敗戦への一途をたどり始めておりました。

かくて、此の世に生をうけ、成年に達する以前の十六、十七、十八、十九才と未成年でありながら、劣勢を挽回すべく、

祖国の為、家族の為、悠久の大義に生きるべく自ら志願し、又、命に依り何の躊躇もなく、かけがえのない尊い命を

擲って散っていった兄等の心情を察する時、生き永らえた私達は涙を禁じ得ません。

その戦死者一千余名は採用数から見たパーセントは少なくとも、人数とすれば陸海軍の出身学校等の同期生の

戦死者としては最も多いほうであります。

将に 「落日の栄光・甲飛十三期生」 であります。

戦後、焼土と化した祖国日本を我等戦前戦中の生き残りの人達の努力により立派に再建し、

やがて高度経済成長により、平和で豊かな国となりましたが、この事は先の大戦で散った方々のお蔭である事を考えれば、

私共生存者は今後共健康に留意し、戦没同期生の慰霊と全国同期生との和を広め、甲飛十三期生の足跡を

後世に語り継ぐべき事を念頭に置き、老骨に鞭うって生き続け、目的に向かって邁進する事を決意致しております。

世界各地ではいまだに戦争やテロが頻発しており、多くの若者が命を落しておりますが、日本は昭和二十年八月十五日

以後一度も戦争はしておりません。

戦争の悲惨さ、空しさは私共戦争経験者にとっては身に滲みております。

然しながら平和になったとはいえ、戦後の日本は戦勝国米国主導に依って作られた憲法、

教育基本法等に依り歪められた教育、躾、特に歴史に至っては納得出来ない箇所も多々あります。

そして私共は今後も、若桜友苑、殉国之碑を護り続ける事をお約束し、願わくは在天の御魂が永遠に安らかでありますよう

祈念致しまして、慰霊追悼の言葉と致します。

 

山河哭く 英霊安かれと 散る桜

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/04