甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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平成14年 4月14日

甲飛十三期殉國之碑 第 二十九回慰霊例祭

祭典委員長 祭文

 

祭典委員長 渡邉 一成

若葉萌ゆる畝傍の麓 ここ建国の聖地 橿原に於いて第二十九回殉国之碑慰霊祭を執り行うに当たり 

生存同期生を代表して在天の英霊に謹んで申し上げます

 

顧みるに 先の大戦に於いて緒戦こそ優位に推移するも 彼我の戦力の差は如何とも成し難く 次第に劣勢となりし時

祖国存亡の危機を感じた我々は 昭和十八年秋ペンを捨て 飛行機搭乗員と成るべく 第十三期甲種飛行予科練習生

として海軍に入隊しました

その数二万八千余名 そこには搭乗員としての資質を鍛え上げる軍隊という過酷な訓練の場がありました

されど 搭乗員の養成は一朝一夕にしては成らず その間南方戦線では乗員機材の消耗がはげしく 昭和十九年秋の

レイテ海戦に於いては 敵空母の活動を寸時でも抑止せんと一機一艦 必殺必中の特攻作戦が実施されました

この作戦は 敵に与える心理的効果は大なりとして「統帥の外道」と言はれつつも作戦を継続すべく人間魚雷の開発に

力を注ぎ 逐次戦線は配備され これら新兵器に多くの同期生が主力として配置され 帝国海軍最後の戦力となりました

昭和十九年末 回天特別攻撃隊を始めとして同期の特攻出撃が相次ぎ 実用機の殆どが消耗し尽くされ

ついには練習機までも特攻に躯り出すに至りました

私事ながら私自身も この地橿原に程近い大和航空隊に於いて九三中練の特攻要員として訓練を受けていました

敵艦載機の跳梁するなか赤トンボ練習機での訓練は正に生と死の狭間にありました

その間 晴れて壮途につき散華されし者 訓練中や移動中 或いは病魔に犯され志半ばにて無念にも散りし者

併せて一千余名の同期生が護国の鬼と化しました

昭和二十年八月十五日 卿等と幽明境を異にしてより 我らは廃墟と化した祖国の再建が責務と試行錯誤を重ねながら

額に汗して力を尽くしました

焦土の中から立ち上がった祖国は 世界の奇跡とも言はれる発展を遂げましたが その陰で勝者の論理のもと再び

連合国の脅威とならない為の骨抜き教育が徹底し 美しき日本の魂を失った次世代が育ちました

進歩的文化人と称する曲学阿世の徒が 国民総白痴化のお先棒を担ぐのみならず 首相の靖国神社参拝や

ひいては特攻隊についてまで事実無根の論理を展開していますが 歴史を歪曲したり 卿等の偉業を侮辱するのは

決して許されないことであり 真実を知る者の責務をひしひしと感ずるものであります

されど我々は既に白髪喜寿になんなんとしています 残された時間をいたずらに待つのではなく後世の若者に

正しい歴史を伝承することこそ我等の使命と心得 老骨に鞭打って微力を尽くさんと思うのであります

 

明治天皇御製

世と共に語り伝えよ国のため 命を捨てし人の勲を

 

願わくば在天の諸霊よ 我らの意を掬み 広大なる御加護を賜らんことを願うと共に

永久に安らかな眠りにつかれんことを念じ慰霊追悼の言葉と致します

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/04