甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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平成11年 4月11日

甲飛十三期殉國之碑 第 二十六回慰霊例祭

祭典委員長 祭文

 

祭典委員長 内木 芳朗

敷島の大和心と歌われた櫻花の咲き匂いし、ここ建国の聖地畝傍の森橿原神宮の神域に建つ、

第十三期海軍甲種飛行練習生出身、戦死戦没者「殉国の碑」第二十六回慰霊の例祭を行うにあたり、

ご遺族、来賓の参列を仰ぎ生存同期生多数集い碑前に静謹整列して、兄等の在りし日の御姿を偲んでおります。

願わくは兄等、天上より降り立ちてしばし我々と共に一刻をお過ごしください。

 

思いを巡らせば現在より五十六年前、大東亜戦争の最中昭和十八年既に戦局我に利あらざる秋、

若年乍ら身をもって国を救わん、故里の緑の山河をまた愛しき父母、同胞を護らんものと「乃公出でずんば」の

高邁なる気概をもって海軍飛行機搭乗員を志し勇躍入隊した甲飛十三期の我々でありました。

熾烈に戦う前線からの新戦力をとの要求に応えるための教育訓練期間の短縮により入隊から僅か一年余の

昭和十九年末から最後の新戦斗員として戦線に投入されました。

「回天」による水中特攻に続き水上特攻「震洋」そして飛行機搭乗員として場を得たものは、

二十年春からの沖縄特攻に、戦争末期には土佐沖、金華山沖への特別攻撃にも参加し凛々しくも散華されました。

また苛酷なともいうべき短期の練成の過程で不幸病魔に侵され、又訓練中事故により、敵襲により戦死戦没された

兄等の数は、一千余名を数えます。誠に痛恨の極みであります。

兄等と共に戦い今度会うのは、靖国の同じ梢と誓い合い共に死すべき運命にあった我々は命永らえて家郷に戻りました。

敗戦後の焦土と化し荒廃した、故里日本は現在の復興発展が何人も想像できぬ惨憺たる有様でありました。

我々は学窓に戻った者またすぐ職を得た者も必死に海軍で叩き込まれた不屈の頑張り精神で亡き兄等の魂塊を背にして

祖国復興に力を尽くしたのであります。

兄等が挺身命を擲ち護った祖国日本は永世の平和と限りなしとも思われた経済発展を得ました。

然しここ数年無謀な経済人と、不遜なる一部の政治家により進路に暗雲広がる様相になりつゝあります。

兄等の犠牲の代償として安穏に暮らすことができるものと信ずる我々にとって誠に慨嘆すべきことであります。

また憂うるは日本国民の一部特に若い世代に多いと言われる国家観の欠落であります。

兄等が護った国に対する認識の軽薄さであります。

腹立たしきは世にはびこり堂々と報道され、あたかもそれが正しき歴史観とうそぶく自虐的歴史観であり、

亡国の根源なりと断じます。

兄等がひたすらにただひたすらに愛した祖国日本が未来永劫隆々と発展を続けるべく護り給えと願ってやみません。

限りなく拡がる群青の海原に、果てしなき紺碧の大空に在わします兄等同期の御霊よ、安らかに安らかにお眠り下さい。

 

朗読された遺書

更新日:2007/11/04