甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

関西甲飛十三期会 公認ホームページ

 

戦没英霊譜

人間魚雷 回天特別攻撃隊

 

金剛隊(伊 五八潜)

 昭和19年12月30日  大津島出撃

 森    稔   (土浦)      昭和20年 1月12日  発進 グアム島アブラ港

 遺詠 大君の御楯となりて征か む身の 心の内は楽しくぞある

 

 

 

 

 三枝  直   (土浦)      昭和20年 1月12日  発進 グアム島アブラ港

 遺詠 南みのおおわだつみにつ続くなる すめらみいくさにわれは出でなむ

         天翔ける鳥は屍を残さじと 航空兵の母はなげかず

         すめぐにの仇砕かずは何を為し 何を学ばむやと男の子は 

         寄せ書を書かせる人ぞくやしける おのがつたなきふでを見るにも

 

 

千早隊(伊三六八潜)

昭和20年 2月20日  光出撃

昭和20年 2月26日   米艦載機の攻撃を受け、硫黄島海域にて沈没したものと推定

 磯部  武雄(土浦)       昭和20年 2月26日  戦死

 

 

 

 

 

 芝崎  正七(土浦)       昭和20年 2月26日  戦死

 ご母堂ご吟詠 昭和36年3月26日、回天碑除幕式の折りに自ら吟詠された。

            肉を丸とし国の為に死して 再び回らず 嗚呼思えば十三年に満つ

    正七 正七 今何処に在りや 然りと雖も呼べど呼べど何ぞ答えなし

    母今詩を吟じ冥福を祈る 願わくば魂魄を留めて 父母を護れよ

 

 

千早隊(伊三七〇潜)

昭和20年 2月20日  光出撃

昭和20年 2月26日   米艦載機の攻撃を受け、硫黄島海域にて沈没したものと推定

 浦佐  登一(土浦)       昭和20年 2月26日  戦死

 

 

 

 

 

 熊田  孝一(土浦)       昭和20年 2月26日  戦死

 

 

 

 

 

 

多々良隊(伊 五六潜)

昭和20年 3月31日  大津島出撃

昭和20年 5月 2日   米駆逐艦ハドソンの攻撃を受け、沖縄海域にて沈没したものと推定

 川浪  由勝(土浦)       昭和20年 4月18日  戦死

 

 

 

 

 

 石直 新五郎(土浦)       昭和20年 4月18日  戦死

 

 

 

 

 

 宮崎  和夫(土浦)       昭和20年 4月18日  戦死

 

 

 

 

 

 矢代  清   (土浦)       昭和20年 4月18日  戦死

 遺詠 親のため惜しむ命を君のため 捨つべき時に捨つべかりけり

   天皇に仕えまつれと我を生みし 我がたらちねぞ尊かりけり

 

 

 

 

多々良隊(伊 四四潜)

昭和20年 4月 3日  大津島出撃

昭和20年 4月29日  米駆逐艦コレットの攻撃を受け、沖縄海域にて沈没したものと推定

 菅原  彦五(土浦)      昭和20年 4月14日  発進 沖縄・慶良間列島海域

 

 

 

 

 

 

天武隊(伊 三六潜)

昭和20年 4月22日  大津島出撃

 安部  英雄(土浦)      昭和20年 4月27日  発進 沖縄海域

 遺詠 大和男児の散り際は 件の杜の桜花

   吾神国不滅確信 誓撃滅空母戦艦

   一途に大君の為数ならぬ 身をば玉と砕く嬉しさよ

 

 

 松田  光雄(土浦)      昭和20年 4月27日  発進 沖縄海域

 遺詠 身はたとえ米鬼と共に沈むとも 笑顔で帰らん母の夢路に

   若桜一人娘にくよくよするな 俺は日本を抱いて寝る

 

 

 

 海老原清三郎(土浦)     昭和20年 4月27日  発進 沖縄海域

 遺詠 我は唯国の御楯と守るらん 我が日の本の末の代までも

 

 

 

 

 

振武隊(伊三六七潜)

昭和20年 5月 5日  大津島出撃

 千葉  三郎(土浦)      昭和20年 5月27日  発進 沖縄海域

 遺書 不肖皇国のため一身を捧げ奉らむの光栄、今日ありたる己を顧み、

   皇、祖、父、母の重なる恩、死を以て報ずるの感激、

   実に本懐とする処なり

     小生心中唯 撃滅るのみ 御両親様 御達者で

 

 小野  正明(土浦)      昭和20年 5月27日  発進 沖縄海域

 遺詠 敷島の大和桜と咲きにしを あたりて砕け潔く散りなむ

   日の本の永遠に榮ゆを祈りつつ 黒潮大洋を指して征くわれ

   菊水の流れを受くる大洋に 我今征きて敵を撃滅せしむ

 

 

 

轟隊(伊三六一潜)

昭和20年 5月23日  光出撃

昭和20年 5月30日   米艦載機の攻撃を受け、沖大島付近にて沈没したものと推定

 金井  行雄(土浦)      昭和20年 5月30日  発進 沖大島付近

 

 

 

 

 

 斉藤  達雄(土浦)      昭和20年 5月30日  発進 沖大島付近

 

 

 

 

 

 田辺  晋(土浦)        昭和20年 5月30日  発進 沖大島付近

 

 

 

 

 

 岩崎  静也(土浦)      昭和20年 5月30日  発進 沖大島付近

 

 

 

 

 

 

轟隊(伊 三六潜)

 昭和20年 6月 4日  大津島出撃

 柳谷  秀正(土浦)     昭和20年 6月28日  発進 マリアナ海域

 

 

 

 

 

 

轟隊(伊一六五潜)

昭和20年 6月15日  光出撃

昭和20年 6月27日  米哨戒機の攻撃を受け、マリアナ東方海域にて沈没したものと推定

 北村 十二郎(土浦)      昭和20年 6月27日  戦死

 ご尊父ご詠歌

           強情に幼きころの思い出は 自転車買えと坐して動かず

 

 

 

 

多聞隊(伊 五三潜)

昭和20年 7月14日  大津島出撃

 川尻  勉(土浦)       昭和20年 7月29日  発進 沖縄海域

 遺詠 有明の月と見るにも思うかな 我家に残る人は如何にと

   気は澄みて心のどけき今朝の空 散り行く身とは更に思わず

   身は消えて姿この世に無けれども 魂残りて撃ちてし止まん

    子を思う母の心を思いつつ 今日の訪れ何と知らせん

   つぎつぎとつづく戦友をぞ信じつつ 身は沖縄に玉と砕けん

 荒川  正弘(土浦)      昭和20年 8月 4日  発進 沖縄海域

 

 

 

 

 

 

多聞隊(伊 五八潜)

昭和20年 7月18日  平生出撃

 小森  一之(奈良)      昭和20年 8月10日  発進 沖縄海域

 遺詠 海原に神の潮をわきおこし 巻きて沈めん醜の敵艦

   若桜只一途にはげまなん 栄ある御代の幸を憶いて

 

 

 

 中井  昭(奈良)        昭和20年 8月10日  発進 沖縄海域

 

 

 

 

 

 林   義明(奈良)       昭和20年 8月12日  発進 沖縄海域

 ご母堂ご詠歌

            わが命祖国守らん回天の 母への別れ夢路つげなん

 

 

 

 

多聞隊(伊三六六潜)

昭和20年 8月 1日  光出撃

 上西  徳英(奈良)       昭和20年 8月11日  発進 沖縄海域

 遺書 お父さん、お父さんの髭は痛かったです。

   お母さん、情けは人の為ならず。

   忠範よ最愛の弟よ 日本男児は御楯となれ 他に残すことなし

   和ちゃん 海はわたしです 青い静かな海は常の私

   逆巻く濤は怒れる私の顔

 佐野  元(奈良)         昭和20年 8月11日  発進 沖縄海域

 遺詠 菊水の流れを慕いて散る友の 跡を慕いて我も又征く

   国思う心は誰か異ならん 共に進みて玉と砕けん

   大君のみことかしこみ敵討つと 吾を育てし親ぞ尊し

   大井なる清き流れをそのままに 我今起ちて国に尽くさん

   いさぎよく花よ散れ散れ吹く風に 国を思えば散りて尽くせよ

             皇国に生をうけたるますら男は 御国守って散りて行くらん

             醜が船をしずめて尽くすその日まで 無事なる事こそ祈れ同胞

             何時なれど散れる心はあれども 的のなきぞかなしき

             訓練に訓練重ねしわが隊の 戦果を見よや四方の人々

  

第一回天隊(第18号輸送艦)

昭和20年 3月13日  佐世保出港

昭和20年 3月18日  沖縄・慶良間列島海域にて沈没

 伊東  祐之(土浦)      昭和20年 3月18日

 遺詠 菊水の流れを慕う若桜 梓の弓と征きて還らじ

 

 

 

 

 猪熊  房蔵(土浦)      昭和20年 3月24日

 遺詠 身は一つ千々に砕きて醜千人 殺し殺すもなおあき足らじ

 

 

 

 

 赤近  忠三(土浦)      昭和20年 6月13日

 遺詠 踏み越えん道は険しく荊莉なれど 砕かで止まず醜の醜草

   荒浪と砕けてかえらぬ身にしあれど 寄せてかえさん御代の弥栄

   弾丸はつき太刀は砕けて傷重く 喰糧なきも撃ちてし止まん

 

 

 

第三回天隊(油津基地)

昭和20年 7月17日   内海基地の開隊支援中、米P51戦闘機の機銃掃射と爆撃により戦死

 井出籠 博(土浦)      

 

 

 

 

 

 夏堀  昭(土浦)

 

 

 

 

 

 

殉職者

 矢崎  美仁(土浦)       昭和20年 3月16日  光  /訓練中

 

 

 

 

 

 阪本  宣道(土浦)       昭和20年 4月 7日  光  /訓練中、小水無瀬に激突

 遺詠 散りにけり今葦原の若人は 御跡慕いて我も続かん

   空蝉のかろき命と思えども 父母君の悩み悲しも

   今日よりは神に誓うてあだ討たん くやしみ死にしますらおのため

   大空へたぎる心の早瀬にも 只誠心は常に流るる

 

 楢原  武男(奈良)       昭和20年 5月11日  平生 /訓練中、米機雷に触雷

 

 

 

 

 

 北村  鉄郎(奈良)       昭和20年 5月11日  平生 /訓練中、米機雷に触雷

 

 

 

 

 

 入江  雷太(土浦)       昭和20年 5月17日  大津島/訓練中、目標船に激突

 池淵信夫海軍中尉の吟詠

     君が殉職を仇にはなさじ君の英霊 いだきて共に征くぞ安かれ

  昭和20年6月4日、池淵中尉は轟隊(伊36潜)隊長として大津島を出撃

 6月28日、共に出撃するはずだった入江上飛曹の遺骨を胸にマリアナ海域に於いて散華

 

 坂本  豊治(土浦)       昭和20年 5月17日  大津島/訓練中、目標船に激突

 

 

 

 

 

 

大津島基地

山口県周南市

    

回天碑                          回天レプリカ

碑文

大東亜戦争 年をかさねて苛烈を加え 物量漸く乏しきを告げて 前途暗澹たりし時愛国の至誠 弱冠にして

早くも危急を予感し 忠孝の純情 一身を献じて狂爛を既倒に回さんとし 前代未聞の兵器 必死必勝の戦法

を創案して 従容自ら之を操縦遂行せしもの 即ち是れ回天の勇士なり 惜しい哉時既におそく 戦勢を一転

せしむるに至らざりしと雖も事敵の意表に出でて其心膽を寒からしめ よく皇国の命脈を危殆の中に護持せし

もの 其の功偉なりと言ふべし ここに回天献身の勇士の氏名を録し 以って芳を千秋に傳ふ

 

光基地

山口県光市

回天の碑

碑文

太平洋戦争末期の昭和十九年十一月二十五日、人間魚雷「回天」光基地が光市のこの地に開設された

「回天」とは海中を潜り敵艦に体当たりする一人乗りの人間魚雷のことである

祖国日本を守るため、潜水艦に搭載されて南太平洋に出撃した「回天」に搭乗した若者は、再び生きて

この地に還ることはなかった

わたしたちは祈る あなたがたの御魂が ふるさと光に安らぐことを

わたしたちは誓う 未来の子どもたちへ 平和の志を確かに伝えることを

 

平生基地

山口県熊毛郡平生町

  

平生回天碑

碑文

神啾鬼哭 回天の壮挙 若き生命 南海に挺し 莞爾として皇国に殉ず

悵恨 戦い時に利非ず 山河むなしく桑滄の変

さわれ至誠盡忠の赤心 日本民族の血脈に漲り 昭々無極の後世に輝く 

碑を発祥の地に建立し 粛然 久遠の霊を祀る

(右写真)平成16年11月 7日、平生回天碑遷座記念慰霊祭にて執り行われた、楢原武男上飛曹・

北村鉄郎上飛曹が訓練中に米機雷に触雷して殉職した海域での海上献花式

 

関西甲飛十三期会 殉國之碑

更新日:2008/08/24