相模海軍工廠

 

略史

昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設

昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設

昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立

昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに

昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる

昭和20年  終戦、廃廠

 

第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設

置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。

相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として

化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。

海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。

 

平塚市交通安全協会

神奈川県平塚市

海軍技術研究所研究部 相模海軍工廠化学実験部跡

碑文

海軍技術研究所は昭和5年(1930年)この地に科学研究部を設け 多くの市民から「技研」の愛称で

親しまれた 昭和18年(1943年)相模海軍工廠化学実験部と改称 終戦と共にその役割を終えた

いま往時を偲び懐旧の思い新たに 先人の鎮魂と世界の平和を祈念し ここに記念碑を建立しその足跡を

留める

平成6年(1994年)春  相模記念碑建立委員会建立

 

一之宮公園

神奈川県高座郡寒川町

国鉄相模線寒川支線(海軍工廠引込線)跡

 

国鉄相模線寒川支線(海軍工廠引込線)跡

 

一之宮緑道

神奈川県高座郡寒川町

国鉄相模線寒川支線(海軍工廠引込線)跡

 

国鉄相模線寒川支線(海軍工廠引込線)跡

 

八角広場

神奈川県高座郡寒川町

国鉄相模線寒川支線(海軍工廠引込線)跡

 

旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡

碑文

ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間

が営々と働いた 相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。 往時を偲べば、先人や友の姿が

彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。

第二次大戦後 工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根

差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。

建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春

 

海軍工廠

更新日:2012/12/02