回天烈士:故勝山 淳と

昭和20年7月24日を偲ぶ会

 

平成12年 9月24日(日) 

 

出席者(順不同)

1.ヘンリー・ロード様(米駆逐艦「アンダーヒル」乗組員ご遺族)

2.山田  穣様   (海兵72期、伊53潜=回天勝山艇搭載=航海長)

3.峯  眞佐雄   (海兵73期、第十二基地回天隊々長)

4.勝山 忠男様   (海兵73期、故:勝山  淳少佐ご令弟)

5.小野 正実氏   (海兵73期、故:勝山  淳少佐甥/当日の主催者)

6.ご遺族の皆様

7.峯  一央    (海兵73期、峯 眞佐雄長男)

 

勝山 淳海軍少佐 ご実家

茨城県那珂郡那珂町

ご実家の前にて

(左から) 3、2、4、6

 

ご実家にて

(左から) 4、2、3

 

回天烈士・故勝山 淳と昭和20年7月24日を偲ぶ会

(左から) 4、5、1、2

 

ヘンリー・ロード氏から勝山家への信書朗読

(左から)5、1

※この仏間は、勝山少佐が少年時代を過ごされた部屋です。

 

白河内十三塚墓地

茨城県那珂郡那珂町

勝山 淳海軍少佐 墓碑

55年振りに墓参を果した、山田元海軍大尉(右:兵72)、峯 元海軍中尉(左 :兵73)

 

平成12年9月25日/茨城新聞

「偲ぶ会」の様子を伝える茨城新聞

 

小野正実氏 寄稿

私は海兵73期生であった故勝山淳の甥にあたるものです。 既に産経新聞・茨城新聞に掲載された記事に

ある様に、故人は人間魚雷「回天」の搭乗 者として終戦直前に米国海軍駆逐艦アンダーヒルに突入・戦死

しました。

今になって思えば不思議でなりませんが8月上旬にヤフーの米国サイトにて何気なく 「kaiten」の文字を入力

して検索結果の最初に出てきたHPをアクセスしたのが事の始 まりでした。 勝山淳の戦死した日は、日本の

回天に関するHPで「昭和20年7月24日」と確認し ておりましたので、その米国のHPに記載されている駆逐

艦アンダーヒルが沈没した日 を見て驚くとともに、さらにその文章を読み進めていくと、帝国日本海軍潜水艦

イー5 3の記述と4名の回天搭乗者の氏名・階級が記載されていたのを見たときは言葉に言い表せない感情

を抱きました。 

それまでは、勝山淳の妹である母(文江)から幼少の折りに「人間魚雷「回天」にて戦 死した」との事実しか知

りませんでしたが、この米国のHPの文章には、駆逐艦アンダ ーヒルが叔父の回天を捕捉してからその突入

までをアンダーヒルの生存者・哨戒艇の人 達が間近で見た事実が述べられておりました。 海兵73期クラス会

々報に故勝山淳のアンダーヒル突入に関して回天会の小灘会長から 資料が寄せられていた事を、海兵73期

の峯 眞佐雄様のご子息の一央様からコピーを 頂いて知りましたが、米国人の目で見た「事実」を知った時の

悲しみは戦後生まれの私でさえ感じざるを得ませんでした。 このHP管理者の米国人へ「故勝山淳の甥」である

旨のメールを送るとともに、この方 からアンダーヒルの生存者へ伝えられ、さらにその生存者の戦死した友人

のご子息(今 回、勝山家を訪れたヘンリー・ロード氏)へと伝えられました。 

最終的にヘンリー・ロード氏の来日のスケジュールが決まってから、9/20に共同通信社にこの事を連絡しま

した。誤算だったのは、当初、ロード氏は日本語ができるとの 事を前述のアンダーヒルの生存者から聞いてい

たのですが、あいさつ以外は日本語は話 せなかったこと、当初日本人の友人との同席を希望したので「通訳

される方」と期待し たのですが、結局ロード氏お一人でお見えになって十二分に話ができなっかたことがあげ

られます。 しかしながら、4歳で父親(34歳)を失ったロード氏は当然ながら父親に関する記憶 が全くないこと

(2歳の時に志願して海軍に入隊したとのこと)を述べられるとともに 、新聞で紹介されたように、戦争の悲惨さ

を後世に伝える事と次の世代の世界には戦争が無いことを切望している事を会合の席で話されておりました。 

子供の頃、又、昨年亡くなった母親の苦労を思い出したのでしょうか、時折言葉を詰ま らせて勝山家に送った

手紙の内容を私達の前でスピーチされていました。 

 

今回の「故勝山淳と昭和20年7月24日を偲ぶ会」は日米双方の「遺族」が出席する と言う極めて異例な形と

なりましたが、亡くなった家族に対するその思いは、国は異な ってもなんら変わるものではない事を再認識致

しました。 又、今回のロード氏の目的の一つは下記に示す昭和20年7月24日の日本側の情報や 回天搭乗

者の選任方法等を詳しく知りたい思いがあったようです。 

 

1.アンダーヒルが攻撃を受ける前に日本の偵察機を数十人の人達が目撃してい たが、

偵察機からイー53潜へ連絡があったのではないか。                  

2.アンダーヒルの様な駆逐艦になぜ回天を使用したのか。                 

 3.発進した回天の数は何艇か。                                  

4.回天の搭乗員は志願したのか。                                

                       

これらの質問に対して、イー53潜の山田元航海長と海兵73期で同じ回天搭乗員であ った峯 眞佐雄様がお

答えし、直接の当事者からそのご回答を得たロード氏は納得されていたようです。 しかしながら、アンダーヒル

の撃沈に際して発進した回天の数が勝山艇のみと言う事実は納得されていたかどうかわかりませんが、水戸

駅に彼をお送りする途中で、

「(アンダーヒルを一人で攻撃・沈めた)勝山 淳は勇気がある、そうは思わないか?」

と言われ て、「そうは思うが、叔父が今生きている方がその事よりも大事である。」との返事を したところ頷い

ておりました。

 

勝山  淳

更新日:2010/08/03