血染の鉢巻

周南市回天記念館へ寄贈

 

平成16年 8月30日(月)

日刊新周南

 

血で「日の丸」描いた鉢巻き

回天の部品製造の呉第一高女生が贈る

元搭乗員から回天記念館へ

 

周南市大津島の回天記念館に26日、旧呉第一高等女学校の生徒が人間魚雷回天の搭乗員

のために小指を切った血で日の丸を描いた鉢巻きが元搭乗員から贈られた。鉢巻きは千葉

県在住の峯眞佐雄さん(80)が60年近く大切に保管していたもの。長男の一央さんが

届け、9月2日から回天記念館に展示される。

 

大戦末期の特攻兵器、回天は一九四四年(S19)九月に大津島に搭乗員の訓練基地が開

設され、1,375人が訓練を受けた。11月の初出撃から今年で60年になる。この作

戦の戦没者は搭乗員、整備員合わせて145人。同記念館は主に戦没者の遺影、遺品、

遺書などを展示している。

呉第一高女は呉海軍工廠に動員され、回天の部品製造に携わった。同館には生徒が搭乗員

に贈った人形や回天搭乗時に使った座布団もある。

 

今回の鉢巻きは4年生だった5人が作った5本のうちの1本。長さ90センチ、幅12セ

ンチで、血染めの日の丸と「赤心」の文字を中心に「峯中尉祈成功」「見もやせぬ君のみ

すがた目に浮かべ神々しさに頭下がりぬ 登美子作」の歌、5人の書いた「一発必中」

「轟沈」「誠心」などの言葉と署名の寄せ書きがあり、

「昭和二十年一月二十一日」「広島県立呉第一高女 四年い組」「呉海軍工廠水雷部 縦

舵機工場調整班 動員学徒 佐光登美子」と記されている。

五本の鉢巻きは同工廠の45年(S20)8月、本土決戦のため大津島から千葉県の出撃

基地に移動したが出撃しないまま終戦を迎えた。回天記念館の慰霊祭にも出席したが、鉢

巻きは持ち続けていたという。

 

同館の小川宣館長は「遺品ではないが当時の時代背景を伝える重要な史料」と話し、鉢巻

きを贈られた5人と贈った女生徒の写真と一緒に展示することにしている。また峯さんは

10月に海兵の同期生と同館を訪れて鉢巻きと再会する。

 

贈られた鉢巻

 

血染の鉢巻

 

更新日:2004/09/19