金属供出

 

昭和13年、政府は戦局の悪化と物資の不足、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うため、鉄鋼配給規

則を制定する一方、不要不急の金属類の回収を呼びかけ声明を発表。

更に昭和14年1月以降は、マンホールの蓋・ベンチ・鉄柵・灰皿・火鉢等の鉄製品回収が官公署(役所)・

職場や 愛国、国防両婦人会や女子青年団の手で実施された。

しかし法的強制力の無い任意の供出であったため、昭和16年8月30日には国家総動員に基づく金属類回

収 令を公布、同年9月1日施行され、官公署・職場・家庭の区別なく根こそぎ回収へと進んだ。

昭和17年には、各県が資源特別回収実施要綱を定め大々的な回収に乗りだし、翌18年9月には東京都で金

属非常回収工作隊が結成された。

全ての役所と国民学校・中学校の暖房器機から二宮尊徳像まで回収対象となり、家庭の鍋釜・箪笥の取手・蚊

張 の釣手・店の看板なども回収された。

同年11月には「まだ出し足らぬ家庭鉱」のスローガンのもと回収が強行され、火箸・花器・仏具・窓格子・

金銀杯・ 時計側鎖・煙・置物・指輪・ネクタイピン・バックルに至るまで根こそぎ回収された。

宗教施設も例外では無く寺院の梵鐘も数多く供出されたが、鐘楼は梵鐘の重量でバランスを保つ構造になって

いる事から崩壊の危険が有り、多くの寺院では石・コンクリート等で作られた代替梵鐘を吊り下げた。

地方鉄道のレールも対象となり、複線の鉄道路線はレールが撤去されて単 線となった。

また軍神第一号の広瀬武夫海軍中佐の銅像や、各地の戦没者慰霊のために献納された砲弾等の鉄製品も対象に

なり撤去された。

 

旧万世橋駅前(東京都千代田区)に有った広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像 …昭和18年に金属供出で撤去

 

城山公園

岐阜県高山市

軍神・広瀬中佐銅像    昭和18年に金属供出で撤去、この銅像は戦後の再建

 

香椎宮

福岡県福岡市東区

献納の鷹

碑文

かつて献納の鷹 大東亜戦争中 銅鉄回収の為供出 終戦後初の勅使御参向に対し再献

昭和三十年三月

 

称名寺

福岡県福岡市東区

供出された福岡大仏の台座

 

供出前の福岡大仏

 

本土決戦

更新日:2013/08/25