風船爆弾

 

  

大津基地(茨城県)                放流された風船爆弾

 

大本営命令(昭和19年)

気球連隊は米穀本土に対し、気球をもってする攻撃を開始すべし。実施期間は十一月

初頭より明春三月頃までと予定するも、状況により之が終了期間を更に延長することあ

り。攻撃開始は概ね十一月一日とす。但し十一月以前に於ても気象観測の目的を以て

試射を実施することを得。試射に当りては実弾を装着することを得。

 

投下物料は爆弾及び焼夷弾とし、その概数次の如し。

十五瓩爆弾 約 7500個五瓩焼夷弾 約30000個十二瓩焼夷弾 約7500個

 

放球数は約15000個とし、月別放球標準概ね左の如し。

11月 約500個とし、五日頃までの気球数を努めて大ならしむ。

12月 約3500個1 月 約4500個2 月 約4500個3 月 約2000個

放球数は更に約1000個増加することあり。

 

放球実施に当りては、気象判断を適正ならしめ以て帝國領土並びに「ソ領」への落下

を防止すると共に、米穀本土到着率を大ならしむるに努む。

 

(中略)

今次特殊攻撃を「富号試験」と呼称す。

 

アメリカ本土に到達した風船爆弾

地域 地域
ワシントン 25 北ダコタ
オレゴン 40 南ダコタ
カリフォルニア 22 ネブラスカ
ネバダ アイオワ
アイダホ カンザス
モンタナ 32 テキサス
ワイオミング ミシガン
ユタ カナダ 78
アリゾナ アラスカ 24
コロラド

277

メキシコ、ハワイ、その他の地域でも落下が確認されている。

 

米軍は、日本からの気球兵器の到達に関して、厳重な報道管制を敷いた。太平洋

戦争の勝利を目前にしたアメリカの戦争指導機関は緻密な防衛作戦を練った。

 

 

五浦海岸

茨城県北茨城市/陸軍気球連隊 第一大隊 大津基地跡

風船爆弾放流地跡 わすれじの平和の碑

新しい誓い

海のかなた 大空のかなたへ 消えていった 青い気球よ あれは幻か

今はもう 呪いと殺意の 武器はいらない 青い気球よ さようなら さようなら戦争

 

風船爆弾放流地跡

この辺一帯は 昭和19年11月から昭和20年4月の間 アメリカ本土に向けて風船爆弾

を放流させた地です 背後の低い丘と丘にはさまれ 現在は田んぼに復元されている幾

つもの沢に 放球台や兵舎 倉庫 水素タンクなどが設置されていました

これは極秘の「ふ」号作戦といわれ 放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一宮海

岸 あわせて三ヶ所でしたが 大本営直属の部隊本部はこの地にあり作戦の中心でした

晩秋から冬 太平洋の上空八千メートルから一万二千メートルの亜成層圏に最大秒速

七十メートルの偏西風が吹きます いわゆるジェット気流です 風船爆弾は五十時間前

後でアメリカに着きます 精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下したのち 和紙とコンニ

ャクのりで作った直径十メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けでした

第二次世界大戦中に日本本土から一万キロメートルかなたのアメリカ合衆国へ 超長

距離爆撃を実行したのはこれだけであり 世界史的にも珍しい事実として記録されるよ

うになりました 約九千個放流し 三百個前後が到達 アメリカ側の被害は僅少でした

が 山火事を起こしたり 送電線を故障させ原子爆弾製造を三日間遅らせた という事

実もあとでわかりました

オレゴン州には風船爆弾による六人の死亡者の記念碑が建っています ワシントンの

博物館には不発で落下した風船の一個が今も展示され 深い関心の的になっています

しかし戦争はむなしく はかないものです もう二度と繰り返さないように努めましょう 

この地で爆発事故のため 風船爆弾攻撃の日に 三人が戦死したことも銘記すべきで

しょう 永遠の歴史の片隅で人目を偲び いぶし銀のようにささやかに光る夢の跡です

 

江戸・東京博物館

東京都墨田区

    

風船爆弾(レプリカ)               浅草国際劇場(風船爆弾の工場)の鉄骨

  

多聞寺

東京都墨田区

浅草国際劇場(風船爆弾の工場)の鉄骨

説明文

1945年(昭和20年)3月10日未明、アメリカ軍 B29 330機により無差別空襲を受け、

下町一帯は「炎の夜」と化した。この東京大空襲により下町は壊滅状態に陥り、死者10万

人、負傷者11万人、100万人が家を失った。(犠牲者の氏名、正確な人数は現在も不明)

この旧浅草国際劇場の鉄骨(大部分は江戸・東京博物館に展示中)は、東京大空襲を語り

継ぐ数少ない歴史的資料である。風船爆弾の工場となっていた浅草国際劇場も直撃弾数発

を受け、屋根を支えていた鉄骨は曲がり、ちぎれ、天井の大部分が抜け落ち、たくさんの人

が焼死した。目の前の痛々しくひきちぎられた鉄骨に向かって目を閉じてみると、炎の夜の

恐怖がよみがえる。

戦争の実相を伝える「証人たち」に静かに心を傾け、不殺生の誓いを新たにしましょう。

 

紙のまち資料館

愛媛県四国中央市

風船爆弾の原紙(こんにゃく紙)

昭和19年5月、陸軍兵器行政本部兵需課より愛媛県製紙試験場に、「ふ号気球爆弾」の風船部分

製造の発注があり、楮黒皮処理の水選り・成形加工は学徒動員の女生徒らによって行われた。

  

川之江高等女学校動員学徒への表彰状             工場で働く女子動員学徒(小倉造兵廠)

 

本土決戦

更新日:2004/08/07