コンクリート船

 

建造の経緯

第二次世界大戦で鋼材不足を補うため、舞鶴海軍工・廠 林 邦雄海軍技術中佐がコンクリート船

を設計、研究の結果、本部にて採択され大阪府土木会社武智昭二郎氏により高砂市の塩田跡地の

造船所にて建造した。

広島県内では安浦町二隻、音戸町一隻が現存している。

 

安浦漁港

広島県豊田郡安浦町

第一武智丸(陸側)、第二武智丸(沖側)

説明板

武智丸は昭和十九年から二十年にかけて四隻建造、三隻就航、瀬戸内海を始め南方にも航海

したといわれる。

昭和二二年当時、安浦漁港には防波堤が無く台風の都度漁船に被害が発生するので、武智丸

を防波堤として据え付けることに決定した。

 

  

第二武智丸

第一武智丸

 

坪井漁港

広島県安芸郡音戸町

      

防波堤建設記念碑                                コンクリート船

 

本土決戦

更新日:2003/05/26