鳥取縣護國神社
鳥取県鳥取市
. 海軍忠魂紀念碑 鳥取県少飛会/陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑
古南決死隊顕彰碑
碑文
昭和二十年四月五日 ビルマ国タゥンガップ地区三七〇高地英印軍陣地に斬込死守の命を受け 隊長古南
大尉以下三十四名決死突撃を敢行激戦の末同地を占領せり 然れ共隊長以下多数の将兵護國の華と散る
茲に顕彰碑を建立し在りし日の壮容を偲ぶ
比島戦没者慰霊碑
碑文
昭和十九年十二月 比島戦線急を告ぐるや歩兵第六十三連隊・通称鉄五四四七部隊は山下大将の麾下
に入り ルソン島に向かふ海域は既に米軍の制圧下に在り 第三大隊将士の過半は上陸寸前乗船と運命
を共にせらる 連隊は之を痛哭しつつも上陸を完了してバレテ地区に檬る
昭和二十年一月より装備を誇る米軍二箇師を迎撃して譲らざること五箇月 敵をして地のバレテ峠と嘆じ
せしむ 然れども其の間連隊は大半の将士を喪ひ食料また尽きて転進の止むなきに至る 惨たる飢餓の
行進を辿りて漸くウットワガシに達せしが 九月十日敗戦の大詔を伝達せらる
噫 北満より征途に就きしは林連隊長以下二千三百二十名なりしに 残存するは僅かに百五十名なり 茲
に歩兵第六十三連隊比島戦没者慰霊碑を建立し護國の忠魂を無窮に伝えんとす
九二式重機関銃、擲弾筒、鉄帽、水筒、飯盒
来歴書
これらの品は昭和二十年の太平洋戦争の末期、フィリピンのルソン島バレテ峠の激戦地において鉄兵団が
米軍と交戦したときに使ったものです。
昭和四十八年十一月、政府のフィリピン戦没者遺骨収集事業が実施されたとき、現地で収集し日本に還送
されたものです。
バレテ地区の戦闘で敢闘散華された戦没者の遺品でありますので、同地区戦闘の主役として戦った歩兵第六
十三連隊(鉄第五四四七部隊)の戦没将兵の郷土に永く保存することとして、バレテ会が譲り受け鳥取縣護國
神社に奉納したものであります。
更新日:2006/12/05