宮城縣護國神社

宮城県仙台市青葉区

 

 

 

  

.          拝殿                               私たちは決してあなたたちを忘れない あゝ特攻

 

  

  天皇陛下 御製碑                               天皇陛下 御即位二十周年記念 献木

 

  

    重陽会(歩兵第四連隊)奉納 国旗掲揚台                第二十一師団工兵第二十六部隊 慰霊祭記念植樹

 

鎮魂の泉

鎮魂の泉 碑文

この碑は、我国の今日の平和と繁栄を念じつつ遥かなる異国の戦場で力の限り尽くされ、遂に一滴の水も飲めず

散華された郷土出身五六,〇〇〇余柱の御祭神に、青葉城本丸下百八十メートルの地中より汲み上げた水を、四

六時中捧げ御霊が永久に鎮まられますよう作成した。

石組みは「青葉の山河」をモチーフにし、武運長久を祈願された産土神社より奉納された石、及び激戦地ガダルカ

ナル島、ビルマ、硫黄島、グアム、サイパン、テニアン、中国、占守島等、御祭神ゆかりの戦跡の石、砂、さんご礁

等を用いて大東亜戦争集結五十年を記念し建立した。

平成七年八月十五日

 

別宮 浦安宮

 

英霊顕彰館

英霊顕彰館

 

  

英霊の遺影展示

陸軍第四連隊軍旗                                    戦艦大和模型

 

  

鈴木三守海軍中佐の遺影と一種軍装

真珠湾軍港 第一次攻撃隊 「加賀」雷撃隊 第二中隊 第四十四小隊 一番機

大正 4年 1月 1日生れ、宮城県登米郡石森町出身、海兵65期出身、海軍中佐

 

いまだ眠りから覚めぬ真珠湾を急襲、敵艦めがけて発射した魚雷は見事命中、入神の腕の冴えを見せると同時に

鈴木機はそのまま敵艦に体当りし、壮烈なる戦死を遂げた。享年27歳。

 

青葉城公園

    

日清戦争 昭忠碑

説明文

この塔は、明治4年日本の護りとして仙台に鎮台(後の陸軍第二師団)が設置されてより、西南の役(明治10年)、

京城事件(明治17年)、日清戦争(明治27・28年)等の間、日本の内外の戦いで、東北各地の将兵が多く戦死しま

した。これらの人々が日本の独立と平和の為に戦った志と、その死を悼み、慰霊の為に、知事、市長、第二師団長

等が発起人となり、広く募金により明治35年11月に竣工しました。

塔は頂上の鵄迄約20メートル、鵄は青銅製で翼巾6.7メートル、重量17.5トンで、遠く大陸を睨んでいると言われ

ます。「昭忠」の字は小松宮彰仁親王の親書です。

招魂社(護國神社)完成迄、この場所で毎年慰霊祭が行われました。

宮城県郷友会

 

  

日清戦争 昭忠碑

 

2009.08.1 5 宮城縣護國神社   英霊感謝祭

 

靖國の祈り

更新日:2009/08/16