三重縣護國神社

三重県津市

 

 

 

予科練の櫻

 

陸軍少年飛行兵戦没者為慰霊 奉燈

碑文

散華された陸軍少年飛行兵の英霊に鎮魂の誠を捧げます

大東亜戦争に於いて三重県出身陸軍少年飛行兵七十八柱が散華されました

尊い命で築かれた平和日本の姿を後世に伝えるため 生存者一同先輩同期の慰霊顕彰の証として

ここに燈篭を奉納するものであります

平成十一年十月三十一日  三重翔飛会建立

 

歩兵第五十一連隊慰霊碑

碑文

連隊は明治三十八年創建 樺太等に出兵 爾後神都守護の大任を以て三重県久居市に駐屯す

然るに大正十四年五月軍縮により廢止せらる 昭和十三年七月日華事変の拡大に伴ひ再建 三重京都奈良で編成を完結

第十五師団の隷下に入り同年八月渡支 南京東南地區に分駐し治安警備並に各作戦に参加 赫々たる武勲を収む

大東亜戰急を告ぐるや昭和十八年八月ビルマに転進 インパール作戦に加はり真に特攻精神を発揮す

昭和二十年八月十五日大命により終戦 此の間軍旗の下盡忠報國祖国繁栄を祈念しつゝ國家の人柱となられた戦友は

実に四千有餘柱に及ぶ。

茲に護國の神となられた英霊の名を誌し供華臺に納め鎮魂の碑となす。

昭和五十一年四月  歩兵第五十一聯隊(祭第七三七〇部隊)生存者一同

 

歩兵第百三十三連隊戦没者慰霊碑

 

歩兵第百五十一連隊戦没者慰霊碑

慰霊碑銘

歩兵第百五十一連隊(安第一〇〇二二部隊)は昭和十六年九月三重県久居町に新設され 昭和十八年十一月動員下令

昭和十九年三月ビルマ国へ出動した 聯隊主力はインド国インパール攻略戦に第一大隊は北ビルマ戦線に五月より参加

した 時あたかもビルマは雨期に入り 山中にて食糧その他の補給も無く 栄養失調と過労により身体は衰弱し マラリヤ

下痢等に悩みながらも勇戦奮闘した

十一月よりオークトウ マンダレー タウンタ付近の戦闘に参加し 優秀な装備の敵と交戦 戦場は惨烈苛酷をきわめた

その後各地を転戦し 昭和二十年六月より雨期の泥沼の如きシツタン河口に於て 必死の攻防戦を展開中 八月終戦の

大詔を拜するに至った

風土の異なる遠き辺境に於いて 戦陣にあること一年五ヶ月 この間連合軍 悪疫との戦に斃れたる戦友は二千九百余柱

を数える 誠に痛恨の極みである

ここに慰霊碑を建立し 祖国に殉じたる戦友の遺烈を偲び その功績を顕彰する 在天の英霊願わくは永久に安らかなら

んことを

昭和五十五年十月  歩兵第百五十一聯隊戦友会建之

 

近衛歩兵第一連隊碑

 

旧舞鶴重砲兵連隊 戦友会三重支部 奉納石灯籠

 

三重縣護國神社奉賛会 奉納石灯籠

 

母の像

 

遺品資料館

 

 

 

靖國の祈り

更新日:2012/01/15