濱田護國神社
島根県浜田市
独立歩兵第五百十八大隊記念碑 ノモンハン事変戦没者慰霊碑
平和祈念 傷痍の碑 母子の像
木口小平銅像
木口小平
岡山県出身。
歩兵第21連隊第12中隊所属(二等卒)、日清戦争に喇叭手として従軍。木口小平が所属する部隊では,木口がラッパを吹くと必ず勝つというジンクスがあった。
明治27年7月29日、朝鮮成歓
の戦闘で突撃ラッパを吹いている時に敵弾を受け倒れた。ラッパが突然止んだために隊長が「ラッパはどうした?」と問いかけると、木口小平は銃
を杖にして立ち上がりラッパを吹き続けたと云う。
部隊は突撃を続け敵陣地を占領したが木口小平の姿が無く、不審に思った隊長が引き返す
と木口小平はラッパを吹いている姿勢のまま息絶えていたと伝えられる。享年23歳
ラッパを吹き続けながら息絶えた壮絶な最期が、当時の人々に深い感動を与え「軍神」として崇
められ、
国定修身教科書に紹介された。キグチコヘイハ イサマシク イクサニデマシタ
テキノ タマニ アタリマシタガ
シンデモ ラッパヲクチカラ ハナシマセンデシタ
喇叭余話
胃腸薬として知られる「正露丸」は、明治35年に「忠勇征露丸」として製造販売が開始された。「忠勇征露丸」の名称は、当時暗雲が立ち込めていた日露関係に由来し 、、昭和24年に「中島正露丸」に
名称変更されるまで使用された。
「ラッパのマーク」は、木口小平の逸話からつけられたと云わ れている。
忠勇征露丸/中島佐一薬房 現在の正露丸/大幸薬品
国府中学校
島根県浜田市
歩兵第二十一連隊 旧兵舎
歩兵第二十一連隊 旧兵舎
更新日:2007/04/30