秋田縣護國神社

秋田県秋田市

 

 

 

 

平成 2年 7月 9日未明、即位の令に反対する過激派により社殿にしかけられた時限爆弾が爆発し、

社殿は瞬時にして炎上し全焼。しかし、本殿内に安置されていた御神体および霊璽簿は無傷であった。

大嘗祭のための神饌を収獲する神田が秋田県内に選定されていたことが関係していると見られている。

平成 3年 5月21日復興御造営地鎮祭を執り行い、平成 4年 9月竣工。

 

秋田招魂社 旧参道

 

殉國秋田県人之碑

 

秋田招魂社址の碑

 

忠魂碑

 

さざれ石

 

建国の日 二月十一日

 

明治天皇御休憩所

 

大正天皇御休憩所

 

天皇陛下 皇后陛下 御親拝記念碑

 

満蒙開拓青少年義勇軍慰霊碑

 

独立歩兵第八十四大隊戦友会 奉納燈籠

 

北支派遣勝第四二一二部隊 奉納燈籠

 

境内より秋田市内を望む

 

総社神社

秋田県秋田市

あゝ忠烈萬世に燦たり大東亜戦争の意義また不滅なり 特別攻撃隊忠魂之碑

特別攻撃隊忠魂之碑について

この碑は現在のツバサ広業且ミ長「桝谷健夫」氏の建立により、平成四年四月二十九日に建立された。

桝谷氏は昭和十九年五月海軍志願兵で、昭和二十年五月に長崎県大村湾で編成された第三特攻戦隊

川棚突撃隊に配属され毎日のように特攻の出撃を見送り、遂に出撃を目前にして終戦を迎えた。

郷里に帰還してから戦死された数々の戦友の消息を遺族に伝えると共に、特攻戦死者の偉業を仰ぎ、真

の思いを後世に伝えその忠魂を顕彰することが生存せる自分の務めと自責を負って以来、本来国や県な

ど公でやらなくてはならない戦没者の名簿を私費で刊行し遺族に配布、また数々の戦争写真集や体験記

を書籍にまとめ広報に努められた。

 

あゝ忠烈萬世に燦たり大東亜戦争の意義また不滅なり 特別攻撃隊忠魂之碑

 

秋田県陸海軍特別攻撃隊戦死者五十六柱の遺影 (一部)

 

靖國の祈り

更新日:2011/07/31