剣の御所

 

剣の御所

昭和20年8月15日終戦。

翌々17日九州大村基地に駐屯していた、海軍第三四三航空隊(通称剣部隊)の源田 実指令は軍令部に呼ば

れ、作戦部長の富岡定俊少将から『皇統護持作戦』秘令を受けた。

それは建国以来、天皇家を中心に歩んできた我が国にとって、国体の象徴である皇統を護持することは国家再

建に不可欠の一大事である。

政府首脳は宮内庁と高松宮の御同意を得て、万一の場合ひそかに皇室の若宮を匿い天皇家の血筋を守るとい

うものである。

源田先生は、若宮をおかくまいする行在所の候補地として、四国の山中を第一候補として考えていた。

その後九州での展開が決まった直後、現地松山からの士官がもたらした報告によると、適地は愛媛県上浮穴郡

面河村のうちの三ヶ所であった。その一つは落武者の開いた隠れ里 大成だったという。

源田先生は、作戦のため造営した宮崎県杉安の行在所について、「あれは日本の昭和史の特筆すべき太平洋

戦争終戦時の貴重な史跡です。

長岡先生の手で、皇室に関することですから静かにそっと、保存していただきたい。」と遺言されていた。

その約を踏んで幻の行在所をたずね、所有者の後口家と話し合い、大成神宮境内にある源田先生埋髪塔に近

いところに、剣部隊の名称にちなんだ『剣の御所』として移築完成した。

平成9年のことである。

(参考:大成神宮公式サイト

 

大成神宮

愛媛県上浮穴郡面河村

剣の御所

説明版

剣の御所は昭和二十年八月大東亜戦争終結のとき 政府首脳から 皇統護持の秘命を受けた

剣部隊司令 源田 實海軍大佐が血盟の部下二十三名とともに 宮崎県の秘境 上穂北村杉安

の里に 土地の素封家 後口 茂大人の献身的な協力により造営した行在所である

同年九月二十七日 連合軍最高司令官マッカーサー元帥が昭和天皇と会見し 陛下のご聖徳

に接した元帥は 天皇制存続を決定した

この日本民族の歴史的にも貴重な文化財を永久に保存するため 平成九年二月 行在所造営

の第一候補地であったこの地に遷座した

剣の御所保存顕彰会

 

剣の御所

 

 

落武者の開いた隠れ里 大成

 

源田 實先生埋髪塔

 

大成神宮 参道

 

大成神宮 磐坐

 

昭和天皇 御手植えの松

 

閑話休題

更新日:2009/10/01