従軍看護婦

 

昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、

延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・

内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云わ

れている。

しかし従軍したのは日赤の看護婦だけでなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも

及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職者の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。

 

日本赤十字社 戦時救護看護婦出陣式

 

戦後、昭和25年に朝鮮戦争が勃発。九州地方では日赤をはじめ国立、公立、民間から千人以上の看護婦

が再び召集され、米軍博多キャンプの野戦病院において米軍看護婦の指揮下で働かされ、また南朝鮮の戦

場に送られ、米軍傷病兵の看護にあたらされた看護婦もいた。

 

日本赤十字社

東京都港区

    

殉職救護員慰霊碑

 

靖國神社

東京都千代田区

参道 大灯籠レリーフ

救護

兵站病院に於ける日本赤十字社救護看護婦の活動

 

福島縣護國神社

福島県福島市

    

殉職看護員慰霊碑

 

山梨縣護國神社

山梨県甲府市

    

日本赤十字社山梨県支部 愛の燈

 

静岡縣護國神社

静岡県静岡市

    

日本赤十字社静岡県支部 愛の灯

碑文

昭和十二年以降の戦時事変等に際し赤十字の旗のもとに 日本赤十字社静岡県支部救護員として

応召し 国の内外において傷病者の救護に献身し 博愛と奉職の使命に殉じられた方々の遺徳を

偲び その御霊のとこしえに安かれと祈ってこの碑を建立しました

平和のいしずえとして尊い命をささげられた私どもの同胞が こよなき誇りを抱きつつかかげた愛

の灯の偉大さをしのび ふたたびこのような悲惨なことがないようにと念願し これを後世に永く伝

えようとするものであります

 

舞鶴引揚記念館

京都府舞鶴市

  

殉職救護員像ひな形                           日赤従軍看護婦の会献木

 

比島観音

愛知県幡豆郡幡豆町

    

南方第十二陸軍病院戦没者慰霊碑 天使の祈り

碑文

明治から大正、昭和にかけて各戦役に従軍した看護婦たちの御霊 今静かにここに眠る

遠く故国に肉親恋人を残し北辺の原野に南溟のジャングルに幾十万の命を看取りながら

自らは花と散って行ったうら若きおとめたち 第二次大戦末期敗色濃くなるにつれ精魂尽

きて 禁断の河水を飲み薄化粧して死地に赴くなど 酸鼻の極言うに耐えない

(後略)

 

本門寺

東京都大田区

    

日本看護婦会慰霊塔

 

呉海軍墓地

広島県呉市

  

呉所管看護長・看護師・看護手・看護婦之墓地

 

閑話休題

更新日:2008/11/03