満淵正明

陸軍中尉

 

昭和21年4月18日付け 朝日新聞の記事

昭和20年5月26日、B29の大編隊の一機が千葉県長生郡日吉村上空で墜落し、乗員11名の

うち5名は生存したが、2名重傷を負い、4名は死体で収容された。重傷者の一名は間もなく死亡

した。たまたま同地にあった護國兵団第402連隊第一大隊第一斬込中隊長・満淵正明中尉は、

俘虜を診察し、また収容するため急行したけれど、大隊附軍医と憲兵隊長から、この重傷ではど

のような手当を加えても助かる見込は無いと告げられ、その処置を一任された。満淵中尉はその

時、指揮班長曹長・境野鷹義の建言に基き、いたずらに苦痛の時間を長からしむるのは人道に

合わないと断じて、同曹長に命じて、エムリー少尉と認定される俘虜の首を刎ねた。このことが、

終戦の後、米国第八軍の調査で判明したものである。

 

横浜BC級軍事法廷

満淵中尉と弁護団は、「瀕死の重傷にあるエムリー少尉を斬ったのは、日本武士道の精神にの

っとった介錯である」と主張したが、軍事法廷は有罪の判決をもって閉廷し満淵中尉には絞首刑

が言い渡された。

 

昭和21年9月6日

巣鴨プリズンにおいて刑死、享年32歳。

 

長栄寺

千葉県長生郡長柄町

鎮魂碑

碑文

大東亜戦争の昭和二十年五月廿五日米軍B29が日吉村榎本地区に墜落搭乗員十一名中死亡六名

の内エムリー少尉が日本駐屯兵のなかの境野鷹義曹長により斬首されその後満淵正明中隊長が全

責任を負い巣鴨にて絞首刑となりすでに五十年。ダーウィンTエムリー少尉と満淵中隊長の鎮魂と世

界平和を祈念し茲に碑を建立す。

 

軍事裁判

更新日:2004/02/15