艦内神社

戦艦長門

 

宿毛湾外で全力公試中の戦艦長門

 

艦歴

大正 6年 8月28日 八八艦隊計画の一号艦として呉海軍工廠にて起工

大正 8年11月 9日 進水

大正 9年11月15日 竣工

昭和11年  月  日 大規模改装、ボイラー換装・装甲の追加、対空機銃の増設

昭和16年12月 2日 連合艦隊旗艦、暗号無電「ニイタカヤマノボレ1208」を打電

昭和16年12月 7日 真珠湾攻撃

昭和17年 2月12日 山本五十六司令長官は大将旗を「大和」に移動

昭和17年 6月  日 ミッドウェー海戦に参加、戦闘は行わなかった

昭和19年 6月  日 あ号作戦(マリアナ沖海戦)に参加

昭和19年 6月19日 第二航空戦隊「飛鷹」と「隼鷹」の護衛

.           空襲を受けるが損害は軽微

昭和19年10月  日 捷一号作戦に参加

昭和19年10月24日 シブヤン海海戦

.           米艦載機から2発の爆弾を受け52名戦死、106名負傷

昭和19年10月25日 二発の爆弾を受けるが損害は軽微

昭和19年10月26日 米艦載機から4発の爆弾を受け38名戦死、105名負傷

昭和19年11月 5日 マニラ空襲(〜13日)

昭和19年11月18日 日本への帰路に付く

昭和19年11月25日 横須賀港に到着

昭和20年 2月  日 沿岸防御の任を受く

昭和20年 6月 日 特殊警備艦に艦種変更

.           副砲・対空兵装を陸上げしマスト・煙突も撤去、空襲擬装用に緑系の迷彩塗装

昭和20年 7月18日 米艦載機から攻撃を受け3発の爆弾が命中

.           艦橋が破壊され大塚 幹艦長(少将)戦死

昭和20年 8月15日 終戦

 

昭和20年 8月30日 アメリカ軍により接収

昭和21年 3月18日 クロスロード作戦(核実験)の標的艦としてマーシャル諸島・ビキニ環礁へ移動

昭和21年 7月 1日 第一実験では爆心予定地から400mのところに配置

.           長門は殆ど無傷、同時に標的にされた「昭和21年 」は翌日沈没

昭和21年 7月25日 第二実験では右舷側に約5度傾斜

昭和21年 7月28日 同日深夜から29日未明にかけて沈没

.           夜間、艦内への浸水により静かに転覆し沈没したと見られる

 

戦後

終戦時、長門は日本海軍において航行できる唯一の戦艦だった。

大洋漁業(現:マルハニチロ水産)が捕鯨を再開するための母艦として第二復員省へ軍艦の借用を依頼、

その第一候補として例示されたのがこの長門だった(最終的には海軍第一号型輸送艦を借用)。

 

戦艦長門の最期

長門より爆心に近かった米大型艦はほぼ瞬時に沈み、長門が二度被爆しても沈まなかった事は、当時の 日

本では「米艦が次々沈む中、長門が名艦だった証拠、日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝された。

現在、長門の艦橋は折れて上下逆さまに沈没しており、沈没地点はダイビングスポットとして観光資源と

なっている。

 

昭和十二年度 軍艦長門総員

 

昭和19年10月、ブルネイでの長門

 

昭和19年10月22日、ブルネイを出撃する栗田艦隊 右から長門、武蔵、大和、榛名、金剛

 

終戦時、米軍に接収された長門

 

昭和21年7月1日、ビキニ環礁での水爆実験(きのこ雲の右下が長門)

 

艦内神社

住吉神社

.                    所在地  山口県下関市

.                    創建   神功皇后9年

.                    主祭神  住吉三神、応神天皇、武内宿彌命、神功皇后、建御名方命

.                    社格    式内社(名神大)・長門国一宮・官幣中社・別表神社

 

住吉神社

 

横須賀臨海公園

神奈川県横須賀市

軍艦長門碑

碑文(表)

ありし日の 連合艦隊旗艦長門の 姿をここに留めて昭和激動の時代を 偲ぶよすがとする

碑文(裏)

ここに記念する軍艦長門の雄姿は、昭和初頭のそのさながらの艦容である。長門は大正六年八月二十八日

呉海軍工廠において起工し、八年十一月九日命名進水、九年十一月二十五日に竣工した。この翌年横須賀

で建造された同型艦陸奥と共に、技術の粋を尽した世界最大最強の戦艦といわれた。

40cm主砲を始めて搭載し、檣楼や防禦方式など多くの独創を採り入れた最初の高速戦艦でもあった。

その後さらに昭和十一年まで大改装が施され艦容を一新している。

就役以来、横須賀鎮守府に所属し、久しく聨合艦隊旗艦となり、国の護りとして国民の心に親しまれた。

大東 亜戦争にはもとより諸方に活躍し、終戦に至るまでその巨影を完うした唯一の戦艦である。

昭和二十年九月十五日を以て艦籍を解かれ、ビキニの原子爆弾実験に、さすがにその強靭さを示しながら

名鑑の終末を告げた。

いま追惜の念から、国民有志の拠金によって旧母港の勝地に、この碑を建てる。

 

岡崎市東公園

愛知県岡崎市

海の記念碑 戦艦長門副錨

碑文

この記念碑は、岡崎市制施行60周年と岡崎市海友会創立65周年とを記念して、同会の寄付に

より昭和52年3月に建立されたものです。

シンボルになっている錨は、戦艦長門の副錨で、戦後まもなくビキニ環礁でアメリカ合衆国の原

爆実験の標的にされたときの唯一の遺品です。この碑により、人々に広く戦争の悲惨さを知らし

め、我国の恒久平和を願う象徴として設置されました。

 

海の記念碑 戦艦長門副錨

 

連 合 艦 隊  鎮魂の霊地

更新日:2013/07/07