艦内神社

巡洋艦香椎

 

 

艦歴

昭和16年 7月15日 竣工(三菱横浜造船所)

昭和16年 7月31日、南遣艦隊旗艦となり東南アジアへ進出

              太平洋戦争開戦後はマレー上陸作戦の護衛任務など南方攻略作戦に参加

              その後は一時練習艦

昭和19年 5月 3日 海上護衛総隊に編入、船団護衛及び対潜掃討任務

昭和20年 1月12日 仏印キノン湾沖で米軍機の攻撃により沈没

昭和20年 3月20日 除籍

 

艦内神社

香椎宮

.                    所在地  福岡県福岡市東区

.                    創建   神亀元年(724年)

.                    主祭神  仲哀天皇、神功皇后

.                    社格   官幣大社・勅祭社・別表神社

 

香椎宮

 

香椎宮

 

軍艦香椎顕彰之碑

碑文

軍艦香椎は、練習巡洋艦として姉妹艦香取、鹿島に次いで昭和十五年七月十五日三菱重工横浜造船所にて竣工した。

初代艦長岩渕三次、香推宮に詣でご分身を請願され守護神として奉戴し就役す。

既に時局は、急を告げ旗艦として直ちに南部仏印に進駐の陸軍部隊を護衛しサイゴンに進出す。

大東亜戦争開始に当り、わが国の運命を屠して敢行せる山下奉文将軍麾下、第二十五軍の大部隊の船団を護衛し、シ

ンガポール攻略の端緒を開く。

西は、印度洋、東は遠くラバウルに至る広大なる海域を総航程一万五千浬に及ぶ作戦行動に従事す。

一月十二日一〇一戦隊の旗艦として航空燃料等の強行輸送船団を護衛し航行中、仏印キノン沖で敵機動艦隊の艦載

機 延べ三〇〇有余の執拗な攻撃を受け、克く奮戦激闘したが被害累積して十隻の船団悉く撃沈され、最後に香椎は、

魚雷 二本中部および後部に命中、艦は一瞬にして棒立ちなるも、機銃は尚も応戦。司令官渋谷紫郎、艦長松村翠大佐

以下 死闘後遂に力尽きて艦と運命を共にせり、便乗者を含め一千余名、生存者は兵員僅か十七名に過ぎず。

死しても止まざる殉国の気魂は、米軍をして心胆を寒からしめ、深く感銘を与え敢えて戦史の記録に特筆せしむ。

想うに、かくの如く勇猛果敢にして従容として死地に赴いた崇高なる精神は、光栄ある我が海軍の精華にして、永く歴史

に躍動するであろう。

軍艦香椎の顕彰の碑を建立し、艦と共に短い生涯を閉じた英霊の勇戦と労苦を偲び、祖国日本の興隆を祈念する。

昭和五十六年五月十日  軍艦香椎会

 

佐世保鎮守府奉納 御召艦摂津の砲身

 

高知縣護國神社

高知県高知市

軍艦香椎顕彰之碑

 

鎮魂の霊地

更新日:2009/12/27