東京都戦没者霊苑
東京都文京区
由来
東京都戦没者霊苑は昭和6年の満州事変から日中戦争を経て、昭和20年(1945年)8月の太平洋戦争終結
までの東京都関係戦没者約16万人の霊をまつる。
敷地は、昭和15年に忠霊塔建設予定地に選ばれた小石川陸軍工科学校跡地である。
昭和35年、ここに東京都戦没者霊苑が建設されたが、それは歳月の中に老朽した。
また、年々齢を加える遺族が、安全に慰霊祭に参加するための配慮も必要となった。
そこで戦没者の慰霊と平和への願いを新たに、このたび全面改修を行い昭和63年(1988年)3月に完成した。
設計は、建築家相田武文、碑文は、芸術院会員、文化勲章受章者山本健吉、
碑名の揮毫は東京都知事鈴木俊一による。
私たち都民はこの霊苑につどい、霊前にぬかずき、改めて戦争とは何であったかを深く考えたい。
戦没者の御霊にお願い申し上げる。
お声を風に託して、戦争の実態を私たちに語り聞かせていただきたい。
そして私たちが強い意志と英知をもって、平和を守るという至上の命題にとり組めるよう、お導きいただきたい。
霊苑が戦没者の御霊と私たちの心の通い路になることを願って、ここに謹んでその由来を記す。
角田房子
鎮魂
碑文
あの苦しい戦いのあと、四十有余年、私たちは身近に一発の銃声と聞かず、過ごして来ました。
あの日々のことはあたかも一睡の悪夢のように、遠く悲しく谺して来ます。
だが、忘れることができましょうか。
かつて東京都の同朋たちの十六萬にも及ぶ人々が、陸に海に空に散華されたことを。
あなた方のその悲しい「死」がなかったら、私たちの今日の「生」もないことを。
そして後から生れて来る者たちの「いのち」のさきわいのために、私たちは何時までもあなた方の前に
祈り続けることでしょう。
この奥津城どころは、私たちのこの祈りと誓いの場です。
同時に、すべての都民の心の憩いの苑でもありましょう。
この慰霊、招魂の丘に、御こころ永遠に安かれと、茲にこれが辞を作る。
山本健吉
昭和55年11月17日 日本遺族会創立30周年記念式典 昭和天皇 御製 .
みそとせを へにける今も のこされし うからの幸を ただいのるなり .
. 東京都遺族連合会 戦没者地域別一覧図
遺品展示室
硫黄島 比島
諸工伝習所跡記念碑
東京都戦没者霊苑は、小石川陸軍工科学校の跡に建てられている。
小石川後楽園
東京都文京区
陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑
更新日:2007/09/28