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懐かしのテレビラジオ録音コレクション

レトロ番組の録画技術について

◆はじめに

テレビ草創期のスタジオ制作ドラマにおいて、「再放送」というのは、カメラの前で同じ役者が同じ演技をもう一度やる、というものでした。今ではちょっと考えられないことですが、それも、録画技術が発達していなかったためです。そんな時代に放送されたレトロ番組で今日まで奇跡的に残っているものがあるのは、高度に進歩した現在のVTRとは違う録画技術があったからです。
本ページでは、当時の録画技術として、キネスコープ・レコーディングと、2インチVTRの2つの技術をご紹介します。


◆キネスコープ・レコーディング(キネコ)

1953年(昭和28年)に我が国でテレビ本放送が始まった当時、テレビ映像の唯一の録画手段は、ブラウン管に映った画像を16mm映画フィルムで撮影するというものでした。これは「キネスコープ・レコーディング」(Kinescope Recording:略して「キネコ」あるいは「キネレコ」)と呼ばれていました。図1にGPL社(General Precision Laboratory)のキネコ装置と回路構成図を示します。装置の左上にブラウン管があり、右上の映画カメラでその映像を撮影する仕組みになっています。

図1 キネコ装置と回路構成図 [引用資料1]

ただし、ブラウン管の画像を単純に映画カメラで撮影しただけではうまく写りません。その理由は以下の2つです。

  1. テレビ映像は毎秒30コマであるのに対し、映画フィルムは毎秒24コマです。コマの周期が不一致のため、そのまま撮影しただけでは画面がチラついてしまいます。
  2. テレビ映像は電気的に表示するため、次のコマに移るまでの黒画面の時間(「帰線消去時間」と呼ばれます)が短いのに対し、映画は、フィルムを映写面に固定して映写機のシャッターを開け、シャッターを閉じて次のコマに送り、そのコマを映写面に固定してシャッターを開いて、、、という機械的な動作が伴うため、次のコマに移るまで時間がかかります。

上記の不整合を吸収するため、キネコでは、以下のような方法が採られていました。

テレビ映像における、毎秒30コマの静止画像(各コマを「フレーム」と呼びます)を細かく見ると、各フレームは、60分の1秒かけて水平走査線のうちの奇数行のみをおおまかに表示し、次に60分の1秒をかけて偶数行を表示し、以上合計30分の1秒で1枚の完全な画像(フレーム)を構成しています。それぞれ、1つおきの走査線で表示されたおおまかな画像のことを「フィールド」と呼びます。つまりテレビ映像では2フィールドで1フレームを構成します。このような走査の仕方(インターレース走査と呼びます)をする理由は、画面のチラツキを抑えるためです。図2にフィールドとフレームの概念を示します。


図2 フィールドとフレーム

キネコにおける、テレビ画面のフィールド(F)とフィルム(C)のコマ送りとの関係を図3に示します。横軸は時間です。まず、フィルムのC1コマ目に、F1とF2の2フィールドを撮影します。次に、F3フィールドを走査している前半に映画カメラのシャッターを閉じ、1コマ送って、C2コマ目をセットします。C2コマ目には、F3フィールドの後半、F4フィールド全部、F5フィールドの前半を撮影します。そして、F5フィールドの後半を走査している間にまたフィルムを1コマ送って、C3コマ目をセットし、次の2フィールドを撮影します。以上のようにして、フィルムの1コマごとに半フィールドを切り捨てながら、フィルムの各コマには2フィールド分(つまり1フレーム)のテレビ画面が撮影されるわけです。


図3 キネコにおける、テレビ画面のフィールド(F)とフィルム(C)のコマ送りの関係

この方式ですと、C2コマ目の画面の中央にF3フィールドの後半(下半分)とF5フィールドの前半(上半分)のつなぎ目が出来てしまうことになります。C2コマ目における、F3フィールドの後半とF5フィールドの前半は、走査線1本分のズレも許さない位にピッタリ合わせないと、つなぎ目が目立つことになります。また、コマ毎につなぎ目の位置が動いても目立ちますので、何本目の走査線においてつなぐかを正確に決めてそれが変動しないようにしなければなりません。そのためキネコ装置では、カメラ側の機械的なシャッターは使わず、ブラウン管側で走査に同期させて電子ビームを止めて画面を消すという電気的な方法で、正確なシャッター機構を実現していました。

またC2コマ目には、F3フィールドの下半分とF5フィールドの上半分という、時間的に30分の1秒ズレた画像が1枚に写し込まれることになります。そのため、動きの早い映像だと、つなぎ目の上下がズレてしまうことになります。
図4に、キネコ画像に現れたつなぎ目と、被写体が早い動きをしているために上下がずれている例を示します。


図4 キネコ画像に現れたつなぎ目(赤矢印)と、被写体が早い動きをしているために上下がずれている例 [引用資料2]

映画フィルムには、ポジフィルム(撮影した画像が陽画として記録される。写真におけるスライドに相当。)とネガフィルム(撮影した画像が白黒反対の陰画として記録される。写真におけるネガに相当。)とがあり、複製する必要が無いキネコの場合は、昔の家庭用8ミリフィルムのようにそのまま映写できるポジフィルムを使うのが好都合なことになりますが、一般にポジフィルムよりもネガフィルムの方が安価です。そこでキネコでは、ブラウン管に白黒反対の陰画を表示し(電気的にプラスマイナスを逆にするだけですから簡単です)、それをネガフィルムで撮影することで、直ちに陽画が記録されたフィルムを得るという方法で、コストを下げる工夫がなされていました。

キネコはブラウン管に映った画像を16mmフィルムに撮影しているわけで、なおかつ2フィールドにつき半フィールドを切り捨てているのですから、記録された画像はオリジナルのテレビ映像に比べて画質が著しく低下しました。走査線本数525本、毎秒30コマというテレビ放送の規格は、1953年から現在まで全く変わっていないのですから、現在残っているレトロ番組であっても、放送された当時は現在の生番組と遜色の無い画質だったはずですが(カラーと白黒の違いはあるにしても)、キネコフィルムに録画した時点で著しく画質が低下してしまいました。放送当時はカラー番組であっても、コスト削減のためやむなく白黒フィルムでしかキネコを残せなかったケースも多くあります。例えば1964年から69年にかけてカラーで放送されたNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」は、全放送回数1224回のうち、8回分の映像がキネコで現存していますが、そのうちカラーフィルムで残っているのは2回分だけです。

このように多くの問題があったキネコですが、VTRが実用化された後も、ビデオテープが高価だった時代は、番組保存手段としてかなり後まで使われていました。1973年から75年にかけて放送されたNHKの人形劇「新八犬伝」は、全464回のうち第1回、第20回、最終回の3回分のみが現存していますが(参考:Carina氏運営「新八犬伝をもう一度見ようよ」)、そのうち第1回と最終回が放送当時と同じビデオテープ、第20回がキネコで残っています。1970年代になってもまだキネコが使われていたことがわかります。

ビデオテープの価格が下がり、16mmフィルムの価格と逆転したのは1980年頃と考えられます。この頃にキネコは番組保存手段としての役目を終え、テレビ番組はビデオテープで完全に録画保存(全数保存)されるようになります。例えばNHKの人形劇「プリンプリン物語」は、1979年から82年までの3年間に放送された番組ですが、最初の2年間(1979〜81年)の録画はほとんど現存していないのに対し、残りの1年分はほぼ完全に残っているとのことです。つまりこの時期が、テレビ番組の保存体制の確立期に当たることを示しています。

ビデオテープと映画フィルムの価格が逆転した今日、キネコは映画製作の現場で再び使われるようになっています。劇場映画を製作する際に、高品質のハイビジョンVTRで撮影し、編集を完了した後に上映用フィルムにプリントするというものです。この方法ですと、高価なフィルムを節約でき、また撮影時に直ちに現場で再生して確認できるので効率的な撮影ができます。もちろん現在のキネコはレーザー技術などを駆使して高品質な画像を記録できるようになっています。


◆2インチVTR

録音テープと同じく、テレビ画像を電気的に磁気テープに記録するビデオテープレコーダ(VTR)は、東海岸と西海岸とで時差がある米国において、番組送出時間の調整に使うことを主な動機として開発されました。初めての実用的なVTRは、1956年に米国のアンペックス(Ampex)という会社が開発しました(図5)。当時はテープの幅が2インチ(約5cm)で(図6)、テープの幅方向に高速に回転する円筒に90度毎に4つのヘッド(記録端子)が付いていて、4本の筆で巻き物に縦に字を書いていくように、映像を記録する方式でした(図7)。このVTRの開発秘話については以前、アンペックスジャパン(株)のサイトで、『ビデオテープ記録技術の誕生』(著者 Charles P.Ginsburg)として詳しく書かれていましたが、現在は公開されていないようです。


図5 アンペックス製VTR [引用資料1]

2インチビデオテープ
図6 2インチビデオテープとVHSテープとの大きさの比較


図7 2インチビデオテープ上に記録された磁気パターンの例 [引用資料1]

2インチVTRは、米国で実用化された2年後の1958年(昭和33年)に日本にも初輸入されました。同年に放送され、日本のテレビ史に残る名作ドラマと言われる「私は貝になりたい」(フランキー堺主演、ラジオ東京テレビ:現TBS制作)は、前編と後編がVTRと生で放送され、生の方は制作局では録画していなかったのですが、当時、大阪でネットしていた大阪テレビ(後に朝日放送に統合)が、新規導入したばかりの2インチVTRの動作テストのためにこの番組をたまたま録画していて、奇跡的に今日まで全編の映像が現存しているという幸運に恵まれました。但し、60分の録画ができる2インチビデオテープは当時1本100万円。大卒の初任給が1〜2万円だった時代ですから、単に番組を保存するためにVTRを使うことなどありえなかったことがわかります。放送後は消去して、繰り返し使われました。また、高価だった当時のビデオテープは、税法上は消耗品でなく資産の扱いだったため、テープを所有していると固定資産税を課されました。そのため当時のテレビ局は、繰り返し使用後に劣化したテープも残しておかず積極的に廃棄していました。

当時のVTR録画の画質は生放送に比べれば劣っていたため、ダビングは考えられませんでした。今日ではビデオテープのダビングによって番組の編集をするのが当たり前ですが、当時は例えば30分番組の制作には、ビデオテープを回しっぱなしにして生放送と同じように30分の演技を撮影するだけでした。つまり当時のVTRは番組編集のためではなく、番組送出の時間調整のためのものだったのです。収録途中にトチっても止めることはできず、従って出演者はVTR収録でも生放送と同じ緊張を強いられたそうです。
それでも、どうしても編集しなければならない場合にはどうしたかと言うと、なんと収録されたビデオテープの磁気面の模様をルーペで覗いて、画面の切れ目を見つけてカッターで切って銀紙で貼り合わせるという、当時のオープンリール式録音テープの編集と同じ方法が採られていました。ただし超高価なビデオテープにこのようにハサミを入れることは、よほどのことが無い限り許されなかったそうです。

2インチVTRは、1980年頃までの長い間、テレビ業界において多用されていました。現在は全く使われておらず、再生のための機器もほとんど残されていないため、2インチビデオテープで残っているレトロ番組を再生するのが困難になっていることが現在問題になっています。


◆おわりに

テレビ放送の草創期は、放送とは文字通り「送りっ放し」であり、番組を保存するという概念がそもそも無かったといっても過言ではありません。今でこそ放送番組をDVD販売して制作費を回収する収益モデルが当たり前ですが、実は驚くことに、現行の著作権法の第44条3(放送事業者等による一時的固定)では、以下の通り、放送事業者であっても番組を6か月以上保存することは原則として許されておらず、保存できるのはあくまでも例外である、という扱いになっているのです。

第四十四条  放送事業者は、第二十三条第一項に規定する権利を害することなく放送することができる著作物を、自己の放送のために、自己の手段又は当該著作物を同じく放送することができる他の放送事業者の手段により、一時的に録音し、又は録画することができる。
2  (略)
3 前二項の規定により作成された録音物又は録画物は、録音又は録画の後六月(その期間内に当該録音物又は録画物を用いてする放送又は有線放送があつたときは、その放送又は有線放送の後六月)を超えて保存することができない。ただし、政令で定めるところにより公的な記録保存所において保存する場合は、この限りでない。
この条項に従い、各テレビ局は、必ず局内に「政令で定める公的な記録保存所」を設けているのです。多くの家庭に放送番組の録画手段が普及した今日でも、「送りっ放し」の時代の考え方が、法律上はまだ生き残っているのです。

レトロ番組を見る機会があれば、本稿で述べたような苦労を乗り越えて今日でも見ることができるのだということを念頭に置いていると、また違った感動が得られるのではないでしょうか。


[引用資料1] 森本重武他著「テレビジョン工学 改訂8版」,コロナ社,1958年.
[引用資料2] NHK「チロリン村とくるみの木」,1964年放送.

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