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我が家の近所の鉄道廃線跡

陸軍宇治火薬製造所引込線?

(京都府宇治市)

私は小学生の頃、京都市伏見区の自宅から宇治市の学習塾へ、京阪電車宇治線に乗って通っていました。京阪木幡駅の手前で、列車が走っていない線路の橋桁と立体交差していることに気づき、不思議に思っていました。当時の地図にも、京阪線と並行して走っている国鉄(当時)奈良線の木幡駅から京阪線に直交する線路が伸びているのが明記されていました。中学生になった昭和51年に、私はこの線路の正体をつきとめようとカメラを持って現地調査に赴きました。当時、現地には線路のほかに、柵で閉鎖されたプラットホーム跡も残っており、廃墟の街の如き様相を呈していました。

それから何度か私はその地を訪れ、写真を撮ってきました。

この引込線の正体はよくわかりませんが、1995年7月4日付朝日新聞夕刊(大阪版)に、「淀川水系『火薬ベルト地帯』弾薬庫群 旧陸軍の機密図で詳細判明」という記事が載り、その地図中に「宇治火薬庫・宇治火薬製造所」と表示された箇所がこの引込線の終点と一致していたので、この線は同施設の遺構だったのではないかと私は想像しています。

【参考になる文献】本引込線について直接触れられているわけではありませんが、宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くV」, pp.119-121(JTBキャンブックス ISBN4-533-03002-5)に、「大阪陸軍造兵廠の軍用側線」として、同類の側線についての記述があります。

本ページに掲載した写真は、「人権と民主主義を考える高校生の集い 全国代表者学習交流会」(於:京都)において実施された宇治川沿いの戦争遺跡フィールドワークの報告の一環として、京都府立田辺高校文化祭において展示・活用されました(1999年)。本ページが若い人達の有意義な活動に寄与できたことを光栄に思います。

本ページに掲載した図や写真を、鎌倉学園中学校考古学部に、学園祭や研究発表会で活用していただくために提供いたしました(2006年)。本ページが若い人達の有意義な活動に寄与できたことを光栄に思います。


1976年4月撮影


1979年1月撮影


1990年撮影


本ページ作者へのメールの宛先はです。
1997年12月1日開設
2006年6月17日最終更新
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