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鉄道関係の画像いろいろ

2004年1月11日開設/2013年3月20日最終更新


京阪電車1300系(1979年2月撮影)と深草駅(1999年11月21日撮影)

京阪電車の1300系は、第2次世界大戦後の輸送復興の救世主と呼ばれた車両で、1948年に建造されました。この写真を撮った1979年当時に京阪を走っていた最も古い車両だったので、当時車庫があった深草駅で撮りました。この撮影からほどなくして、全車両が廃車になったようです。 深草駅の車庫は廃止されて、跡地にマンションが建ちました。車庫が廃止された直後の1999年に撮影した深草駅です。右の鉄筋コンクリートの建物は京都市立砂川小学校です。

地下鉄工事中の京都駅八条口(1979年2月14日撮影)

京都市営地下鉄開業(1981年5月29日)

私が大学1年生の頃、住んでいた京都に初の地下鉄が開業しました。京都市電が全廃されて3年。京阪電鉄の七条〜三条間の地下化工事や、鴨東線(三条〜出町柳間の地下線)の工事も進んでいた頃で、京都市内の交通体系が大きく変わりつつありました。

以下は私が撮影しYoutubeにアップロードした開業日の動画像です。


国鉄奈良線の電化

私の実家の近くを走っていた国鉄奈良線は、1984年10月1日に電化されました。電化されるまではディーゼルカーがたまに走るだけの閑散とした路線(1時間に1本程度?)で、私と同じ中学に通っていた妻は、線路を歩いて中学校に通っていたそうです(今では考えられないことですね)。写真は、同年10月21日に撮影した電化記念号と、9月26日に撮影した稲荷駅の記念看板です。

以下は私が撮影しYoutubeにアップロードした電化記念号の動画像です。


国鉄からJRへ

私は1987年4月に社会人になって東京に移り住みました。同じ時に国鉄は分割民営化されてJRになりました。JRになったばかりの頃は、切符にはまだJNR(国鉄)の模様が入っていました。記念に1枚とっておいたものを左上に披露します。民営化約4か月後に渋谷駅から乗車した時のものです。当時、山手線の改札機はまだ自動化されておらず、切符は硬券!でした。取り出してみて改めて驚きました。右上の写真は、民営化2週間後の1987年4月13日に中央線で撮影した、JR東日本誕生のヘッドマークを付けた201系です。
(左下・左中)国鉄からJRに変わったばかりの1987年4月号の時刻表は、国鉄時代の3月20日発売のため、「JNR(国鉄)編集のJR時刻表」というレアものでした。それ以前は、国鉄“監修”によるJTB時刻表でした。5月号以降はJR編集の時刻表となりました。
(右下)JR誕生を祝うコカコーラの缶です。

JR山陽本線大久保駅の橋上化

私が1997年まで住んでいた兵庫県明石市にあるJR大久保駅(同名の駅は全国にありますね)は、木造の味わい深い駅でしたが、1996年に橋上式に建て替えられました。1996年8月8日の竣工日は、街をあげて盛大に祝われました。
建て替え工事が始まる直前の木造駅舎です。 橋上化完成の垂れ幕が下がる新駅舎です。
駅前の雰囲気はまだ昭和の香りがしました。
しかし駅前ロータリーは着々と整備が進められていました。 駅の南側にはオーズタウンという大規模なマンション開発が始まっていました。

JR藤森駅の開業

私の実家の間近を走っているJR奈良線に、JR藤森という駅が1997年3月8日に開業しました。それまで、実家の最寄の駅は徒歩15分の京阪電車墨染駅でしたが、徒歩5分のところにJR藤森駅ができて、とても便利になりました。
JR奈良線稲荷駅の隣は、JR藤森駅が開業するまでは桃山駅でした。 開業日は寝坊して、JR藤森駅に着いた時には「開業」の看板(赤矢印)がもう降ろされていました。^_^;;
開業記念式典の会場も撤去作業中でした。 仕方ないので花の前で記念に1枚。

JR藤森という駅名は、近くに藤森神社があることに由来するようですが、京阪電車の藤森駅からはかなり離れており(むしろ一つ淀屋橋寄りの墨染駅のほうに近い)、混乱を避けるために「JR藤森」を名乗っているものと思われます。建設工事中の現場に掲げられていた仮称は「墨染駅」だったように私は記憶していますし、近所には国立京都教育大学があるため、「京都教育大学前」の仮称が新聞記事に載っていたこともあります。駅名決定まで紆余曲折があったようです。
私見ですが、この駅は京都市伏見区深草大亀谷大山町というところに位置しているため、「大亀谷駅」と名づけるべきではなかったかと今でも思っています。京都市伏見区は、区名と町名の間にもう一つ、「深草」「稲荷」「桃山」「竹田」など、旧村名に由来すると思われる住所の単位があり、「大亀谷」もその一つなのですが、「深草」は京阪、「稲荷」「桃山」はJR奈良線、「竹田」は近鉄と京都市営地下鉄の駅名に使われているのに対し、「大亀谷」だけは駅名にありませんでしたので、新駅の名前としてうってつけだったのにと思います。「大亀谷」は「狼(おおかみ)谷」に由来するそうで、「おおかみ」が「おおかめ」に転じた言語変遷が残っている由緒ある地名です(犬のことを古語で「カメ」と呼ぶのと同じ言語現象のようです)。もっとも、「大亀谷」という駅名から連想するイメージはあまり格好良くはないので、付近住民からは支持されない私見でしょうが。。。。

以下は私が撮影しYoutubeにアップロードしたJR藤森駅新設工事中の動画像です。


梅田貨物駅(1990年1月20日撮影)と再開発中の梅田界隈(1991年11月30日撮影)

JR大阪駅の北側にある梅田貨物駅は、梅田北ヤードと呼ばれ、大規模な再開発が進んでいます。再開発開始前の写真です。


JR青梅線を単機で走るディーゼル機関車

JR青梅線は元々はセメント材料の石灰石を運ぶために敷設され、現在は貨物輸送は全廃されて旅客輸送だけになっていますが、米軍横田基地に向けて拝島駅から非電化の引込み線がある関係で(航空燃料輸送等)、ディーゼル機関車がたまに走行しています。平日の朝9時半頃に毎朝、中神駅下り線をディーゼル機関車が単機で走っていきます。首都圏にしては、ちょっとのどかな光景です。(2005年9月28日撮影)


川中島バスのボンネットバス

鉄道から脱線した写真ですが、お許し下さい。1972年の夏休み、母の故郷の長野市に遊びに行った小学校5年生の私は、長野市宇木の川中島バスのターミナルの片隅にボンネットバスが打ち棄てられていたことに気づき、写真を撮っておきました。バスを待っていた合間にすかさず撮ったものなので、アングルはいまいちです。もっと近寄って正面からちゃんと撮っておけば良かったと思います。ボンネットバスは当時すでに珍しい存在になっていました。

建設中の横浜ランドマークタワー

(1992年3月19日撮影)

今は無きホテルエンパイア

(1993年2月26日撮影、現横浜薬科大学図書館棟)
脱線ついでに、横浜で撮った自写像を2枚ご紹介します。横浜ランドマークタワーの脇には山下公園に向けて貨物線が通っていたり、ホテルエンパイアがあった横浜ドリームランドにはモノレールの廃線跡があったり、それぞれ鉄道と縁が無いわけではありませんでした。


ノザキのコンビーフ

JR山手線や中央線の各駅には、かつて「ノザキのコンビーフ」という看板が至るところにありました。最近は減ってきているようですが。。。(1998年9月30日、国立駅で撮影)

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