都営大江戸線一周旅行
第参回目「豊島園〜練馬」
今回は都営大江戸線の「豊島園」と「練馬」を取り上げます。 取材によって、今まで筆者の中でずっと謎だった「何故『豊島園』は練馬区にあるのに『豊島園』なのか?」という命題に、ある仮説と確信をもって、その真実に迫りたいと思います。
あと今回の取材は秋色の濃い旅になりました。紅葉の画像もアップ。
東京だってまだ捨てたものじゃありません。
→http://www.asahi-net.or.jp/~UK5T-SHR/ooedosen_03.html
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写真1(都営大江戸線/豊島園駅構内)
積年の疑問が、いつも頭の中にあった。
「何故『豊島園』は練馬区にあるのに『豊島園』なのか?」
筆者、小学生時代と高校生時代の、合計2回、豊島園を訪れている。
しかしその疑問も、その場では遊ぶことに夢中で忘れてしまっており、
いざ帰宅してから考えると「何かおかしいぞ」と再び頭をもたげてくるのである。
現在、練馬区と称されている場所は、実は戦後に板橋区から分割・独立した、
23番目の区なのである。東京23区の中で一番新しい区なのだが、そのことが、
問題をさらに複雑にしている。「何故『豊島園』は練馬区にあり、さらに戦後までは
板橋区の場所にあるにもかかわらず、それでも何故に『豊島園』なのか?」
本来なら『板橋園』あるいは『練馬園』と称されてもよいのではないだろうか?長年、謎だった。
写真2(都営大江戸線・豊島園駅)

そこで今回、取材ということで、少し、その辺に探りを入れてみたのだが、
そこで判明した事実、そして、そこから考え出される仮説は、筆者を納得させるのに
充分だった。いわゆる「謎はすべて解けた」である。
豊島園の歴史は案外に古い。
1926年、大正15年に造成に着工、その9月15日には一部開園している。
そして翌年、昭和2年の4月29日には全面開園され、10月には武蔵野鉄道による
豊島園駅が開通した(当時は私鉄の爛熟期であったため、多数の私鉄が存在した)。
『豊島園』では、この一部開園の9月15日を開園記念日としている
(先駆けること1885年、浅草花やしきの前身が開園している)。
その歴史の長い、豊島園が何を由来に『豊島園』という銘を冠するように
なったのだろうか?
写真3(ここが練馬城跡の入り口か?)
調査するうちに、ある事実が明らかになってきた。
実は、この豊島園の敷地の中には「練馬城」の跡地があるというのだ。
練馬には、かつて城があった。そして、その城に住み周囲を治めて
いたのは「豊嶋氏」という平安時代からの名家だった。
そう豊島園は、かつての練馬城の跡地に建てられており、
その主「豊嶋氏」を偲んで、その遊園地の名称としたらしい。
充分、説得力のある仮説だと、我ながら思う。
そこで、豊島園を経営している株式会社豊島園に電話で取材を試みた。すると、なんとそれで正解だったのです。豊島園開園前、明治後期には豊島公園が存在し、練馬城址を偲んだもので豊島園もそれに倣って命名されたということです。遊園地の命名にも、約600年にも及ぶ歴史の由来があったというわけだ。
さて話を戻して、実際の豊嶋氏のその後はどうなったのだろうか?
その行方を追ってみよう。練馬城の築城の時期は定かではない。板東平氏の流れをくむ名家だった豊嶋氏が、14世紀半ばに一族の宮城氏から、この地を引き継いだことから、この時期であるとも考えられる。しかし、1477年(文明9年)、かの江戸城を築城したことで知られる太田 道灌との戦に破れ、豊嶋氏は敗退。現在の石神井公園にある石神井城で全滅する。世はまさに戦国時代のきっかけともなる応仁の乱勃発の混乱期だった。この際、豊嶋氏の姫が落城の際に石神井池の隣の三宝寺池にて投身自殺。「照姫伝説」として現在まで語り継がれている(照姫まつりとして照姫行列が行われています)。
江戸時代には、幕府直轄の天領に、一部は旗本の知行地になった。水に恵まれないこの土地に幕府は「千川上水」を敷き、練馬は農業が栄えたのだった。前回、取り上げたように、練馬大根などが発展し、大根を保存食として「沢庵漬け」として根付かせたのも、練馬の功績である。他にもゴボウ、ナス、イモなどを、江戸市中に供給した「一大近郊農村」としての役目を担い、練馬は今日に至るのである。
写真4(トイザラス)
さて、豊島園駅の周辺を散策といこう。
「トイザラス」なんかが最近オープンしていて、その大きな店舗にびっくり。
クリスマス直前の時期だったせいか、店内もクリスマス一色で、親子連れで賑わっていた。
写真5(向山庭園)
秋晴れの中、豊島園のすぐ脇に発見したのが「向山庭園」という純和風庭園。
「見学者は受付迄」とのことなので、受付で話を聞くと、ここは区が運営している庭園で、かつて昭和4〜6年にかけて浜口内閣時代の江木鉄道大臣邸だったの場所だとのこと。
持ち主を転々とし、最終的に区に移った際に、日本庭園に作り直して、区民に解放しているのだとか。ちなみに庭園内の散策は入場無料なので、しばし都会の喧噪を忘れ、紅葉を眺めながら、昼下がりを過ごす。
お茶会を楽しまれている方々もいる。日本庭園と紅葉に、和服の方々がマッチしていてとてもいい風景だ。
写真6(豊島園駅地図)
さて、気になっていたのが、地図を見てもわかるとおり、やたらお寺が密集している点だ。早速、足を向ける。ここは「十一ヶ寺」と呼ばれており、仁寿院、迎接院、本性院、得生院、久品院、林宗院、称名院、受用院、假宿院、宋周院、快楽院の11の院によってなり、もとは誓願寺という浄土宗のお寺の塔頭寺院だとのこと。塔頭寺院とは、本山始祖をはじめ、歴代住持中の碩徳(せきとく)の師の塔所を塔頭といい、それを祀る寺院のことを指す。誓願寺に在籍した代々の師を祀っているという訳なのだ。
誓願寺は江戸時代はじめに小田原から神田に移り、さらに振り袖火事(1657年、明暦3年)により、浅草田島町に移転。幕府より朱印300石を与えられ、檀家には豪商も多く、大きく栄えた寺。最大で16もの塔頭寺院を持っていたというからびっくりする。明治以降、各塔頭寺院は本坊の誓願寺から独立。大正大震災のあとに、そのうちの11の塔頭寺院が、ここに移ってきたとのこと。
写真7(池永道雲の墓)
ちなみに奥まで行くと、見渡す限り、お墓ばっかり。
しかし、その中には江戸時代の本草学者の小野蘭山や、書道家としてまた篆刻家の名人として有名な池永道雲、札差しとして権勢を誇った青地一族、名優の聞こえ高い初代沢村宋十郎など、有名人の墓も多数残されている。
写真8(蕎麦食い地蔵尊)
この地域の中には「延命蕎麦食地蔵尊」なるものも存在を確認。十一ヵ寺のうちの九品院にあるのだが、その由来が面白い。九品院が、まだ浅草にあった当時、浅草広小路にあった「尾張屋」という店に毎晩、高僧がそばを食べにきた。店の主人が不思議に思い、後をつけると地蔵堂の中へ姿を消した。実は僧は地蔵さまの化身で、その夜の夢枕に現れて、供養してもらった礼に店の主人とその一家を守ることを告げたという。主人はその後も地蔵さまにそばを供え続けたので、一家は江戸中に悪疫が流行したときにも守られ、無事息災に暮らすことができたとのこと。蕎麦を食べに毎晩通ってくる地蔵様というのも面白いし、その恩に報いてしまう辺り面白い。今でも、何処かに美味しい蕎麦を食べに通っているのであろうか?
さて、都営大江戸線に乗って、練馬に向かいましょう。
写真9(練馬駅前の商店街・大鳥神社)

練馬は「酉の市」の雰囲気で真っ盛り。町中、至るところで提灯が埋め尽くされている。
「酉の市」の起源は江戸時代にまで遡るとされており、元々浅草で始まったとのこと。神事では、御神前に「八つ頭」と「熊手」を奉納。「八つ頭」は日本武尊が東征の時、八族の各頭目を平定された御功業を具象化したものだ。「熊手」は尊が焼津で焼討ちの御難に遭われた時、薙ぎ倒した草を当時武器でもあった熊手を持ってかき集めさせ、その火を防ぎ、向火(むかえび)をもって賊を平らげ、九死に一生を得たことを偲び奉るためのもの。ここから、古来より「頭の芋」とも呼ばれる「八つ頭」は人の頭に立つように出世できるという縁起と結びつき、「熊手」は家の内に宝を掃き込むとか掻き込むという意味で縁起物として広く信仰を集めた。さらに、大鳥神社の社名「おおとり」は、「大取」に通ずるため、宝物を大きく取り込むという商売繁盛開運招福の神様として、多くの人達の信仰を集めている。
練馬の「大鳥神社」は練馬駅前の商店街を入ってすぐの場所。酉の市当日は、縁起物の熊手が売り出され、商店街は人で埋まるとか。今年の酉の市は11月6日18日30日・・・あっ!!、もう実は昨日じゃないですか。残念だぁ〜・・・。 来年の酉の市には是非行ってみたいものです。
豊島園WWW-Site http://www.toshimaen.co.jp/
「窓の外には豊島園」「史上最低の遊園地」など、広告が秀逸な遊園地という印象があります。筆者の不作法な質問の電話にも応対してくれました。
タウン誌「ネリマ情報」 http://www.ipnet.city.nerima.tokyo.jp/njk/
「新照姫伝説」なる劇画が連載されています。豊嶋氏の興亡を知りたい方は如何?
照姫まつり http://www.city.nerima.tokyo.jp/teruhime/
毎年春に、石神井公園周辺で行列があるそうです。
向山庭園 http://www.city.nerima.tokyo.jp/guide/yoka/bunka/teien.html
都会のオアシスですね。この時期、紅葉がきれいです。
茶室や和室もあるので、心得のある方は使用してみては如何でしょうか?
大鳥神社(目黒) http://www.ootorijinja.or.jp/
全国に大鳥神社は存在し、酉の市もあるのです。その元締めたる目黒の大鳥神社の WWW-SiteをPickUp!酉の市についての詳しいことが書いてあります。
次回をお楽しみに!
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