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伊豆開拓記の日記ページへようこそ!

2006年10月28日 (土)
鯛釜飯のお店は知らぬ間にリニューアル

帰りはいつもより早めだったので、鯛釜飯を食べにお店意寄ると、今まであがり座敷ばかり並んで薄暗かった店内がリニューアル、写真のように窓側はすべてテーブル・イス席に変更。私は一人座敷で釜飯が出来上がるのを待つこと30分、味は変わらずおいしかった。

2006年10月28日 (土)
横杉さんの幹のくぼみに新たな息吹

1ヶ月ぶりの伊豆訪問。まずは道の整備。暴風雨の影響で桜の大木(幹径30センチ)が途中で折れて倒れ、開拓地内の道を完全に塞いでいた。台風シーズンではよくあることとはいえ、桜の木だったことがショック。よく見ると、折れた部分は少し空洞があり、弱っていたようなので淘汰されるのも自然の理かもしれない。
 一方、横杉さん(開拓マップ参照:右端下)の幹の窪みに小さな木が育っていた。鳥が種を運んだのだろうか。しばらくようすを見ることにした。

2006年10月28日 (土)
幹の途中から折れた桜の木

幹の途中から折れた桜の木はそこから10メートルほどの部分が真横に倒れていた。ノコギリで道を塞いだ枝を切り落としたが、そのほかはそのままにしておいた。

2006年10月23日 (水)
廊下、6畳間のフローリング施工完成

ついに終わった。手はボンドで真っ黒。じっと手を見た。

2006年10月9日 (月)
ボンドをベタベタ、フローリングを並べる

先週に続き、この3連休も工事に費やす。フローリング施工は隙間がポイント。短冊を隙間に挟みながらどんどん進める。コンクリートにボンドで接着していくのだが、釘を打たない分1時間経過してもずれる。

2006年10月7日 (土)
前に目をやると、京浜急行の赤い電車が走る

今日から3連休。でも工事に。休憩時間、電車を見ながら物思いにふける。こんな天気の日は伊豆に行きたいな。

2006年10月7日 (水)
外は秋晴れ 横浜ランドマークが見える

ベランダからはランドマークが見える。こんな天気のいい日に室内作業に明け暮れる。

2006年9月30日 (土)
フローリングを仮置き

床にフローリングを並べてみる。遮音等級L40のもの。下階でスプーンを落とした音が聞こえないとのこと。

2006年9月30日 (土)
フェルトをはがしてコンクリートの下地を整える

スクレイパーでボンドを剥がし下地を整える。結構根気の要る作業。

2006年9月30日 (土)
今日からワンルームリフォーム開始

ずっとカーペットだった床をフローリングに変更。見積もりは15万円ほど。というわけで自分でやることに決めたもののけっこう大変。まずはカーペットをめくるとフェルトと木の枠が出てきた。木枠には釘がいっぱい逆さに
刺さっていて手にけがをした。

2006年9月24日 (日)
束石をボコボコ埋め込む

 

2006年9月24日 (日)
土台の束にはジャッキタイプのものを試用

 

2006年9月24日 (日)
土台に防腐ペイント

父は懸命に土台に防腐ペイント、これは安心して任せられる。

2006年9月23日 (水)
祖母からもらったサフラン?の花が咲く

祖母からもらったサフラン?の花が咲く。
入り口に作ったロックガーデン、後ろの彼岸花は朝はつぼみであったのに夕方には咲いていた。

2006年8月15日 (火)
製材所でチョークを渡され木口に何を書く?

製材所では社長が巨大リフトを準備するが、車から出す時に手伝ってもらう当てがはずれ、(「さっき腰をやっちまって、、、。持てねえんだよ。」)気合でおろす。
それじゃあ、「この墨チョークで木に書いて」といわれるが「名前ですか?」ととぼけた返答に社長、「どうやって切るか木口に線を書くんだよ」。「普通はどういった感じで書くんですか?」と聞くと
親切な社長は木の曲がり方や芯との関連など丁寧に教えてくれた。「明日朝に仕上がるよ」と言われるが、本日が帰宅予定日なのでそうはいかず、その後世間話をして木を預けて帰ることになった。

2006年8月7日 (月)
2年前に伐採した銀杏の木を製材所に運ぶ

2年ほど前に伐採して放ってあった銀杏の木をいただき、野ざらしにしておいた。7月の長雨で危うくキクラゲが生えかかっていたが、雨よけをして乾燥させておいたものを板材にしようと思い立った。よく切れるノコギリで挽いてみたが、30センチ×2メートル20センチくらいある木を縦挽きにするのは無理とあきらめ近所の製材所を訪ねた。「板に挽いていただきたいのですが料金はどのくらいですか?」と聞くと「そうねえ、木にもよるけど銀杏なら柔らかいから1分250円で実際にかかった時間だなあ。」とのこと。
平日営業なので今日しかないと思い、既に夕方5時近かったが現場に戻り運搬にかかる。車の助手席と後部席を外し、太い竹を40センチ×3本切ってコロにし、一人で片端を持ち上げるが重い。恐らく100キロ以上ありそうなのでなんとか片方をリアゲートに乗せ、コロで前に転がして無事積載完了。

2006年8月5日 (土)
小屋建設地下の地面を盛り土

四箇所の礎石の設置まで進んでいた土地を今度は水はけを良くする為に盛り土、つまりは造成した。ユンボで土を運んで約30センチ厚、中央から外側に向かって水が流れるように、まずは粘土層を25センチ、その上に鹿沼土に似たばらばらの(恐らく何千年前の火山噴火で降り積もった火山礫)土を5センチほど敷き詰める。
こうした土の採掘および運搬は父に任せていたが、ふと気がつくと土の採掘場として決めた所(建設地から100メートル)ではなく建設地脇の崖の下を削って大穴を空けている。人間は安きに流れるとはいえ、崖の下に大穴を開けたらどうなるかよく考えて欲しいものだ。

2006年8月4日 (金)
祝!車の通行路が開通

2年前の台風22号直撃で崩壊した道路(長さ約100メートル)をコツコツと補修してきた。山側を少し削り、土を崖側に落として固め、斜面に強い木の種を大量にばら撒いたり、雑木を植えたりしてきた成果が今年春から出て、雑草やら雑木の幼木がいっせいに伸びてきたのであった。2年間封印していた車での進入を敢行。あっけなく通れた。
奥の第一小屋建設地の上まで車を入れることに成功。ちょうど完成した石積みはびくともしなかった。やはり最後に積んだ1トンほどの巨石が効いているようだ。

2006年8月2日 (水)
さてと、束の間の夏休み、セルフビルドに勤しもう

夏休みがとれたので、4日程続けて滞在できそうだ。今回はセルフビルドで第2小屋建設を少し進めよう。明日は父と出かけようか。愛読書である西丸震哉の「山小舎を造ろうヨ 少し人生を考え直したい人に」を読み返す。
 先日、西丸氏の「41歳寿命説」「人生密度7年説」をヤフオクで購入し読んでみたが、この本には西丸氏の生い立ちが様々なエピソードで綴られてあり、私が「山小舎を造ろうヨ」中でも特に、第珪呂[山小舎造りで心しておくべきこと]に共感した理由がわかったような気がした。
まあとにかく自分勝手なペースでコツコツとやろうか。飽きたら海にでも潜ろう。
(写真は8月4日完成した第一小屋建設地に車を上げてみたところ)

2006年7月29日 (土)
赤松の根太18本をユンボで運搬

今日はハンディーに寄って、トタン波板10尺を6枚と赤松根太用角材2束(9本×2)を購入し、スーリーのルーフレールを取り付けて運搬。
赤松根太は1束で50キロくらいあり、山道をあげるのは困難。バラにして運ぼうかと思ったが、ユンボのバケットを利用しバランスをとってゆっくり運ぶ。サボテンガーデンの草抜き、球根植え替えなど。

2006年7月29日 (土)
カメさん海に帰る

我が家のクローゼットにぶる下がっていた(べっ甲亀)タイマイの剥製を海に返すことにした。今日7月29日は昨年の大事故から生還してちょうど丸一年の記念日。命が助かったお礼の気持ちを何か表したかった。
そう考えているときに「そうだ、亀だ。」と思いついた。
 もともとべっ甲細工を作るためにヤフオクで購入したものの、甲羅を1枚1枚剥がすのに忍びなく、置き場所にも困ってクロゼットのフックに吊り下げていたものだった。その姿も悲しげだった。
亀を片手にロープをつたい、崖を下ること15分、岩場の窪みの海水でまずは水浴びをさせたあと、思い切って亀を海に投げた。亀はガメラのように回転しながら、チャぽんと無事着水。波間を漂う亀は生きているようだ。普段人気のない岩場での私の行動が怪しかったのか、漁船が寄ってきた。私は亀に別れをつげ、崖を登っていった。しばらくして漁船がさらに近づくエンジン音がして、「亀だ!」との叫び声が聞こえた。

2006年7月22日 (土)
きのこが基礎から生えてきた

今日も天候は不順。5時の目覚ましで一瞬目が覚めたがうとうとしている間に6時。出発は6時半で案の定、首都高速渋滞、東名渋滞、港北SAで朝食をとり現地に着くころには昼ごろとなる。
 この40日間の大雨で土地が崩れていないか心配であったが見回った限りでは第一小屋建設予定地、第二小屋建設予定地とも無事であった。
 びっくりしたのは小屋の基礎石の上に立てておいた電柱からキノコが生えていたこと。触ってみるとシイタケのように肉厚でしっかりしている。ヘタをつまんでむしりとったものの、恐らくまた生えてくるんだろうなと思いつつ今日の作業を終えた。父は体調が良かったもののあまりやる気はなかったようで、早々に2人で岸壁の露天風呂へ行き、海を眺めて感慨にふけった。

2006年6月10日 (土)
助っ人の父は頭痛でダウン、帰り道で復活

朝5時半出発。天気予報で曇りのためか、首都高速はすいすい。先週あたり環状8号線が全線完成したとのニュースもあり、もしかするとその影響かも知れない。しかし、海老名で猛烈な眠気が。大事をとり仮眠30分、花粉症の薬を飲んだせいかもしれないが、目が半分閉じてくるので、再度途中で30分仮眠。そうこうするうちにハンディーホームセンターの開店時刻になっていたので2×4材を10本購入し、ルーフキャリアで運ぶ。到着は11時。着くなり、「頭が痛い」という父は青息吐息なので休んでもらう。午後になっても回復しないので、「歩いてくる」と言い残し戻ってきたのは午後5時ですでに帰ろうかという時刻。手伝ってほしい、防水シート掛けなどあったが結局、、、。今日の作業は道の拡幅と整備中心で終わってしまった。

2006年6月3日 (土)
ガクブル体験2:小田原厚木道路でパトカーに追尾される

まだ空に明るみが残る午後7時前、帰途に着く。小田原厚木道路を快調に走る。やけに空いている。メーターで115キロ程度を維持して走るが、下り坂では120キロを超えてしまう。追い越し車線でバックミラーを見ながら走っていると眩しめのヘッドライトの車がぐんぐん近づいて来た。恐らく時速200キロ近くであろうと思い、左側に車線変更し道を譲った瞬間に赤いランプが点灯していることに気づいた。「しまった!覆面パトカーだ。」その瞬間5年間無事故無違反で獲得したゴールド免許が消えていく映像、罰金の支払いなどが脳裏に浮かんだ。そうだ、ここは70キロ制限だと思いながらもアクセルを緩めると右斜め後ろにぴたりと追尾している。「あー、次は左に寄って止まりなさい」との声かと思いながら走っているが、聞こえないので、窓を開ける。今度は私の車の前に車線変更してきた。さらにスピードを落として90、80、70、60キロに。半ば観念して停車するポイントを探す。すると左ウィンカーを出して緊急避難スペースに停車した。「次いで停車するべきか?はて?もしかすると助かるかも。」「自分じゃない。」と言い聞かせてゆっくりとそのまま通過すると追って来ない。しばらくはドキドキがおさまらす、それ以降は法定速度でゆっくり帰りました。

2006年6月3日 (土)
湧き水発見、そんなの近くにあるだよ

近所のおじさんに挨拶。「どこいくだ?」「いやあ、ここからちょっと離れているところに水を汲みにいこうと思ってるんです。」「そんなのすぐ近くにあるだよ。今でも町営水道に使っていて、水の検査でズルするときはそこの水もっていくダヨ。この辺じゃ一番きれいな水だよ。」灯台下暗し、なんと200メートルほどのところに大量に湧き出ていた。ペットボトル2本を土産に汲んでその下を探検していくと最後に海岸に出るところで滝になっていた。

2006年6月3日 (土)
今日の作業は屋根材運び

車のルーフキャリアにガルバリウム鋼板を載せっぱなしで2週間。約100キロなのでちょっと心配。無事に運んだ波板を一気に現場へ運ぼうとしたが、4枚で15キロくらいあるので7回に分け、頭上に載せてゆっくりと運んだ。動物の鳴き声に目を向けると、鹿が4匹駆け抜けていった。道の整備も行おう、と崖の上の山側を削る。竹の子が1つコロリンと転がって出た。

2006年6月3日 (土)
ブルガク体験1:ETCのバーが開かない!

久々の伊豆行き。5時15分発で首都高速は空いている。ただし今日の天気は曇り時々雨。眠気をやや引きずりながら料金所のETCラインに滑り込む、おっと、バーが上がらない、初めてだ。急停止して係員を待つ。後ろには急いでいるらしい車がどんどん溜まってプレッシャー。しょうがないので、現金払いにしようと札を渡すと「お釣り無いからカード出して。」なんで釣りが無いのだと思いながらVISAカードを渡すと「そうじゃなくてETCのカード出して。」慌ててETCカードを取り出しほっとしたのもつかの間「すみませんねー」と後続車に謝っている係員に若干の怒りが、、。気を落ち着けるため、また苛立つ後続車を先に行かせるためにしばらく左車線でじっと我慢であった。その後も料金所ごとに冷や冷やで、到着は9時前。よくよく考えると、屋根に積んだガルバリウム鋼板が電波を遮ったのだろうか。

2006年5月20日 (土)
第2小屋設計変更

本日は茨城県の土浦にあるジョイフル本田に屋根材の買出し。外環と常磐道で1時間。自宅から同じ距離には幸手店もあるが、こちらは国道で行くと必ず込んでいて先日は3時間かかった程だ。荒川沖店は品揃えも以前より豊富になっていた。伊豆のプロジェクトの前に古民家解体プロジェクト(2001.8〜)をやっていたときに霞ヶ浦まで通っていたが、あの頃が懐かしい。
 ジョイフルは価格も安い。屋根材はガルバリウム鋼板波板と決めていたが、10尺(約3m)が他の店では無かったのに、ここでは店頭在庫で扱っている。これで、切り妻型の三角屋根から、片流れタイプに変更でき、コストも下がる。外壁の杉板も価格やサイズなど良く見て検討した結果、結局ガルバリウム鋼板角波に決定。模型を作り直した。伊豆の気候を考えた場合、杉では5年くらいで風化してくるだろうが、GL鋼板なら30年くらいもつだろう。最近のデザーナーズハウスでも良く使われているし、父も賛成だからよしとしよう。

2006年5月5日 (金)
仮置きした礎石を再度外して突き固める

昨日は電柱を30センチに切って礎石の上に置き、水準をそろえたが、どうも高さと位置が合わない。計測しなおすと長辺が5センチずつずれている。おかしいと思い、竹で作った計測棒を計ると5センチ長かった。父に作ってもらったものだ。まあ仕方ない。気を取り直して砂利の替わりに火山性の軽石層から掘ってきた土を基礎の隙間に入れて突きなおした。

2006年5月4日 (木)
巨石をユンボで移動、石を並べた上に置き、水準を出す

いよいよ第一小屋の着工だ。思い起こせば、開拓のはじめからは4年余りも経っている。はじめはジャングルを切り開き、次は街道の修復、石積み、そして山を登る道付けと建設地造成などそれぞれ1年程はかかったように思う。ここまで来れば後の展開は速い。測量をして、実際の建設場所は迷いに迷ったが、伊豆7島が見渡せる場所に決めた。割栗石を並べて突き固めた上にガレ場から集めたり掘り出したりした上面が平らな石(1個80〜100キロ)を水平に置き4箇所の土台の水準を合わせるという、とても原始的な作業を行った。

2006年5月5日 (金)
石焼き肉ジュージュー

焼肉をやりたいと主張する兄に押され、かまどで火を起こす。用意がいいもので、海岸から平べったい石を拾ってきたとのこと。燃やすものは無尽蔵にあるから、鉄パイプの上に石を並べてがんがん燃やすが、熱しにくく冷めにくい石らしくなかなか焼けない。しばくすると上に乗せた肉がジュージュー。

2006年4月19日 (水)
伊豆の街道ウォークでピンバッジをゲット

伊豆急からやっと額が届いた。江戸時代の末期、1853年の黒船来航時に下田へ向かった吉田松陰の足跡をたどるという企画で伊豆急の駅から駅へと旧街道を行く。駅で入場券を購入し、隣の駅で提出しスタンプを押してもらう。一駅ごとにデザインの異なるピンバッッジがもらえたのだが、昨年から合計3回かけてようやく全部揃えることができた。とはいっても本当に松蔭が歩いた道は現在はほとんど残っていない。旧灯台のそばを通り現在は行き止まりになっている旧道だけは、間違いなく本当に彼が通った道であろう。

2006年4月8日 (土)
ようやく竹の子ひょっこり顔を出す

朝5時半発。いつもなら首都高速は渋滞が始まっている頃であったが、今日は午後から天気が崩れるとの予報のためか車が少ない。一気に海老名SAまで行き現地には8時半頃到着。そのまま今度は蓮台寺のハンディーホームセンターに行きトラックを借りる。今度は土台用の防腐剤注入済み米松105ミリ角×4メートル材を10本と針葉樹合板20枚を購入。角材は重いもので1本50キロくらいあったのでお店の人に積込みを依頼、その合間に苗木コーナーで河津桜の木を3本購入。資材を135号で現地まで運んでトンボ帰りでお店まで帰る。なぜならば、自分の車は店に駐車していたからだ。今日は父と一緒だったが、往復1時間後に帰ってみるとゆったり休憩して「竹の子を探す」ミッションを果たしていなかった。これはまずいと慌てて竹の子を探す。どうやら近隣の人がかなり荒らしたと見えて全く見えない。ようやく発見!

2006年3月18日 (土)
渋滞で昼過ぎ着いて芝生貼る、土砂降りの雨、わが身をたたく

今日は朝6時10分に出発。案の定首都高速は大渋滞で、さらに東名高速道路で事故があり10キロ渋滞。港北SAについたときには既に8時過ぎ。ゆっくり朝食をとり仮眠してみたが厚木までの渋滞は変わらずで、9時にSAを出てから厚木では10時、熱海についたら11時半。伊東のホームセンターに立ち寄り、芝生を1束380円で5束(50枚)購入。現地に着いたら午後1時。既に昼下がりだった。近年まれに見る遅さでがっかり。今日は夕方から雨との予報で作業を急ぐが、午後4時過ぎ、芝生を貼っている最中に土砂降りに。レインコートをはおって作業を継続し昨年試しに貼った芝生10枚の周りに丁寧に貼った。

午後6時には帰途に。帰りは予想外に空いていたので海老名まで2時間。その後首都高速で事故渋滞に遭遇したので、霞ヶ関で一旦降りて一ツ橋で再び乗るというもったいないことをしたが、完全に事故渋滞3キロをパスできたのは幸い。

2006年3月6日 (月)
伊豆は花粉満載、道路は渋滞、河津夜桜、筍ぽろり

本日は朝5時半過ぎに出発。首都高速は順調に抜けるが、今週は河津桜が満開とあって伊豆高原あたりから道路渋滞。気温は10度ほどと、風が吹くと肌寒い。父はかまどで焚き火。先々週の続きで道の修復。ユンボで山を削っていると筍がぽろりと落ちてきた。まだ子供のようで皮も白い。夜になり温泉に向かいながら河津の夜桜を見物。
温泉に入って宿泊所に戻ると身体が冷えていた。夜はさらに冷えて、靴下をはき、薄いダウンを着て布団に入った。

2006年2月18日 (土)
3年ぶりに現地保管の木材を点検、ステインを塗る

3年ぶりに現地保管の木材を点検してみる。デッキ用に運んで置いた2×10材状態良く保存されており安堵、手のあいた父にステインを塗る仕事を依頼。

2006年2月18日 (土)
台風の傷跡、がけ崩れの街道を修復

朝5時半に父を迎えに実家に。おにぎりの用意を始めたばかりの状態で、遅れ気味の6時に出発したところ、やはり首都高でやや渋滞にはまる。それでもゆっくり10時ごろ現地に到着。おととしの台風で崩れた道の修復にかかった。獣道から自動車が通れるまでせっかく造った道であったが、台風の影響で路肩が崩れ、怖くて自動車は通れなくなっていた。竹の根を丁寧に掘りながら山側を削る。3時間ほどでなんとか1メートルほど拡幅した。これで通れるかも。

2006年1月28日 (土)
冬でもぽかぽか天気良し

金曜日の新年会のせいで、朝5時には起きられなかった。冬だから7時発でも大丈夫かと思ったが、そううまくはいかない。首都高速の5号線は志村から12キロの渋滞。結局到着は11時半に。

まずはユンボのエンジンをかけることに。1ヶ月以上ぶりなのでかかるかどうか、の心配をよそに1発でかかったので一安心。第2小屋の敷地の整備に2時間で敷地面積を50坪くらいに拡大。第一小屋の敷地の石積みに1時間。土地の境界の桜に巻きついた直径10センチを超える巨大なつる植物の切断に30分。ガレ場から岩の運搬に1時間。道の整備中に出てきた岩がぴょん吉岩のように地中部分がが大きくて、掘り出したらユンボより大きい1トンくらいの岩でびっくり。なんとか掘り出したもの時間切れで今日はここまで。

国道135号を走って気がついたのは、国道沿いの土地で造成や建築の動きが5箇所ほどあったこと。今まで冷えていた伊豆にもようやく好景気の波が押し寄せてくる予感。別荘地の取引も少し増えているのではないだろうか。

2006年1月3日 (火)
新年所感

安全第一!「山小屋いよいよ着工へ」目標。昨年末に1年を振り返ったが、本当に幸運であった。命あっての人生なので今年は安全に十分配慮しようと思う。茨城での古民家解体あたりから始まったプロジェクトであるが、あのときも大きな梁が落ちてきて(写真は解体中に落ちてきた松の梁2002.1.27)頭をかすって肩に当たり危なく大ケガをするところであった。昨年定年を迎えた先輩の「自信と過信は違うんだぞ。」との言葉を大切に謙虚にいこうと思う。

2005年12月2日 (金)
捜索の末、ついにシステム手帳が戻る

イベントの最終日、カバンは戻ったもの、旅先で買ったシステム手帳が諦められない。昨夜には噴水の水辺の草むらや水の中を探し、今日も朝から聞き込みなどしていた。美術館の警備員は「うちらの範囲はその線までです。」ランドマークの担当者も「そうですねえ。このエリアの範囲内の落し物なら確認できます。」などと、守備範囲が明確で、しらみつぶしに聞く必要があった。「いや待てよ。現金が入っていた手帳だから、一番最初に抜き出して処理したのではないか。」原点に戻り、展示場周囲の交通整理係に聞くと「落し物は警備センターに行きますよ。」とのことで、警備センターに向かった。センターでは担当者が「それらしい記録がありますが、すでに戸部警察に行っています。」光明が見えた。警察へ行って照会すると、私の手帳だった。現金はないもののボールペンも無事。中に自分の名刺も入っていたものの、恐らくカバンの届けと手帳の落し物は別々に動いているからリンクしないだろう。自力で追いかけた甲斐あり。他人には価値がないが、スケジュールなどが書いてある手帳が戻り、歓喜した。

2005年11月30日 (水)
携帯電話に不審な通報あり カバン見つかる

昼前に携帯電話に不審な電話がかかってきた。非通知表示を見て直感的に「見つかったかな」と思ったが、案の定カバンを拾ったとの通報。おばさんらしき声で、「今、散歩中にカバンを拾ったので、不自然なので中を開けて確認しました。会社の書類など入っていて重要なものそうなのでお電話しました。」とのこと。「やった!うれしいです。今どちらですか?」「横浜に美術館の前の広場です。4人組みです。」4人組みというのが引っかかったが、乳母車で散歩中のママさん4人グループだった。カバンは噴水の所に使っていたとのことで水が滴っている。中を開けると、鍵、通帳、印鑑も無事。システム手帳とレコーダはない。ビニールファイルに入れていたため、開拓地の原画は無事だった。嬉しかった。

2005年11月30日 (火)
バッグが盗難、中には鍵、通帳、印鑑、システム手帳入り

ユンボ事故の痛みもほとんど消えてきたこの頃、パシフィコ横浜での仕事中、目を少し離した隙にバッグが盗まれた。展示会場でのことなので、大勢が出入りしており、これはやられたとすぐ展示会事務局へ連絡。中には、預金通帳、印鑑3本、システム手帳やICレコーダなど重要な物が満載。伊豆開拓マップの原画も入っていた。ショックで気分が落ち込むなか、自宅にメール「家の鍵盗まれた。鍵110番に鍵交換頼むべし。」銀行の通帳、印鑑停止。交番に行くと、交通事故の処理で、バタバタ。盗難だと面倒だそうなので、遺失物届けに。ああ明日から3日間のイベント直前に気が重い。みなとみらい周辺を探すが当然見つからない。そうだ、システム手帳の中には5000円の現金も入っていた。午後10時ごろ家に帰ると鍵の交換中。「どうせ酒でも飲んでグラグラしてて盗まれたんでしょう!」と。鍵屋のおじさんが、「いやあ最近多いですよ。この前も続けて3回も鍵を交換した家があって、さすがに3回目には奥さんが怒りまくっていましたよ。」とよくわからないフォロー。「この前、私も道具セットを盗まれましてね。30万円払ってもとりもどしたいくらいですよ。ほら。」と商売道具を見せてくれた。「鍵屋をやっているといりいろなことがありまして。この前は、4ヶ月行方不明の息子をさがしているお母さんと、刑事さんとマンションのドアの鍵を開けたら、、、」などなど話してくれた感じのいいおじさんだった。

2005年11月13日 (日)
ユンボ不調の原因は燃料フィルターの目詰まり

ユンボのカバーを外すと、ストレーナ交換した古い(燃料フィルター)が運転席にちょこんと置いてあった。分解してみると、砂がいっぱいに詰まっていた。転倒で燃料タンクの底にあった泥と砂をめいっぱい吸い込んでしまったのだろうか。これではエンジンが息継ぎして止まってしまうはずだ。

2005年11月13日 (日)
第2小屋予定地を再度拡張、いよいよ小屋建設の位置決め

コマツの修理も完了。修理代は出張代込みで2万くらいだろうか。とにかく動かしに行く。朝5時半に出発すると、土砂降りの雨。首都高から東名までひたすら降り続ける。眠くなったのでケーヨーD2の駐車場で仮眠。9時半の開店とともに店内で買い物。

場所を決めようと竹を置いてみた。うーん、以前に植えたみかんの木が邪魔になってしまった。

2005年11月11日 (金)
小屋の模型正面から(ふくろうが覗く)

 

2005年11月11日 (金)
小屋の模型を制作(屋根をとった内側)

これが内側。屋根はガルバリウム鋼板を想定してアルミホイルに定規で筋を付けてみたが、感じが出た。

2005年11月11日 (金)
松坂弁当から小屋の模型を制作(外側)

弁当の箱を見た瞬間ひらめいた。「これで小屋の模型を作ろう!」というわけで洗って乾かしておいたが、ふとゴミ箱を見ると弁当箱はバキバキと壊され捨てられていた。気を取り直して使える部分で小屋を作った。第2小屋だ。広さは6畳程度、ロフト付き、30分の1模型がちょうど出来た。
携帯電話にコマツ東海から電話が入る「あのーすみませんが、修理の件で、、、燃料系統のストレーナが詰まっていたので交換しましたらなおりました。」とのこと。これで開拓再開だ!

2005年11月8日 (火)
復活!ただし伊勢エビとアワビの買出し命令

あれから3カ月、背中の痛みは消えていたのであるが、先日満員電車でつり革につかまっていた時に後ろから押され、海老ぞりになった瞬間に激痛が走った。やはり完全に癒えたわけではなかったようだ。考えてみれば、脊椎動物の最も重要な基幹神経が背骨の中を通っているわけで、背後からのダメージにはとても弱い構造になっている。今回のミッションはユンボの調子確認と伊勢エビの買出しだ。ユンボはエンジンこそ一発始動したのだが、その後10分ほど作業をしている最中にスコンスコン息継ぎを始め、今度は負荷を掛けた途端にエンストしてしまった。<p>
「おじさんキロいくら?」「5000円ぐらいの伊勢エビください。」と話かけたが、オヤジは「5000円のは相当でかいよ。」と私の懐具合を見透かしたような返答だったので、「じゃあそこのヤツ」と結局3000円くらいのエビを買った。おまけにアワビも購入。デパートと比べると生きがいいのに半額だった。帰ってから急いでボイルして半生の剥き身はエビサラダに、アワビは冷蔵庫で一晩過ごした後に酒蒸しになってしまいました。ごちそうさま。

2005年8月22日 (月)
あの日から3週間経過、背中が突っ張る

事故の日から3週間が経過した。背中の傷はふさがったものの、皮下血腫はまだ少しある。筋肉が一部が凝り固まっているようで背中を丸めると突っ張る。腰も痛いし左足の付け根も痛い。

しかしつくづく幸運を実感している。思い起こせば幼稚園の時に神社の長い石段から転げ落ち額を切った事故、小学校1年生の頃道路を横断しようとバスの後ろから飛び出しトラックにぶつかり額を切った事故(先の事故と同じ場所)高校時代にオートバイでスリップして対向車線に流されていった事故などあったが、今回ほど自分で危機感を実感した事故は初めてだった。

事故後に現場で確認したが、ユンボが土にめり込んで隙間は更に小さくなっていた。また立ち木によってユンボの落下が止まったことなど再確認してぞっとした。

2005年8月14日 (日)
あの事故から2週間、ジーンズの開きをかみ締める

7月29日の事故から2週間、まだ背中と腰と足の付け根が痛む。しかしながら幸運に感謝、感謝。先日、ジャンボ宝くじの販売最終日に買おうと思ってやめた。今回の不幸中の幸いは、1等当選ぐらいの価値はあるだろう。生まれ変わったつもりでこれからの人生を生きたいというのが今の気持ち。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とならないようにジーンズの一部をとって置こう。

2005年7月29日 (金)
 

慌てて逃げようとしている所にユンボが落下。下半身を挟まれ動けない。10分間もがくと左足が動くようになったが、右足はユンボに挟まれ動けない。左ポケットにあった携帯で近所のおじさんに電話するが不在。エンジンが止まらず熱いオイルが漏れて足にしみてきたので意を決して110番通報。なかなかかからない。せっかく通じたものの電波が弱いので切れてしまう。3度目に近くの警察につながる。「山中で作業中、重機の下敷きになり動けません、至急救出願います!」「どこですか?意識は大丈夫ですか?本人ですか?ご住所は?携帯電話の電池は大丈夫ですか?」などのじれったい会話の後、「レスキュー隊出動、ヘリドクター出動」などと声が聞こえる。待つこと17分、まず、伝言していた近所の知人が到着「あれ!ユンボがどうとか言ってたけど、自分がはさまれてんのか?」間もなくサイレンの音とともに近所のレスキュー隊到着。ウィンチとワイヤーでユンボを持ち上げ救出される。その後担架に乗って山道を搬送され救急車へ。ストレッチャーで車内に入った途端に血圧、心電図、点滴、酸素吸入、「ジーンズ切ります」との声。「待機ヘリ、ヘリ搬送は不要です。帰還」ヘリドクターは帰り、そのまま救急車で病院へ。幸い出血は少ないものの、痛みで寝れない。痛み止めを打ってなんとか。当日は地元の花火大会らしく、「ドン、ドドン」との音が体に響いていた。

2005年7月29日 (金)
 

ぴちょん君、ユンボから先に落下。2メートル下の地面へ。落ちながら考えた(これはユンボが降って来るから逃げなきゃ!)そして地面に這いつくばった瞬間。

2005年7月29日 (金)
 

木に引っ掛けていたバケットが急に外れてユンボが後方に回転、思わずのけぞる。

2005年7月29日 (金)
 

調子に乗ったぴちょん君、山の斜面で油断している。

2005年5月18日 (水)
伊豆から自転車で朝発つ父の背中は光っていた

父は今回自転車に乗るのが一番の目的だった。鹿よけの柵を作るときにもどうも身が入っていなかった。竹を随分切り出したが、いざ柵を作るとなると、番線(針金)を適当に切って竹と竹とを交差して縛るのも下手だ。こうした作業は一人でやってくれると、その間私がユンボの運転などしてはかどるのになどと考えていたが、まあしかたがない。


 5月2日の天候は雨予定だったが、朝起きると雨は上がっていた。このタイミングを逃すわけにはいかないと、7時にそろりと発った。後姿を見送ったのだが、なぜか背中が光っていた。200キロ以上の道のりを途中1泊して帰ると言っていたのだが、聞くところによるとその日の夜中12時過ぎに到着したらしい。17時間は前回よりかなり短縮したとのこと。後日、あったところ擦り傷が、、、国道135号で転倒したらしい。危うい。

2005年5月16日 (月)
GWの作業は竹の子にはばまれ、ぼちぼち

GWは4月29日から泊り込み。初日は渋滞を避けて夜到着のため、買出しをしたあとすぐ就寝。30日は朝からユンボを動かす。竹の子を早速掘りたいと思ったが「いま掘ると帰るまでに腐っちゃうぞ」との声に目が覚め道の補修。竹の古株を掘り起こし昨年台風で崩れた道を拡張していく。太さ15センチほどにもなる竹の根は大人が抱えられないほど大きな塊となって地中にしっかりと埋まっている。ショベルで引っ張ると約800キロの重量のユンボが浮かぶほど手ごわい。あまりにフルパワーで使いすぎたせいかユンボはまたエンジンストップしてしまう。オーバーヒートか? エンジンカバーを分解して燃料系を調べるが原因は不明。先日コマツ東海の人に聞いたレバーをいじり、少し待って何度かトライすると「ブルッ」と動く気配。引き続き何度かセルモーターを回すとようやくかかった。マニュアルをよく読むとエンジンをフルパワーで使う場合には20分以内と書いてあり、やはり過酷な使い方だったと反省。竹の根堀りはお預けし、今度は車の折り返しポイントを造成。

2005年4月10日 (日)
踊り子号でお出かけ、山桜は満開

1週間気になっていたユンボを道から移動するために電車で出かける。本当は車で行きたかったのだが、先週行った際に眠気と花粉で目が閉じてくっつきそうだったので仕方がない。とはいえ、4時間もかかるのはたまらないので、東京駅から踊り子号で一本という少し贅沢なプランを採用。

ユンボは無事だったが、ほんの少し崖から内側に移動してありブルーシートもロープで頑丈に縛ってあった。山桜は満開で、道には花びらが大量に落ちている。河津桜に比べるとほとんど白い色の花びらは少し地味ではあるが、大木に咲く花は豪快でもある。ユンボを元の場所まで戻して一安心。竹の子はもう少し。

2005年2月20日 (日)
河津の桜は8分咲き、自分の鼻は6分詰まり

昨日から伊豆入りして、いつもの宿にお世話に。ただし、作日は、いつにない強風と冷え込みで、作業で疲れ果てた後にコタツでうとうと居眠りしてしまい、気がつくともうすっかり夜という具合だった。温泉に行くのも億劫になり、そのまま眠る準備を始めた。気温は10度を切っているが敷き布団2枚に毛布、掛け布団でしのげるだろうと考えたのが甘かった。雨戸がなく、ガラス戸で囲まれた合計26畳程のスペースは、寒かった。靴下をはいていたのにもかかわらず、熟睡できぬまま朝を迎えた頃には、どうも風邪を捕まえてしまったようだ。折からの花粉症とあいまって鼻がつまり気味で喉も痛くなった。

今日(20日)は花見だ。昨年はこの頃6分咲きだったが、今年は開花が早いようだ。天気は曇りで寒い。予報が雨だったため、人出は思ったより少ない。川のほとりを桜を見ながら歩く。「イラッシャイマセ!」と大声が響く地点に差し掛かる。そうだ、昨年もこのあたりで、知人に会い、挨拶をしていたら「ゴメンナサイ!挨拶はよそでやってください!」と邪魔にされ追い払われた、あの呼び込みの声だ。不快感を思い出しながらも観察すると、あまりの激しい呼び込みにびっくりして、おばさん、おばあさんらが避けて通っている。呼び込みは6店程の出店(お好み焼き店や土産店など)を集めた広場に歩道を行く人々を誘導しようとしているが、人が1人も入っていない。小雨も降りはじめ、広場中央のパイプイス50脚ほどが空しく濡れている。客引きの男は相変わらず、「イラッシャイ!」と大声で怒鳴っている。ああ興ざめだなあ。

2005年1月10日 (月)
巨石でかまど。焼肉、あら汁、ご飯はおこげ

兄家族と父と久々の大所帯で朝6時出発。3連休の3日目だからか首都高速も東名も135号もスカスカ。北川温泉に寄ったにもかかわらず 9時半には現地着。先日ユンボで集めておいた巨石でかまどを造る計画。ところが、肝心のユンボがバッテリー上がりで始動しない。仕方なく人力で汗だくになりながらくみ上げる。最大の石は200キロぐらいありそう。父と声を出しながら動かそうとするが、全く息が合わず、最後は一人で調整。コの字型に組んで足場パイプを渡して出来上がり。豊富に有る薪をくべてガンガン燃やす。ひととおり焚き火を楽しんだ後、弱くなった火でクッカー(金目鯛のあら汁)と飯ごうをパイプに掛けてあっとゆうまに出来上がり。置き火にフライパンを置いたら今度は焼肉だ。飯ごうのご飯はおこげが多いけど、あー腹いっぱい。今日は今までになく伊豆7島が良く見える。その後車のバッテリーを外してユンボを始動したが、エンジンを停止するとだめなので、動かしっぱなしに。今度はそれが災いし、オーバーヒートでストップしてしまう。オーバーヒート防止機能が付いているためだが、坂の途中で止まってしまい一苦労であった。帰りは河津の踊り子温泉に立ち寄る。割引クーポン券で500円の節約がうれしかった。

2004年12月26日 (日)
開拓収め、崩れた斜面に木の種をばら撒く

久々の伊豆。今日は朝4時に目を覚ましてしまったので、そのまま4時半に出発。国道135号線を走りながら海からの日の出の瞬間を見る。7時半には現地に到着。がけ崩れになっている道は前回見たときから特に変化はない。そうだ、木をはやそう!この辺にはイヌザンショウという、山椒科の大木が多く生えていて、秋から冬にかけて大量の種を地面に落としている。これをたくさん拾い集めて、崩れた斜面にばら撒いた。おそらく数千個はあっただろう。陽当たり良好な南向き斜面なので、春には芽を出し、丈夫な根っことトゲトゲの茎を持った若木が育つだろう。2年前に切り開いたところではこの木が既に腰丈まで育っている。トゲが多いのが難だが斜面を安定させるに十分な根の強さを持っていて期待できる。そのあとで種が少し付着するようにユンボで土をまいておいた。快復までは10年はかかるだろうか。「ここは危険だねえ。柵か何か必要だね」と近所の人が話しかけてきたので、「そうですね、私も鉄パイプと竹で作ろうと思っているんです」と答えていたが、そこにとことこと見知らぬおじさんが来たので「こんにちは」。「ちょっと崩れてるところ見せてもらうよ」と言っておじさんは実は町の議員さんだった。「漁師さんから通報があって、見に来たんですよ」とのこと。「実は私たちも今しがた危険なので柵でも作らなければと言っていたんですよ」と近所の方。「道の管理と土地の所有関係を調べて対応を考えます」と町議さん。あまりのタイミングの良さにびっくりだったが、前回の日記の写真のごとく海からははっきりがけ崩れがわかったのがきいたみたいではある。この次来る頃には柵でも作ってあるかもしれないと、楽しみになった。

2004年12月4日 (土)
父の"夢”を思い出して今日は畑の開拓

今日は土地の測量が主たる目的。NTTが持っていた古い電柱の位置の記録と公図、航空写真、土地の老人の言い伝えなどから総合的に推測して調査。 今まではよくわからなかったが、この土地の境界は桜の大木で囲まれているそうだ。斜面を歩いていくとなんと公図の境界通りに確かに桜の大木が生えている。きっと昔植えたものであろう。実際の境界は正式な測量が必要であるのでとりあえずの目安として境界を理解した。そんなわけで安心して畑を開拓することに。父が昔から「畑が欲しいなあ」と言っていたがようやく夢をかなえられる。細い雑木を切り、ユンボを使って根を抜く。30坪ほど開拓したが、あまり日当たりが良くない。結局のところ周囲の木もある程度切らなくてはならない。土地の老人によるとこのあたりは昔はほとんど木が生えていなくて畑だったそうだ。その後地盤補強に竹を植えたらどんどん繁殖して増えてしまったとのこと。それに炭焼きも行っていたので、頻繁に木を切って更新していたそうだ。その証拠にひとつの切り株跡中心に10本ほど木が育っているところが多く見られる。

2004年11月2日 (火)
車中泊、雷鳴轟き鉄板のレインダンスを聴く

10月30日、朝10時に出発。週末の天気は悪い予報であるが首都高速は渋滞し伊豆に到着は午後3時頃。台風22号で崩落した現場を再確認しに道を奥に入っていく。道の表面は何とか元の幅をキープしているものの、裏側は抉れている状態でもし車で通ろうものなら100メートル下の海岸まで滑落してしまうだろう。ここは当分近寄るのはよそう。踊り子温泉に行き6時から3時間あまりゆったり過ごして戻ってくると日はとっぷりと暮れて寂しい雰囲気だ。昨晩TV映画の「スリーピーホロウ」を観たのが影響しているかもしれない。あてにしていた宿に泊まれなくなり仕方なく車中泊の準備を開始。狭いハッチバック車でシートを倒してもフルフラットにならないので、シートレールのボルトを全て外して助手席を取り外しスペースを作った。程なく雨が降り出し、次第に激しくなってきた。雷鳴が鳴り、ビタビタと車のボンネットを雨がたたく中、無理やり眠る。新潟地震の被災者を思う。