■選ぶべき道

 どの町でも酒場は大抵が喧騒に包まれているものだ。
 そこに集まるのは、大半が暗い世相と日々の仕事の疲れを忘れようとひたすら騒ぐ男たちだ。中には仕事を求めて流れてきたはぐれものの傭兵やたまたま宿を求めてここに現れた旅人なども混じっていてさながら人種の坩堝と化している。そんな酒場の片隅のテーブルに、一人の男がひっそりと人待ち顔で座っていた。
 ひどく、目立つ男だ。他を圧する巨躯、鋭い眼光、そこにあるだけで自然に人の視線を集める圧倒的な存在感。だが、男は顔を目深にかぶったフードで隠し、巨躯を旅装のマントの下に収めて上手く周囲に埋没している。麦酒を注文したきり一言も口を利かず黙り込んだままの男はいかにも訳ありといった風情だったが、そんなものも喧騒に飲み込んでしまうのが酒場という場所の利点である。
 男の待ち人らしき人物が現れたのは、夕食時を迎えて喧騒が耳に痛いほどになった頃のことだった。同じように旅装のマントとフードで姿を隠したその人物は男を見つけるなり大混雑のフロアを縫うようにしてするりと近づいてきた。
「お待たせしました」
「遅いぞ」
 丁寧な謝辞に男は低い声で無愛想に言い放つ。相手の人物は口元だけで苦笑して答えた。
「このような場所を待ち合わせにお選びになるからですよ。探し出すのに少々苦労致しました」
「ふん、悠長なことを……あとの二人はどうしたのだ」
「外にて待たせてあります」
「では上へ連れて来い。突き当たりの部屋だ。先に行っている」
 男はすっくと立ち上がり、酒場の二階にある宿へと上がって行った。男の席から二階へ向かう階段の間には多くのテーブルがあってたくさんの人間がひしめきあっていたのだが、男はその巨躯にも関わらず肘一つ当てることなくするすると間をすり抜けていった。その鮮やかな身のこなしに気づいたものはいない。それもまた、酒場という場所柄の利点であるのかもしれない。
 部屋に入ると、男はフードとマントを脱ぎ捨てた。総髪に近い大地の色の髪がフードの下から現れる。荒削りでありながら風格と威厳を兼ね備えた面差しは一見してすぐに名のある武将であることが見て取れる。実際の年齢よりもいくらか年かさに見えるかもしれない。
 男の名はダナン。このユグドラル大陸を統べるグランベル帝国の実権を握る六大公爵家の一つ、ドズル家の現当主である。彼はここで各領地に散っていた三人の息子と会うことになっていた。
 ダナンは粗末なベッドにどかりと腰をおろし、息子たちの到着を待った。やがて複数の人の気配が近づいてきて、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「失礼致します」
「入れ」
 鷹揚に促されてドアを開けたのは、フードを下ろした先ほどの人物だ。ダナンよりもやや色素の薄い髪にくっきりと太い眉が特徴的な顔をしている。彼の名はブリアン。ダナンの長男であり、次代の聖斧の担い手である。
「お待たせしました、父上」
 生真面目に頭を下げる長男にダナンはフンと鼻を鳴らす。
「早く入れ。他の二人はどうした」
「後ろに続いております。ヨハン、ヨハルヴァ」
 兄に名を呼ばれた二人の兄弟が続いて室内に入って来た。
「父上もお戯れ好きのところはお変わりありませんな。火急の御用とあらば我ら三名いつでも御許にはせ参じようものを、わざわざこのような鄙びた場所で待ち合わせとは……」
 軽く肩をすくめたのは次男のヨハン。兄をしのぐ長身に父や兄に似ないやや線の細い優男風の顔立ちをしている。立ち居振舞いも貴公子然としているためかこんな場末の酒場ではどうにも浮きまくっていた。
 対照的に、妙にしっくりと雰囲気になじんでいるのが三男のヨハルヴァだ。外見、雰囲気ともにダナンに最もよく似ているのが彼だろう。ガキ大将がそのまま成長したかのような豪放さは貴族たちに粗野で乱暴と見られる代わりに領地であるソファラ城下の民には親しみやすいと慕われている。
「相変わらず口うるさいよな、ヨハン兄貴は。たまにはこんなのも悪くねえだろ。俺は好きだぜ、こういうところは」
 ヨハルヴァは不敵に言い放って酒場から失敬してきたグラスと麦酒のビンを取り出してみせた。
「久しぶりにやろうぜ」
 それを見たヨハンが大げさに首を振って嘆息した。
「なんと手癖の悪い…これが神の血を受け継ぐ六大公爵家の三男のすることか?」
「やかましい。ちゃんと店のオヤジには断って持ってきてんだ、文句言う奴にはやらねえぞ」
 次兄に噛みつくヨハルヴァをブリアンが制する。
「よさんか二人とも、父上の御前だぞ」
「よい、ブリアン。どうせこやつらのことだ、言ったところで聞かぬだろうよ」
 苦笑交じりのダナンの言葉に反応したのはヨハンで、彼は大げさに眉をしかめて苦言を呈した。
「父上、それは心外な申されようですな。私とこのヨハルヴァを同列に扱われるとは」
「てめえ、そりゃどういう意味だよ!」
「こら、いい加減にしないか」
 今にも喧嘩を始めそうな弟二人の間に割って入ったブリアンは小さく嘆息して麦酒のビンを手にした。
「父上、まずは一杯」
「おう」
「あ、何だよブリアン兄貴、俺が注ごうと思ってたのによー」
「がっつくな、みっともない」
「んだとこの」
「いちいち突っかかるなというに……ヨハン、おまえも少し口を慎め」
「失礼、性分なものでね。兄上、お注ぎしましょう」
「む、すまんな」
「だから俺がやるっつって」
「おまえにもちゃんと注いでやるから黙って順番を待て」
 なんだかんだとやりあううちに全員にグラスが行き渡ると、誰が指示を出すまでもなく自然に全員が立ち上がった。
「まずは無事の再会を祝して」
 ブリアンの音頭でカチンとグラスが打ち合わされる。
 質実剛健な家風のゆえか、ドズルの男はなぜか一人の例外もなくひとたびグラスに口をつければ飲み干すまで離さないという習性を持っている。しかも口にするのは貴族たちが好む上質の果実酒ではなく、庶民が口にするのと同じ安い麦酒だ。
 ほぼ同時にグラスを空にした彼らは小さく息をついた。
「やっぱ喉が渇いたときはこいつだよな。果実酒なんか甘ったるくて飲めたもんじゃねえよ」
 口元の泡を拳で拭って豪快に笑うヨハルヴァに、ヨハンが済ました顔で釘を刺す。
「だからといって利き酒の一つもできんのはどうかと思うがな。ミレトス産とアルスター産の区別もつかぬようでは商人たちに侮られるぞ」
 果実酒はアルスターの名産品だ。特に西部産は最高級品とされている。ミレトスも果実酒の産地ではあるのだが、品質の点ではアルスターに一日の長があった。ゆえに、両者の価格には天と地ほどの差がある。商人の中にはそのことを利用してミレトス産の果実酒をアルスター産の空瓶に移し変えて本物と偽り高く売りつけようとする悪徳な輩も存在するのだ。そんな商人の一団が先日イザーク城下で検挙されたのだが、その一団がソファラ城下で荷物検査を受けながら何の咎めもなく通過していたことをヨハンは皮肉ったのである。痛いところをつかれたヨハルヴァは苦い顔をした。
「わかってるよ。ったく、よけいなことだけ覚えてんだな」
「私が見抜いていなければ今ごろは献上品として父上の元に届いているところだぞ。わかったら少しは反省しろ」
「何だよ、こんなとこでバラさなくたっていいだろこのクソ兄貴!」
「いらぬ恥をかかずにすんだだけありがたいと思え」
「こんの……」
 拳を握るヨハルヴァをブリアンがやんわりと制する。
「そのくらいにしておけ。そのような言い合いをするためにわざわざ呼んだわけではないのだぞ」
「けどよ、ブリアン兄貴……」
「失礼した。父上、お話とは」
 ヨハルヴァの台詞はさらりと話題を変えてしまったヨハンによって宙に消えた。
 次男に水を向けられたダナンは静かに息子たちを見回して、問うた。
「おまえたちは自分の道を自分で選ぶ覚悟があるか」
「父上?それはいったい」
「己が信ずるもののために親兄弟と道を違える覚悟があるか。信ずる道を貫くために互いと刃を交える覚悟があるか」
 父の声に潜む真剣な響きに兄弟たちが息を呑む。
「その覚悟なくば、ドズルの漢を名乗ることは許さん。おまえたちはどうだ」
 次男と三男は同時に長男を見た。長男は黙したまま口を開かない。彼がそのような態度を取るということは、つまり父の言わんとすることを理解してすでに答えを出しているということだ。
 ヨハンがすう、と表情を消して答えた。
「……私には私の信じる道があります。父上には父上の、兄上には兄上の、ヨハルヴァにはヨハルヴァの道がありましょう」
「おい兄貴」
「その道を譲るなどもとより出来ぬ相談。なれど……せめてその理由を問うことは許されたい」
 ダナンがく、と口元をゆがめて笑う。
「問うても詮無きことだ。それでも聞きたいと?」
「不肖の我が身なればこそ」
 ダナンは笑いを収め、末弟に目を向けた。
「ヨハルヴァ、おまえはどうだ」
「俺は……」
 父と兄二人に注視されたヨハルヴァは言葉に詰まったが、やがて喉につかえたものを吐き出すように言った。
「……俺は兄貴たちと違って未熟者だからな。俺が納得行くまで譲る気はねえよ。道が違うって言われてはいそうですか、なんて納得できるか。徹底的に理由を聞き出すに決まってんだろ」
 そして、聞き出すまでは刃を向けることすらしないだろう。それがヨハルヴァの強さであり、弱さでもある。
 ヨハルヴァらしい答えに、ヨハンがくすりと笑った。
「何だよ兄貴」
「いや……おまえらしいことだ。父上の問いの答えにはなっていないようだがな」
「ぐッ……オヤジ、まどろっこしいこと言ってねえでさっさと本題に入ろうぜ!そんなこと聞くからには何か理由があんだろ?」
 無理やり話をそらそうとするヨハルヴァに、ダナンは静かに告げた。
「バーハラより指示が下った。『子供狩りを実行せよ』……とな」
「なんっ」
「断れば六大公爵家といえどただでは済むまい。よくて現当主……わしの断罪。悪ければ一族の根絶やしにまで話が及ぶことになるだろう」
 淡々と告げるダナンの声に、事態の深刻さを悟った二人は絶句する。ただ一人表情の変わらないブリアンは、すでにこの情報を入手していたのだろう。顔色を失ったヨハンが声を絞り出すようにして尋ねる。
「……それで、父上はなんとお答えになったのですか」
 ―――答えは、恐ろしいほどに重い沈黙だった。
「まさか……」
「オヤジ、冗談だろ?」
 剛毅なはずのヨハルヴァの声がわずかに震えた。対照的に、泰然とすら響く声でダナンは答えた。
「聖戦より連綿と続く神の血をここで絶やすわけには行かない」
「オヤジ!!」
 ほとんど反射的にヨハルヴァが父の胸倉を掴んだ。
「本気で言ってんのかよ……子供狩りっていやあロプト教の野郎どもがやったことと同じじゃねえか。そいつらと俺たちの先祖は戦ってたんじゃねえのかよ!」
「ヨハルヴァ」
 ブリアンが諌めるように名を呼ぶが、彼の耳には届いていない。
「俺は絶対にやだぜ!いくら皇帝陛下の命令だからってそんなもんに従うくらいなら死んだほうがましだ!!」
 後を引き継ぐように表情を引き締めたヨハンも答える。
「私も承服いたしかねます。身を守る術をもたぬか弱き子供を邪神の生贄に捧げるなどという恥ずべき行為は明らかに騎士道に悖る」
「では、わしを今この場で殺すか」
 父の声はひどく冷ややかだった。
「父上……?」
「わしを殺し、その首を持ってドズル家の反逆を大陸全土に知らしめるか。それならば確かにおまえの言う騎士道とやらは守れるであろうよ。一族郎党及びドズル本国の民の命を犠牲に……な」
「……ッ!」
 声を失う弟たちに、ブリアンが苦渋の表情で告げる。
「ロプト教の勢力はそこまで帝国内部に浸透しているということだ……残念ながら、な」
「まさか……あのアルヴィス陛下が」
「中央の実権を握っているのはもはや陛下ではない。ユリウス皇子だ」
「ユリウス、皇子ですか」
 六大公爵家の子弟としてバーハラ王宮に出入りする機会も多かった彼らは次代の皇帝たるユリウス皇子とも何度か面識がある。幼い頃は無邪気な少年だった。フリージ家のイシュタル王女と楽しそうに遊んでいる姿を見かけたこともある。だがある時を境にその性格が激変した。彼らがそれを痛感したのは、不慮の死を遂げた皇妃ディアドラの葬儀の時だった。
「……あの方は変わられた。無邪気さが消え、ひどく禍々しい気を纏われるようになった……」
「俺、覚えてるぜ。皇妃様の葬儀の時に……あいつ、笑ってやがった。自分の母親の葬儀だぜ?それなのに、無邪気な顔して楽しそうに笑ってやがったんだ。あれは、まるで……」
 その先は、口にするのもおぞましい。
 黙りこむ弟たちに、ブリアンは諭すように言葉を続ける。
「何があそこまで殿下を変えてしまったのか、それは我らには知る術もないことだ。だが殿下へのロプト教の接触を許してしまったのは我らの失態でもある。その責任はとらねばなるまい」
「けどよ、ブリアン兄貴……」
「故にこそ、おまえたちに道を選ぶ権利を与えようと父上は仰せなのだ」
 そこでようやく父と兄の真意を悟ったヨハンは唇を噛んだ。
「ヨハン」
 父の声。決断を促すそれに、震える唇を開く。
「……父上は、すべてご存知なのですね?このイザークの地に灯る希望の光の存在も……」
「ヨハン兄貴」
 ヨハルヴァが遮ろうとする。
 ダナンは無言のままだった。
 沈黙は、肯定の意だ。ヨハンは硬く目を閉じ、天井を仰いだ。
「ならば、もはや何も申しますまい。……私は、私の道を選びましょう」
「兄貴!!」
 ヨハルヴァの声はまるで悲鳴のようだった。
「ヨハルヴァ、おまえには父上たちのお気持ちがまだわからぬか」
「わかんねえよ!そんな簡単に割り切れるもんじゃねえだろ!?」
 目を開き、ヨハンは弟を睨み据える。
「ヨハルヴァ。おまえもドズルの漢ならば覚悟を決めろ。どちらの道を行くもおまえの自由だ」
 情に厚い男だ。それゆえにこそ彼には簡単に選べない。家族も、民も、己の正義も。
 迷いに瞳を揺らす弟にそっと微笑んで、ヨハンは父に向き直ると優雅に膝を折った。
「御前にて膝を突くのはこれが最後にございます。いつか刃を交えるその日まで……どうか、ご壮健で」
「うむ。道半ばで倒れることのなきよう精進せよ」
「承知……」
「ヨハン……立派になったな」
「兄上、あなた方の正義はこのヨハンがしかと胸に刻みました。生涯決して忘れることなくドズルの漢の生き様を全うして見せましょう」
「次に出会うは戦場。おまえの言葉、その場で確かめさせてもらうぞ」
 ブリアンの言葉を受けてヨハンは立ち上がり、マントを翻す。
 拳を震わせていたヨハルヴァがその時初めて叫んだ。
「兄貴、俺も行く!」
「……ヨハルヴァ。いいのか?これは死出の旅路だぞ」
 背を向けたまま問うヨハンに、ヨハルヴァは力強く答える。
「どっちに転んでも同じだ。どうせどっちかと戦わなきゃならないんなら……少しでも後悔しねえ道を選ぶしかねえだろ」
 ヨハルヴァは父と兄に向き直った。
「オヤジ、ブリアン兄貴。俺は別れの言葉はいわねえ」
「それでよい。おまえの選ぶ道だ」
 ダナンがふっと口元を緩ませる。それは彼が初めてみせた息子の成長を喜ぶ親の表情であった。
 ヨハルヴァはくしゃりと表情を歪ませ、それでも言い切った。
「また会おうぜ……じゃあな」
 返事を待たずに背を向けたのは涙を見せないための彼の精一杯の虚勢だったのだろう。
 そのまま一度も振り返ることなく部屋を出て行く息子たちを静かに見送り、ダナンが呟くように言った。
「……おまえも行ってもよかったのだぞ、ブリアン」
 彼とて思いは同じ。それは痛いほどに伝わっている。
 ブリアンは小さく苦笑して答えた。
「聖斧の継承者が野に下ればドズルもただではすみますまい。それとも、死出の旅路の供が私では役不足ですかな?」
 ダナンも口元を笑みの形に歪ませる。
「馬鹿な奴だ……すまぬ」
「謝られますな。これが我が道にございます」


「……ヨハルヴァ、フードをかぶれ。そのままでは人目につく」
 つかつかと廊下を歩く足を緩めぬままヨハンがぽつりと言った。その表情は、凍りついたように硬い。
「わかってるよ」
 頬に伝う涙を拳で拭い、乱暴にフードを引き寄せるヨハルヴァ。
「これから忙しくなる。国許に帰り、情報を集めねばならん。それに……」
「城下にもぐりこんでるロプトのスパイを一掃しなきゃ、だろ」
「ほう、よく気づいたな」
「当然だ。俺はもう泣かねえ。いつまでも女々しくしてたらオヤジたちに顔向けできねえもんな」
 ダナンは現当主ゆえに。ブリアンは聖痕を持つゆえに。
 守るべき民のために、二人とも正しい道を知りながら違う道を選ばざるを得なかった。そのことによって、後世にまで語り継がれるであろう汚名をかぶるとわかっていてもだ。わかっていて、彼らは自分たちに託してくれたのだ。選ぶべき道を。
「行くぞ」
「おう」
 短い言葉を交わし、二人は足を止めることなく突き進んでゆく。
 絶望と希望の待つ、残酷な未来へと。

end.

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