『岡村孝子/私の中の微風』

(OKAMURA TAKAKO/WATASHI NO NAKA NO SOYOKAZE)

《1986.7.2発売 ファンハウス 32FD-1036》
 【曲目】1.見送るわ 2.微風 3.美辞麗句 4.夏の日の
 午後 5.はぐれそうな天使 6.Baby,Baby 7.ラ
 スト・シーン 8.ひとりごと 9.今日も眠れない

 岡村孝子は不思議な音楽スタイルを持って受け入れられたアーチ ストである。  ソングライターとしてもヴォーカリストとしても圧倒的な才能や センスを感じさせるわけではないし人柄の良さが作品に滲み出てい てそれがチャームポイントになっているばかりでもない。  むしろ歌詞を読めばこちらの虫の居所が悪い時にはうんざり思え るくらいの臆面のない強烈な自意識と自己主張に溢れていて真摯で はあるかもしれないが人柄が良いと言うのは遠慮したくなるような タイプかもしれない。  ただしそれを音楽として具現化する時には澄んだ声と軽やかな伴 奏の領域から踏み外してでも自己主張するようなことは決してない。  それが岡村孝子の作品に感じるユニークさであると同時に不満で もある。  言いたいことがあってそれを自分の言葉で言い切ってしまう並外 れた意志が詞に感じられるのにそれをストレートに最も効果的なサ ウンドで楽曲として定着させることへの執着となるとほとんど感じ られなくなってしまう。岡村孝子はシンガーソングライターであっ てアレンジャーではなくどんなに自意識に溢れた歌でも日本で女性 ヴォーカルをポップスとして売ろうとすれば自然と軽やかで耳あた りの良いアレンジにせざるを得ないのは自明だと言ってしまえばそ れまでかもしれないが他にこのスタイルで成功した例はないのでは ないか。  そのスタイルで岡村孝子は1987年〜圧倒的なリスナーの支持 を獲得した。  ただしこの数年はかつてのファンからもややマンネリ気味な受け 取られ方をされているようでそれはわたしもつらいほど感じる。  サウンド面では「この軽やかできらびやかなシンセ音とはもう決 別したら?」と食傷気味に言いたくなるし詞の面でも愚直にリスナ ーの期待に応えてしまっていて内在的な衝動が感じられないものに なってきてしまっている感は否めない。  もともと必然性のないサウンドスタイルは飽きられ最大のアイデ ンティであった歌詞面での自意識も曖昧になってしまった岡村孝子 の現在は来るべくして来たもので高い需要がある限り第一線で作品 を作り続けてくれたことに素直に感謝しなくてはいけないのかもし れないしこれ以外の成功の道はなかったのかもしれないしこれ以上 の成功もなかったのかもしれない。  ただし1986年に岡村孝子がソロアーチスト第二作として発表 した「私の中の微風」を今もう一度聴いてみるともっと彼女の資質 の生かし方が他にあったのではないかと思えてならなくなってしま う。  このアルバムは大きなホール一杯に集まってくるファンの顔も新 譜を待ち望み発売週に売上げチャートの上位に自分の名を輝かせて くれるファンの顔もまだ見えていない岡村孝子がひたすら自分に正 直に作っていることがひしひしと伝わってくる作品だ。アレンジは すでに軽やかではあるがそれ以上にヴォーカルが等身大の重さを携 えており軽やかな伴奏がその重さを正当にサポートするものとなっ ており軽薄な印象はない。  そこにおける岡村孝子の世界とその後当為として再生産されてい った「売れる岡村孝子」の世界とのギャップの大きさをあからさま に見た気になるにつけなんだかとてもいたたまれない気分になって しまうがそれくらいに表現に向かわざるを得ないアーチストとして の業のようなものがストレートに発露しているアルバムとも言える。 以降その業がさらに盛大に花開くアルバムが作られていないのはか えすがえすも残念でならない。                    1996.11.4 小路衆一

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