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大熊亘 インタビュー Part-4


「声ってのも自分の大切な媒体だと思ってるんで、ずっと追求したいなって思ってるし、
心の歌を訴えかけるっていう本質的なとこでは同じだと思う。」


小林: 大熊さんも……(結構)歌ってた事があるんですよね。
大熊: そう。もとボーカリストだった(笑)。そんなに胸張れるほどじゃないですけどね。わめいてただけだからね、むかし。
ただ、ボイスってのも楽器のひとつっていうか自分の大切な媒体だと思ってるんで、ずっと追求したいなって思ってるし。別に歌が上手でなくちゃいけないって思ってないんだけど、まあ自分がより楽しめるようにね、普通の歌も……普通の歌っていうとヘンだけど、いわゆる歌としてもっと伝えられるようにもなりたいって思ってるし……。まあゆくゆくは、弾き語りナイトで皆様をお楽しみさせたいと(笑)。
小林: インエフ(注)の時にね、ちょっと歌ってたりとか……。やりたいな、と思ってるのはああいう感じの歌なんですか?
大熊: インエフの時は……たまたまA-MUSIK(注)で大昔ちょっと歌った事がある曲だったんでね。曲調は別に限定したイメージはないけど。
だけどまあ、声っていう事で唖蝉坊とかの大道演歌(注)にも直接近づけるし、それからヨーロッパのね、シャンソンとかキャバレーソングとか、いろいろ……唖蝉坊の同時代の歌っていうか、そういう切り取り方でいろいろおもしろい歌いっぱいあるからね。
'20年代とか、似たようなもの……皮肉とか風刺のストリートソングみたいなのものはホントに世界中にあるし、そういった視点でやっていくのもすごくおもしろそうだなって思ってるんでね。とりあえず自分でもやってみようかななんて思ってるけどね。
小林: 演歌師の世界版……世界の演歌師達じゃないけど、
大熊: そうねぇ、うーん。
小林: えーと唖蝉坊はどういうきっかけでしたっけ?
大熊: そうね、うすうす知ってたんだけど、多分、直接ちょっと調べなくちゃって思ったのは、大工さんの時に『ウチナージンタ』(注)でね、「ラッパ節」(注)とかやった時……がきっかけだったかなあ。
小林: あの……『廃墟の可能性』(注)でしたっけ? あの本……、
大熊: 『廃墟の可能性』は、そのあと、だいぶまあ勉強したりして、いったんちょっとまとめようって感じなんですね。
小林: なるほど。わりと大工さんがきっかけって感じなんですね。
大熊: そうだね。うん。
小林: 沖縄(音楽)自体はその前からシーサーズ(注)とのつきあいみたいので演ってたんですよね。
大熊: そうね。ま、シーサーズっていう場合に、沖縄そのものっていうよりは、解釈でこう……沖縄を原点にしつつも、まあ沖縄が「てこ」になって自分とこも島々のひとつにすぎない、こっちが中心でっていうような考えを無くす取り組みだったと思うんだけど……、まあそういうシーサーズで沖縄の民謡とかもいろいろ教えてもらってたんだけどね。
ただ、どう直接付き合っていいのか、自分から乗り込んだり、自分から沖縄のものをこう習ったり盗んだりしようってのはきっかけがなかったからね。
with テッチー
小林: 大工さんと演るようになったのはそもそも……それのきっかけはなんなんですか?
大熊: それのきっかけはねえ……、オフノートの神谷君(注)が以前にも沖縄関係のアカバナーっていうレーベルやってたんだけどいったんお休みして、あらためて立ちあげするっていうのでオフノートがあったんだけど、それは、沖縄とかにぜんぜん限定されない同時代の歌っていうかね……、
小林: ああ同じ時代、沖縄の民謡なんかと……、
大熊: ……っていうか、今、ここの歌っていう意味でのもの。で、ま、立会人っていうのかな、平井玄(注)とか……それで平井さんが紹介してくれたのかな。それで、最初はレーベルのアドバイザーみたいな立場でもあって……あと神谷君も篠田君(注)にそうとう……インスパイアされてて篠田の残した音も出したいし篠田のバイブレーションを受け継ぐような事もやりたいっていうような……そういった他の音もどんどん出したいっていうコンセプトだったんだよ。
それで僕が紹介されて、第一弾が『ウチナージンタ』だったんですよね。で、まあしばらくはレーベル全体の付き合いもしていたけど。
小林: 大工さん自身もそういう唖蝉坊とかそういうのやりたいってのは最初あったんですかね。
大熊: あったんじゃないかな。というのは全部が大工さんじゃないけど、大工さんのおじいさんとかが家で歌ってたような歌をCDにしたいっていうコンセプトだったんですよ、もともと。それはあの……「満州娘」(注)とかあと「ラッパ節」なんかもあったんだと思うけどね。それでそういうのにちょっと神谷君が補助線を入れてじゃあそれはコンセプト的には唖蝉坊とかの大道演歌師のラインじゃないかっていうんでいろいろ補充して、だからコンセプト的には大工さんと神谷君の合作ですね、あれは。
小林: で、まあジンタバンド(注)みたいな感じになった。
大熊: ジンタバンドにしたのはね……、梅津さん(注)がメインのプロデューサーなんだけど、僕もちょっと口出しさせてもらってね。共同プロデューサーなんだけど……チンドンを誘ったのは僕だったと思うんだけどね。
小林: あ、梅津さんはその一個前のアカバナーのやつで一緒にやってるんですよね。
大熊: うん。『ユンタ&ジラバ』(注)だね。
小林: その時はわりとジャズ系のミュージシャン……、
大熊: そうだね。トム・コラ(注)とかサム・ベネット(注)なんかもいて、あとはまあ梅津さん関係(のミュージシャン)だよね。で、まあそういう古い曲だから素材がジャズ以前っていうかね、ジャズとたぶん同時代に出来た流行り歌なんで、こっち(『ウチナージンタ』)の部隊もなんていうのかな、偽古典主義っていうのかな新古典主義じゃないけどね。ちょっとこう……それこそまあジンタに行くプロセスなんだけど、いなたいブラスバンドだともうどの曲もひとつのバンドとしてバッキングできるんじゃないかなってすごい感じたんだけどね、あの時。
小林: あの……雑多なブラスバンドっていうか……。
大熊: うん。
小林: その時にあの……ブラスバンドでいうと『フローズン・ブラス』(注)でしたっけ……あのへんの影響みたいのもあったんですか。
大熊: 影響っていうかもう聞いてはいましたね。それは『東京チンドン』(注)っていうCDをやった頃に僕らの中でもウワサになってて。あ、チンドンは孤立したものじゃなかったんだ……。
小林: 世界中にあったと(笑)。
大熊: うん(笑)。
あの時はエンジニアの藤井さんって人が教えてくれたような気がするけど。あの時の『ノイズ』(注)とかでももうすでに話題になってたんでなかったかな。


小林: (話が)それちゃったんで戻しますけど、そういう歌ものみたいなコンセプトもあって……、
大熊: そうね。ただあの……、一緒なんだよね。声で歌を歌うか楽器でやるかってのはまあ大きな違いではあるけど、どちらも「歌」を歌ってるっていう本質的なとこでは同じだと思うんですよ。あの、打楽器でもなんでも、分けていっちゃうとリズム(楽器)とメロディ(楽器)とか違う要素になるけど、本質は心の歌を訴えかけるっていうようなそういったものだと思ってて、だからホントになんでも歌だと思ってるんだけどね。
小林: 十時さん(注)と一緒にやってる時なんかのパーカッションというかガラクタをガシャガシャって鳴らしたみたいな、あれも一種の……、
大熊: まあ(笑)、そうですね。
小林: 鞄の中にいっぱいへんなものがつまっててそれをガサガサ探すのも音楽の一貫みたいな。
大熊: そうだね。今度それだけでCD出したりしてね。探してるだけの(笑)。いったいいつになったら始まるんだって思ってるうちにもう終わっちゃうの(笑)。
曲の構想を練る大熊氏
小林: 十時さんとやり始めたのっていつぐらいですか?
大熊: あれはね。1年半ぐらい前かな。キキオン(注)ってバンドもやってるけどね。5年ぐらいやってると思うんだけど。キキオンはね、マンダラ関係(注)で知り合いではあったんですけどね。あと、まあ実は友達の友達だったんだよね。むかしやってた……こんな事言っても誰も知らないと思うんだけど、絶対零度(注)のちょっと後に一時、女子高生パンクバンドの子供劇場ってのがあってそれになぜか僕だけ男子メンバーとしていた事があってね、そこの女の子達の友達だったんですよね。


[インタビュー、Part-5]

[注]

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