日本探偵小説紀行#2

『東京ワンダランズ探検記』

宮沢善永


 連休の休みを利用して泊まり掛けのバイク旅行に行ってきた。目的地は東京都内。今回は特に江戸川乱歩と中井英夫とに的を絞った。中井英夫については<霧笛>一四号に追悼文を書いたので、そちらも参照のこと。

 この東京という地のいたるところにワンダランドは口を開けているのだ。


一日目 四月二十九日(金)

日野〜多摩霊園〜野川〜世田谷(太子堂・羽根木)〜渋谷


 午前十一時出立。先ずは、以前にも行ったことのある府中市、多摩霊園。ここはほんとうに別世界としか言い様のないところ。ただひたすらだだっぴろく、一面がお墓。新しく巨大な納骨堂が建立され、中へ入ってみたらなかなかシュールであった。

 乱歩先生のお墓参り。また忘れたりしないよう位置をここに書いておく。二六区一種一七側六番。その他いろいろ各界有名人のお墓があるが(三島由起夫,美濃部前都知事,長谷川町子等)、今回は一切無視。乱歩先生のお墓の向かいは空き地所なのでそこに腰を降ろし、「屋根裏の散歩者」を読む。そしてまた、今回の旅行でどこにどういう順で行くか再確認する。ともあれ、今回はここは第一ポイントに過ぎないのでそんなにぐずぐずはできない。


 多摩霊園をつっ切って野川へ向かう。小金井市前原に中井英夫が入院までの最晩年を過ごした邸があるはずだが、住所まではわからない。一方通行路に阻まれながらも野川の上流へ上がっていくと、<幻想文学>に載った写真と全く同じ光景となる。住宅地の中を流れる小さな流れ。両岸の白く塗られた柵が目にまぶしい。


 続いて世田谷方面へ。世田谷という地域は容易ならぬワンダランドなのだ。甲州街道から上北沢近辺で京王線の高架をくぐると、そのあたりはもう松沢病院の広大な敷地。日本最古の公立精神病院であり、初代院長呉秀三(呉青秀ではない)とともに知られる。こんなものがあることからかつてこの辺がどんなに辺鄙な場所だったかがよくわかる。現在は近代的な真新しい建物だが、敷地内の木立の陰に小さな赤い鳥居が見えたりするあたりにその歴史を伺える。


 そして次なる目的地は、太子堂、東急線三軒茶屋界隈。ここは『虚無への供物』の五色不動のうちの目青不動が存在し、また昭和女子大放火事件の起こった場所である。一旦行き過ぎてしまい、北側から近づこうとするが、休日のための歩行者天国で身動き取れない。バイクを置いて歩いて行ったら、首都高下の玉川通りにいきなり抜けた。昭和女子大はその車の流れの向かい側にあった。二千坪全焼という戦後最大級の火事で焼かれ、当然ながら再建された建物なので往事を偲ばせるものは何もない。

 太子堂の地名の元にもなった教学院がなかなか見つからない。東急世田谷線を一区画乗ってみたりもしてやっと発見。小さなお寺であるが、五色不動の一つ、目青不動の存在を示す世田谷区教育委員会のプレートがあった。

 『虚無への供物』では東京都内に散らばる五つの目の色の不動明王がある場所で次々と事件が起こることになっている。それは、目黒、目白、目赤、目青、目黄の五つ。目黒と目白はそのまま地名になっており、目黒不動は有名だが、目白不動の存在すら普通の人は知るまい。不動明王の曼陀羅図はそのままワンダランズに対応する。今回の旅の目的の一つは、この五つの不動全てに参拝することである。

 先ずは最初の目青不動を不動堂の暗がりの中にほのかに垣間みることができた。


 続いて環七通りに出て羽根木へと向かう。車がびゅんびゅんと飛ばしている環七。その笹塚に抜けるちょっと手前の左手が羽根木。路地を入ると環七の騒音が嘘のような静かな住宅地。ここに中井英夫は十年以上暮らし、<とらんぷ譚>他を書いた。住んでいた家は取り壊されて跡形もないはずではあるが、中井の羽根木に対する想い入れは深い。「羽根木に二坪だけ土地買ってくれ。俺、山口の墓なんかには絶対入りたくないから、羽根木に記念碑建ててくれ。田中中井って横に並べて彫って。これは遺言だ。」(<月光>九号より)

 二丁目までしかない狭い町内を探し回る。かつての中井邸は住所すらわからない。そうこうしているうちに二人組の巡査の不審尋問にひっかかる(笑)。あちこち覗き込んだりして、挙動不審といえばその通りなので仕方がない。手持ちの<幻想文学>の中井英夫追悼号を見せ、懸命に説明する。「昔このあたりにいて、去年亡くなった、中井英夫という作家の住んでいた場所を探してます。」云々。免許証の照会されやっと放免される。やれやれ(笑)。

 結局、目当ての場所は見つからず。でも、思う存分羽根木の空気は吸った。


 暗くなり、今夜の宿は渋谷に取ることとする。午後七時半頃山手線内に入る。渋谷駅近くのビジネスホテルにチェックイン。電車で帰ろうと思えば楽に帰れるのだが、折角旅に出たんだからねえ。

 いろいろ読んでおくつもりだったが、案外疲れていて眠ってしまう。


二日目 四月三十日(土)

渋谷〜青山〜目黒〜浅草〜上野〜池袋


 朝一で出かけたのが、表参道に面した青山アパート。これは知る人ぞ知る同潤会アパートの一つ。そう、『帝都物語』の目方恵子が終戦直後から昭和六七年まで暮らしていたのが、やはり同潤会の江戸川アパート。大正大震災後の復興期に建造された欧州風アパートメントで日本の文化発展の願いを託されたという。昭和二三年のクリスマス・パーティーで恵子と加藤保憲のカップルが舞踊るシーンは印象的。

 同潤会アパートに紙上で再会したのは推理作家協会賞を受賞した評論集、松山巖『乱歩と東京』において。都市論を探偵小説評論に導入した画期的な試みだが、その中で圧巻なのが「もう一つの実験室」と題して乱歩の最高傑作『陰獣』を論じた章。『陰獣』には乱歩の分身とも言うべき探偵作家大江春泥が登場するが、その終結部において、転々と転居を繰り返した春泥の住所の配置が事件を解決する重要な鍵となった。松山はここでその春泥の転居地と同潤会アパートの位置がぴたりと一致していることを指摘している。

 また、島田荘司もよく都市論にネタを採る作家だが、『網走発遥かなり』第三章「乱歩の幻影」で同潤会清砂アパートに幻想シーンを出現させた。

 さて、同潤会青山アパートは大正一四年の建築である。この場所に同潤会アパートを発見したのは随分前だが、そのときは結構感動したものだ。七十年前の古い洋風建築で蔦が絡みついている。青山のこんな場所。一階部分は改造されてブティクやディスプレイなんぞが並んでいたりする。古い建物を簡単に取り壊してしまう日本にしては例外的な存在と言ってもいいのでは。時代色と近代性と現在が出会っている素敵な場所。中庭に入ったら洗濯物も干してあった。今でも住んでいる人いるんだねえ。


 続いて目黒へ。再び山手線の外側に出る。目黒駅は目黒区でなく、品川区にある。これも一つの発見。

 目黒不動は、五色不動の中で唯一有名。でも、本編中では何も事件が起こらなかったなあ。ただ、記述者となるアリョーシャこと光田亜利夫が近くに住んでいたくらいで。

 大本山瀧泉寺。割と大きなお寺。本当にここだけ山になっている。本尊の不動明王は秘仏で見れない。でも、いくつも面白い仏像があった。

 折角ここまできたついでに、世界でただ一つの寄生虫の博物館というふれこみの目黒寄生虫館にも寄った。目黒通りに面したペンシルビル。入場無料。ディスプレイが結構しゃている。なかなか違和感が面白い。衛生博覧会といった印象。これで建物ごと古びたひにはさぞ気持ち悪いだろうな。


 そして今度は、都心を横断し浅草へ向かう。本日最大の目的地。浅草で暗くなったりしたらこわいので早めに行くつもりだったのにもう昼近く。途中六本木とか、国際議事堂の前とか通るが一切無視。靖国通りに出て、普段見慣れた神保町を突っ切る。行きすぎて両国橋を渡ってしまいまた戻る。

 バイクは浅草郵便局前に置き、徒歩で接近。雷門をくぐり浅草寺へ。仲見世は凄い人通り。浅草寺内の屋台で昼食を済ます。

 浅草界隈は乱歩の愛したところ。あちこち歩いてみる。ちょっとショックだったのは、今現在は浅草公園なるものが全く実体のなくなっていること。浅草寺の五重塔の修復とともに周りを囲われてしまっている。花やしき遊園地へ入ろうかとも思いはしたがやめておいた。

 その代わり、浅草賑わいみゅーじあむへ入る。浅草の歴史を演じるからくり劇場。大震災で凌雲閣が折れるシーンもあった。それより何よりの感動ものは、押絵と生き人形。羽子板の押絵はともかく、生き人形の本物なんて初めて見た。薄暗がりで見たらぞくっと来るだろう。これなら魂くらい宿るかもしれない。「たけくらべ」の美登利などある。

 係のおばさんが浅草のことについて何でも説明してくれる。浅草十二階凌雲閣は、今の花やしき遊園地と浅草ビューホテルの間くらいにあったそうだ。乱歩の小説で興味を持ったと言ったら、「押絵と旅する男」の新解釈を教えてくれた。吃驚仰天。そんな話は初めて聞いた。うーむ、大収穫。

 浅草寺境内で「押絵と旅する男」読み直す。最後に吾妻橋付近から、某ビール会社のモニュメント見て浅草を後にする。


 上野へ向かう途中、同潤会上野下アパート発見。他のアパートと比して余り特徴ある外観ではない。多くの住人を抱えながらもひっそりと佇んでいる。


 上野公園についたときはもう午後四時近い。博物館美術館の梯子しようかとも思っていたんだけれど、時間的にもう無理。東京都美術館へ入って、最も安い国展なるもののチケット買う。絵画、版画、写真。彫刻、工芸は、五時閉館で見られず。たまには美術館も行ってみるもんだ。結構面白い。

 そのあと、公園のベンチで「目羅博士の不思議な犯罪」と『陰獣』の冒頭と解決部とを読む。雨が振りかけたが、何とか上がってくれた。


 すっかり暗くなって夕食を済ませてから、池袋へ向かう。当夜の宿をそこで取るつもり。

 サンシャイン入る。ここがまたよくわからず迷う。外へ出て周りを一周すれば入ったところに出られるだろうと思ったが、馬鹿でかい建物のまわりを単に一周してしまった。はて。気がつけば何のことはない、東急ハンズから地下道で移動してきていただけだった。でも、こんなことだって充分ワンダランド。


 オールナイトで『怖がる人々』見ようと思って池袋まできたのだが、予定変更らしくやってない。さて、どうしようかと<東京ウォーカー>見ると、同じ池袋の文芸坐で、当夜<石井輝男監督ワンマンショー>なるものをやることになっている。『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』『忘八武士道』『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)』『昇り竜 鉄火肌』の四本建て。思わずこっちへ行ってしまった。

 『恐怖奇形人間』はとんでもない映画だった。『パノラマ島奇談』と『孤島の鬼』を混ぜたような筋。あ、でも舞台は紀州じゃなくて裏日本。近藤正臣がシャム双子の片割れ役で出ている。メイクがきつい。結末でなぜか明智小五郎も登場する。「屋根裏の散歩者」や「人間椅子」まで謎解きに持ち出し、会場はもう爆笑の渦。「弾は抜いておきましたよ。」の台詞には拍手しかない。そして結末。禁断の愛に身を焦がした二人の肉弾が花火となって、島に降り注ぐわけだが……。あれは凄かったなあ。ああ、夢に出そう。

 『忘八武士道』は寝てた。『私刑』は大坪砂男原作ではないかと期待したが全然違っていたみたい。菅原文太は出ていたが。『昇り竜 鉄火肌』も寝てた。

 朝五時五分終了。少々寝不足ながら、三日目に突入。


三日目 五月一日(日)

池袋〜目白〜千駄木〜田端〜三ノ輪〜下谷〜市ヶ谷〜新宿〜日野〜豊田


 池袋へ来た以上絶対寄らないわけにはいけない場所がある。そう、西池袋五丁目の江戸川乱歩邸である。立教中学のグランドのすぐ側。乱歩がここに転居したのは昭和九年。『石榴』以降の作品はこの家の土蔵の中で書かれた。少年探偵団シリーズの全てもそれに含まれる。門柱には平井太郎と平井隆太郎の表札が並べて掲げてある。太郎は乱歩の本名で、隆太郎はその子息、かつての立教大学学長である。

 早朝を幸い、門の写真と土蔵の写真をばちばち撮る。平井家の敷地である隣接の駐車場にはマンションの建設計画のプレートがあった。西池袋平井マンション、だって。どうもぱっとしないなあ。江戸川マンションとか、いっそ明智マンションとか……。


 山手線に沿って目白へ。最近仕事で学習院大へ来ることが何度もあったが、ここに氷沼家があったことは失念していた。目白駅から目白通りを千歳橋方向へ向かうと、右手に学習院大の長い塀堤が続くが、左手の川村女学院から目白署の裏手一帯は池袋駅を頂点とした三角形の斜面を形作っている。その斜面の迷路のような路地の中心に当たる部分に氷沼家は建てられていた。と『虚無への供物』にはある。バイクを路地に乗り入れたものの一方通行の嵐。戦前からの閑静な住宅地の雰囲気は感じとれたが。

 一方、目白不動を擁する神霊山金乗院は目白通りの反対側、明治通りとの交差点とのちょっと先。こちら側は斜面というよりも崖だ。金乗院を見つけたときはまだ門が閉まっていたが、周りをうろうろしてるうちに開いた。そうか、お寺さんって午前六時半には開くんだ。

 ここでも不動明王像は見られない。でも、お寺はいい。何時に訪問しても構わないし、いくら写真撮ろうと本読んでようと、誰も何にも言わないもんね。と、結構不審尋問には懲りているのだった。


 崖を下り切ると神田川。しばらく川に沿って走る。あんまり寒いのでカッパの上出して着る。江戸川橋まで来て同潤会江戸川アパートを随分と探したんだが見つからず。あとで調べたら、もっと飯田橋よりにあるんだそうだ。これはまたいつか探しに来よう。


 江戸川橋から講談社のある音羽を通って、不忍通りに出る。この通りに沿って千駄木方面に向かい、やがて動坂下の交差点に出る。この動坂とは不動坂の訛化であり、五色不動の一つ目赤不動があったのだ。『虚無への供物』ではこの動坂で奇っ怪至極の<黒馬荘事件>が起こることになっている。

 動坂を上り切って、小さな公園に入る。動坂遺跡なるものの記念碑があるが、これは石器時代の遺跡なので不動とは全く関係ない。あたりを探し回るが手がかりなし。しばし沈思黙考したあと、本編に当たってみる。

 目赤不動は戦災で焼け再建予定、とある。代わりのように日限を切って願い事をすれば霊験あらたかという日限り地蔵が祭られているとのこと。地図を見れば、同じ通りをもっと入ったところには何軒も寺があるではないか。

 そう、動坂を抜けた通りに日限り地蔵の徳源禅院はすぐ見つかった。掃除をしていたおじさんに聞いてみたら、動坂より移転してきた不動像も公開はしていないが確かに保有しているという。仕方がないので、日限り地蔵の方だけ拝んでくる。


 ここまで来ると、前々から訪れたいと思っていたもう一つの坂にも程近い。日本探偵小説発祥の地、団子坂である。鳥羽造船所をやめ、上京した平井太郎青年は、本郷団子坂で弟二人とともに<三人書房>という古本屋を始める。明智小五郎が初登場した「D坂の殺人事件」の現場はそのまま<三人書房>がモデルになったという。

 動坂と団子坂は本郷通りまで出れば一本しか違わない。団子坂に坂上の方から接近する。坂のすぐ上に鴎外記念図書館がある。案外と狭い道だ。道の両脇にはマンションなどが立ち並ぶ。降り切ったところは不忍通りで営団地下鉄の千駄木駅になっている。「D坂の殺人事件」を読んでみると、もっと道幅も太くて盛り場のような印象を受ける。地名変更で動いてしまったのだろうか。

 坂の途中に金属プレートを見つける。団子坂の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからとも言われている。この坂上一帯には、鴎外、漱石、光太郎が居住した、だって。乱歩だっていたんだぞーい。


 つづいて田端へ。不忍通りを動坂まで戻り、今度はその反対側の坂を上る。両側が小さな商店街に。右手の小道に入ったら、中井英夫出生の田端一丁目一五−二一は簡単に見つかった。かつての植物学者中井猛之進の邸宅は今は跡形もなく、同じ番地にいくつもの住宅が立ち並んでいる。その辺りの空き地に立ってふと思う。ひょっとすると今かつての薬草園の中にいるのかもしれない、と。

 ここ田端という土地は、中井の他にも芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、澁澤龍彦なども住み、文学散歩には格好の土地。でも今回は中井英夫に絞り切る。

 そこからすぐに与楽寺。英夫幼少の格好の遊び場。隣接していた田端脳病院は既にない。本当はこの中で生まれ育ったのではないかと密かに思い、夜ごとにうちを抜け出しては裏手の木立の陰で石塀に耳をつけ、中から洩れてくる声を懸命に聞き取ろうとしていた、そんな少年時代。

 また雨散らつき、本堂の軒下で、『虚無への供物』読み耽る。ここまで来られたんだから、あとはどんな天気になってもいいやと思った。が、雨はやがて上がってくれた。やっと少し暖かくなってくる。

 あちこち歩き回る。坂道、狭い路地。坂の途中の屋敷町、という点で目白の氷沼家が位置するあたりとの共通点を感じる。

 商店街の反対側で東覚寺の赤紙仁王見る。都内最古級の石造りの仁王像一対。素朴な造形。病気平癒の祈祷に、びっしりと赤紙が貼られている。中井自身も羽根木から訪ねてきたことがあるという。生涯の相棒、田中貞夫の食道癌平癒の祈願のために。

 坂を上りきると、ぱっと視界が広がる。見渡せる三河島、南千住の下町。山手線、東北線、常磐線、京成線と、電車が通るのも見える。英夫少年はこの光景にいったい何を幻視したのだろうか。この旅の残りの目的地もこの眺望の中にあるはずだ。


 次に目指すは五色不動の最後の一つ、目黄不動の永久寺。明治通りと昭和通りの交差点近く。台東区と荒川区の境界。交通量の激しい通りに面してほんとうに小さなお寺が一軒。バイクは歩道に止めて入ってみるが、箱庭のように小さく賽銭箱すら置いてない。本尊はまたも拝めない。結局五色不動の中で直接この目で見られたのは目青不動一体だけだった。


 さて、こんなに不動にこだわっていると、未読の方は『虚無への供物』という作品がそんな暗合を重要視した因習的なタイプの探偵小説だと思われるかもしれない。だが、この作品で重要なのは、不動、薔薇、色彩といった記号に対する本質の不在である。そうした虚無の存在が氷沼家一家屋にとどまらず、東京という都市を、戦後という時代を、密室の中に封じ込めたのだ。今回の旅はその犯行の形跡の現場検証に来たようなものだ。


 一九五四(昭和二九)年一二月十日。下谷竜泉寺のバア<アラビク>で『虚無への供物』は開幕する。竜泉寺、といっても、あの『たけくらべ』で知られた大音寺界隈ではない。日本堤に面した三ノ輪よりの一角で、と本編にある。

 この辺りを四十年目という感慨を持って歩き回る。つつましい下町の装い。大衆食堂で昼食。一葉記念館があったが、今回は遠慮した。飛不動には入ってみた。ここまで来るとまた浅草にとても近い。


 そして、下谷の法昌寺へ。有名な入谷の鬼子母神の近く。開いている花屋を探し回って薔薇を一輪買い求める。金四百円也。決して上等とは言えない安物。これを持って法昌寺を訪ねる。ここの住職は歌人で<月光>編集発行人の福島泰樹。案内を乞うと奥さんらしき人が応対してくれた。中井英夫さんのお墓参りをしたい、と告げると、本堂に上げてもらえた。

 須彌壇というのだろうか、遺影が飾られている。銀髪に眼鏡の笑顔。この方に直接お会いすることはとうとうできなかった。中井英夫居士との位牌。『虚無への供物』の文庫本。

 短い、静かな時間を過ごす。

 田端、羽根木、野川、そして五色不動を全部参ってようやくここまで来た。


 そして帰途へ。  靖国通りを通り、途中、市ヶ谷へ寄ることにする。『虚無への供物』と作者に関わる場所をこれだけ訪問してきたのなら、当然市ヶ谷の自衛隊駐屯地も欠かせない。だが、中には入れそうもないし、そもそも問題の建物は取り壊されたはずだ。こここそ中を覗き込んで、とがめられでもしたらたまったもんじゃない。

 近くに公園を探し出してベンチに陣取り、『虚無への供物』終章を読む。非誕生日の贈り物、黒と白、非現実の鞭、鉄格子の内そと、五月は喪服の季、翔び立つ凶鳥。


 午後六時過ぎ、字が読めないほど暗くなったので出立。

 帰りはずっと甲州街道を通ることにする。一本道をひたすら進むのみ。府中でラーメン食べる。日野に辿り着いたのは九時近く。電車の倍ぐらいの時間をみればよいか。それにしても、新宿駅南口ルミネ前の道をずうっと辿っていくと、うちのアパートの前の道になるというのは、当たり前のことながら、なんだか感動してしまう。だが、まだ旅は終わらない。

 甲州街道をさらに走り豊田駅へ向かう。いつもよく通っている道なのに何か違う印象を受ける。そうだ、都心と比べたらやたら暗いではないか。暗くて危なっかしい。それでも中央線の踏切を越え、豊田駅の南口へ。

 ここには田中医院がある。一九九三(平成五)年一二月十日、中井英夫はここで死去した。暗闇の中、バイクのヘッドライトに照らされて、外壁のレリーフが浮かび上がる。


 全行程二二六キロメートルの旅はここに終了した。


(一九九四年五月十日〜五月十九日)


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