私の声が聞こえますか

#3(阪急ブレーブスと私)

れん理英子


 久々に晴れました。でも、梅雨が開けて夏が来るのはいやですねぇ。私は夏が嫌いです。

 ムテキ読みました。やっぱり自分が書いたのが載るのはうれしいものだね。きれいにレイアウトしてもらうと私の文章もおもしろく見えてきます。五十嵐君がつけてくれたタイトル「私の声が……」はとても気に入ってます。「愛していると言ってくれ」とか「生きていてもいいですか」でもいいかなと思ったけど、イマイチさわやかさに欠けるね。「親愛なる者へ」じゃなくてよかった。ドラマになっちゃったもんね。

 「お医者の……」と比べてみると面白い。同じ映画でも人によって見方が違うものですねぇ。感じ方や評価が違うのではなく、もう始めから見てるモノが違うので不思議な気がしました。しかしまあ彼の場合、身辺雑記の方が迫力あるのは仕方ないでしょう。怪獣よりも沢千代の私生活の方がよっぽどスペクタクルだもの。

 ところで表紙はマックですか? 何か暗号が隠されているのかな? 私としては羽鳥君のイラストが好きなんだけど。

 たこいくんのパワーにはおどろかされます。自らもいろいろと製作、編集してるにもかかわらずムテキにもこんなに書いてしまうなんて。私はイマイチ原田知世の魅力と言うのがわからないのだけど今度機会があれば「じゃみっこジャミラ」を思い出しながらよく見てみましょう。

 吉田君の記事はちょっと異質ですね。思えばSF研の人と音楽について論じ合うことはほとんど無い。誰がどんなジャンルの本を読むかとか、どんな映画を見るかと言う事は大体判るけど、どんな音楽を聴くかなんて事はつき合いの長い人についても意外に知らなかったりする。私は吉田君とは全く嗜好が違うけど(岡林伸(信?)康はむかぁし聴いたかな)こう言う記事が載るのはけっこううれしい。もっと続けて欲しいな。

 「紀文地球紀行」はホントに情景が浮かんで来るような美しい文章ですね。でも……。美しい情景の中で、ユダヤ人とのさりげないふれ合いが描かれているのがとてもロマンをそそります。けど……。ロマンあふれるふれ合いから、彼らの人生観の不思議をほのぼのと掘り下げてるところが、さすがに紀文さんです。しかし…………。エイズにだけは気をつけて欲しい。ところでKISSおやじが言ってるところの「手に職」って何でしょう? 彼は紀文さんが念写か何かでコピーをするとでも思ったのかしら?

 宮沢君もいつもすごいねぇ。私はミステリーは全く読まない人なのですが宮沢君の記事だけでミステリー作家の名前を大分覚えました。しかし探偵小説が特撮に似てるとは知らなかった。ちなみに宮沢君は入学前、サ協のサークル案内を見て推理研に入るつもりだったそうです。しかし、入学してみると推理研がつぶれていたのでSF研に入ったとの事。実は推理研をつぶした張本人ってのが私の応物の友人なのです。この前会った時にその件について訊ねてみたところ、ただ、たむろって遊ぶ部屋が欲しくて先輩と共に推理研を設立したものの、活動していない事がサ協にバレてつぶされたとの事。あわててウソの活動報告書を出したけどダメだったそうです。こーゆー不埒な輩が純真な宮沢ミステリー少年の心を弄んだのです。最近の彼は奥さんにいやがられながらも部屋にやぐらを作って、ベーコンやソーセージ作りに凝ってるそうだ。奥さんの話ではとてもまずくて食えたような代物じゃないようだ。ミステリーファンってどこか怪しげです。

 そして、「決戦・日本シリーズ」ですが。

 私は高校生の時に読みました。そして、家族全員に読ませました。あの頃を思うと未だに熱い血潮が胸を焦がします。

 阪急電鉄はとても誠実な会社に思えた。少ないファンを大切にしていた。将来の阪急ファン育成のため、子供にタダ券を配ったり、様々なファン感謝イベントを催したりして、地道にファン獲得に努めていた。私はそんな阪急電鉄をすっかり信用しきっていた。学校が終わるととんで帰って、チャリンコを飛ばして西宮球場に駆けつけた。一塁側最前列に陣取って、試合前の練習からずっと見ていた。阪急ブレーブスのために浪人したと言っても過言ではない。それなのに。

 それなのにあの裏切り行為だ。ニュースを聞いた日、しばらく呆然として何も考えられなかった。どこからか「私の青春は終わった」と言う声が聞こえた。病床の父は「阪急電鉄も無情な……」とつぶやいて息を引き取った。

 それでも月日は流れ、1年がたち、ようやく「球団に罪は無い。これからは新生オリックスをひいきにしてやろう」と、おだやかな気持ちになりかけた時だった。“ニックネームを変更”だと。そうか。つまり、阪急時代のファンはもういらないと言う事だ。わかった。よくわかりましたっ。

 そう言う訳で、今の私にひいきのチームは無い。ひいきチームがないと野球を見てもいまいちつまらない。しかし往年の阪急ブレーブスのすばらしさを知る私に、とても他チームなんか応援できない。下の弟はプライドの無い男で、阪神を応援してるらしい。あんな下劣なチームを阪急の換わりにするなんて見下げ果てた了見だ。上の弟は輪をかけてプライドが無く、オリックスファンになってしまった。もうあんな奴等とは姉弟でも何でもない。母は高校野球に走ってしまった。哀れである。

 往年の阪急のどこがすばらしかったかと言えば、打撃もさることながら守備陣の充実である。西本監督が育てた選手たちを上田監督が上手に使った訳だが、彼は選手の起用に打力より守備力を優先させた。私は華やかな打撃戦よりも“息づまるような投手戦”ってやつがはるかに好きなのだけど、阪急はそんな試合をよく見せてくれた。そこが阪急ブレーブスが“暗い”と言われて人気が無かった理由のひとつではあるけど。上田監督は選手としては成功せず、25、6才の若い頃から頭と人柄の良さを見込まれてコーチ修業をして来た人である。そんな彼ならではの采配だったのだ。

 エースはすばらしかった。電光掲示板に先発「山田」と出ると、ファンのだれもがもう勝ったつもりになっていた。どんなに白熱した試合でも「ピッチャー交代、山田」とアンパイアが叫んだ瞬間に、もうスタンド中が安堵するのだ。それだけファンに信頼されてるエースが、今、いますか? 勝ち数とか防御率とか、そんな数字じゃない。これが「エース」と言うものです。

 野手もすばらしかった。ショートの大橋はむずかしい球を難なく取ってしまう。見る人は彼がファインプレーしてる事にさえあまり気付かない。普通ならあきらめてしまう球にもとびつくものだから、時々エラーになってしまう。たまにテレビでセ・リーグの試合など見てると、何て事ない球をハデなアクションで取ってたりする。アナウンサーも「ファインプレーです」なんて言ったりして。あんなのはファインプレーとは言わない。「スタンドプレー」と言うのだ。

 外野もとてつもなくすばらしかった。センターを福本が所狭しと走り回ってどんな球も取ってしまう。金アミによじ登ってホームランも取ってしまう。外野に打ったら決してヒットにはならない。しかも、この福本と言う人は人格もすばらしい。子供の求めに応じてサインした後、黙って去って行こうとする子供の首ねっこをつかまえて「ボウズ、ありがとうは?−そうだ。サインをもらった時は必ずありがとうを言うんだぞ」と教え諭す姿を何度も見た。

 ほんとに阪急ブレーブスはすばらしかった。で、何だったっけ?

 そう、「決戦・日本シリーズ」です。

 十余年前の記憶を頼りにコメントを述べます。今津駅で阪急と阪神のレールがつながってる所に目をつけたのは、地元の人間には大いにうなずける。子供の頃から、あれはとても不思議で気に掛かっていたのだ。実際には両者の間に金アミが立てられており、決して越えられないベルリンの壁の如き様相を呈していた。ベルリンの壁が崩壊した現在、今津の壁がどうなったのか、私は知らない。

 作品中に書いてあったかも知れないが、阪急電鉄と阪神電鉄は鉄道のみならず、デパート、タクシー、不動産、その他あらゆる面で競合している。そして、プロ球団を除けばすべてにおいて阪急Grの方がはるかに収益を挙げているのである。

 そしてくだんのプロ球団なんだけど。作中では阪急ファンは上品で阪神ファンは下品とされていたと思うが、それはまぎれもない事実、いや、真実である。しかし、阪急ファンがかなりイヤミなエリートぽい人種のように描かれていたが、それは違う。阪急ファンは知的で上品だが、シャイで奥ゆかしい人々である。大体、球団自体、阪急ブレーブスは品が良かったのにひきかえ、阪神はまるでヤ……やめましょう。阪神ファンは恐い。人殺しも平気でやる。つまり私が言いたいのは、もし本当に阪急vs阪神で日本シリーズが行われた場合、この作品のようなさわぎにはならないだろうと言う事です。無論、阪神ファンは大さわぎでしょう。そして西宮球場も阪神ファンで埋めつくされ球場入り口ではブレーブス応援旗で踏み絵が行なわれ、阪急ファンである事がバレたらドスで追い返されるのです。哀れ阪急ファンは隠れキリシタンのようにテレビ前でひたすら祈るだけなのです。そして、当然阪急が勝つのだけど、その時は阪神ファンによる盛大なキリシタン狩りが行われるのは目に見えてます。踏み絵をして信仰を捨てないと、小指を切られるのです。

 「決戦・日本シリーズ」は、阪神タイガースおよびそのファンによって抑圧された私の心を解き放ってくれたのです。つかの間の夢を見せてくれました。見果てぬ夢です。

 「そんな時代もあったね」といつか話せる日が来たら、もう一度この本を開いてみようと思います。

 ところで清水義範の『シャチホコ(漢字だったけど忘れた)の夢』は読みました? 内容は全然似てないのだけど、作品全体に流れる雰囲気が「決戦・日本シリーズ」と似ている。おまけにラストは上下2つに別れてたりして。けっこう面白かったよ。

 尾崎豊のLDを流しながら書いたので何だか過激になってしまった。

[1993/6/26]


「東北大学SF研究会OB&OGエッセイ集」に戻る。
「糸納豆ホームページ」に戻る。