私の声が聞こえますか

#2(ワープロと私〜あるいはモスラと私)

れん理英子


 お元気ですか? 私は今年もまた一人東京越冬しながら、年一度のお手紙を書いています。

 しかし、最近はワープロを使わない人の方がめずらしいね。別に私だって使えない訳じゃないんですよ。でもね、ワープロが普及する事で何か大切な物を失っているような気がしません? 例えば沢千代文字(*1)だとか、そー言った人類の宝を失うのは悲しいでしょ? 日ペンの美子ちゃんだって「ワープロの文字は冷たい、心までは伝わらない」と言ってます。別に私がkeyを押すのがすごーく遅くて、一単語につき1分近く要するからとか、そー言う訳で言ってるのではありません。(*2)

 そんな訳で私は会社の月報会なんかも、手書きでやってたのです。ちなみにうちの月報会や、その他の社内発表会は大体がポスターセションです。ところが、そんなある日、私は社内の研究発表会に発表しなくてはならなくなり(*3)、さすがに少し悩みました。同僚に「やっぱ、手書きのポスターじゃまずいかなぁ」と相談した所、「エライ人たちも来るしねぇ。少なくともここ数年は、研究発表会に手書きポスター出した人を見た事はないよ」と言われ、私も泣く泣く世情に屈したのです。艱難辛苦の末、ようやくポスターを仕上げて貼り付けていたら、いきなり背後で「おい、ワープロじゃないか!」と声がしたのです。なんだなんだと思っていると、いつの間にか人々が集まって来て、私の回りに黒山の人だかりが出来てしまいました。何が起こったのかわからずとまどっている私の回りでは、皆、口々に「そーかぁ、れんさんもついにワープロをねぇ」「これがれんさんの打ったワープロかぁ」「何だかありがたいものを見たような」などと、まるで信玄の埋蔵金でも発掘したかのような騒ぎです。室長に至っては「やはり、研究発表会ともなると、れんさんもワープロを使うのだなぁ」と感窮まったように言ったきり、涙ぐんでしまいました。その時初めて私は、月々の月報会で自分の手書きポスターが、いかに大衆の注目を浴びていたかを知りました。野に咲く花のようにひっそり生きてゆく事を身上としている私としては、あまり注目されるようなまねはしたくない、と言う事で、その後は出来るだけワープロを使う事にしたのです。

 実を言うと、年末はワープロでお手紙を書こうと思って、会社から貸りて帰ったのです。けっこう重かったんですよ。んでもって、けっこー時間をかけて、五十嵐夫妻とたこいくんへのお手紙を書き上げたのです。んでもって「終わったー」と思ってプリントアウトしようとしたら…うちにはプリンターがない!!! だからワープロなんか嫌いだ。

 と、言う訳で、今心をこめて手紙を書き直してる訳ですが、〈霧笛11〉とどいたよ。どうもありがとう。ポストに〈霧笛〉が入ってるとうれしい。霧笛よ今夜もありがとう。(つまらない事言ってごめん)

 「いいのかしら通信」で宮崎駿の正しい楽しみ方を勉強して「そーだったのかぁ」と、何となく目からウロコが落ちたような気がしました。「お医者の……」では、ギララの酷評をよんで「おもしろそーだなぁ。一度見たいなぁ」と思った。私ってヒネクレ者かしら。でも、私はやっぱり怪獣はひたすら暴れるのが好きだ。とくに、怪獣が街に現れ人々が逃げまどう場面は胸がときめく。しかし、怪獣もので何だか怪しげな男女のロマンスが出てくるのはいやですねえ。昔、アンヌ隊員がダンに告白する場面を恥ずかしい気持ちで見ていたのを思い出す。

 しかしまぁ、ストーリーについては私の場合、特別恥ずかしかったり、特別いやみだったりしなければ、どうでもいい。暴れる場面がたくさんたくさん出て来れれば、それで満足だ。とくにキングギドラに対しては思い入れが強かったので、やたらストーリーに凝って、キングギドラの出番が少なかった事が悲しい。それに五十嵐君のコメントにもあったけど、あれは弱過ぎたよね。確か私の記憶では、キングギドラはたかだかゴジラ一匹にやられた事はなかったと思う。確か数匹の怪獣がたばになってやっと勝てたはずだ。とにかく私は繰り返して言うけど、(1)出番が少ない(2)弱過ぎる(3)あの誇り高く美しい姿を汚された、この3点において、『ゴジvsギド』は許せないのだ。

 この間、森氏宅に沢千代氏が来た時、沢千代氏のキングギドラに対するそっけない態度に、つい「沢千代はキングギドラを愛してないの?」と聞いてみた。「キングギドラもゴジラも愛していない。俺が愛してるのはガメラだ」との事。そーだったのか。そう言えば、もう10年以上前の話になってしまったが、SF研の始めての上映会は『ガメラ』だったなぁ。あれは確か、レンタルビデオなど普及してない時代で、朝妻先生遠山氏沢千代氏が、ただ「ガメラを見たい」ためだけにフィルムを貸りて来て、沢千代氏がやはり「ガメラを見たい」ためだけに映写機の免許を取ったんでしたよね。青春だったねぇ。どーせなら上映会をやろうと言う事になって、私とあっちゃんが「美人のキップ切りが必要だ」などと沢千代氏にだまされて(*4)、何となく恥ずかしい気持ちで入口にすわってたなぁ。ノスタルジーしてしまった。

 んな訳で、『ゴジvsモス』ですが、まあモスラにはキングギドラに対する程の思い入れがなかったせいか、けっこう楽しめた。吉祥寺に見に行ったら、映画館の中はジャリ(*5)だらけで「まいったなー」と思いつつ最前列にすわった。最初の遺跡ドロボーの場面で、ジャリの一人が「インディ・ジョーンズだぁ!」とさけんだので、全くその通りだと思わず笑ってしまった。今回は怪獣が暴れる場面がたくさんあってうれしかった。キングギドラもこれくらい暴れて欲しかった。ストーリーは昔のバージョンとほとんど同じのような気がしたのだがどうだろーか? まあそれはそれで全然かまわないのだけど、ただやたら説教くさいのがいやだった。確か昔のモスラも環境問題を訴えてはいたものの、もっとさりげなかったのではないか? 何だか時流にのったように環境環境とやや鼻についた。映画で主義主張を訴えるのは悪くないけど、もっとこう、さりげなく文学的に出来ないだろーか? ゴジラ第1作は、イヤミでなく戦争の傷跡を表していてとてもよかったのだけど。まあ、その点を除けば、私はストーリーはあんなもんでいいのではないかと思った。コスモスの女の子もかわいかったし。基本的に求める物が私は沢千代と違うみたいだね。

 ラスト近くで、モスラとバトラが和解して空を飛びながら何事か相談してたよね。その時私は「まさか…」とあらぬ事を考えて、「おい、おい、やめろよー。ジャリがいっぱい見てるのにぃ。どーするんだよー」と、一人あせりまくっていたのだけど、まあ杞憂に終ってよかった。そうだよねぇ、誰もモスラとバトラのラブシーンなんて見たくないよねぇ。こんな事考えた私がバカ者かしら。

 ま、そーゆー訳で、『ゴジvsモス』は私としては満足でした。


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【著者注】*1  学生時代の話だけど、沢千代文字が話題になった時、あっちゃんが「でも沢千代さんの字は読めるよ。れんさんの字なんてもっと読めないんだから」と言ったとかいう話を私は人伝てに聞いた。あっちゃんに確認したら「そんなこと言った憶えはない」と言っていた。お互いの友情のため、それ以上の追求はしなかった。
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【著者注】*2  無論、「王東」がワープロに無いからスネてる訳でもない。どーせみんな私を呼ぶとき「れんさん」とひらがなで呼んでる事を私は知っている。たまに「レンさん」と呼んだり「LENさん」と呼んだりする人もいるが、「王東さん」と漢字で呼んでくれたのは、恩師のI教授だけだった。
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【著者注】*3  上司が、私が会社を休んだ日に勝手に申し込んでしまったのです。
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【著者注】*4  沢千代氏が言うには、「俺はだましたつもりはない。だまされたと感じるのはれんさんの心の問題だ」との事。
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【著者注】*5  れん家の姉弟は誰も結婚しておらず、従ってジャリと接する機会もなく、私は何となくジャリが恐いのだ。
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