タイトルのない夏
Trinity
両谷承

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十八


 ループの両側はコンクリートの壁で囲まれていて、キョウはいつも鼠のレースのトラックを思い出す。二車線の内側を、ハーレイの上から身体を乗り出すようにしてシンジが曲がってゆくのがアルトの開けっ放しのサイド・ウィンドウ越しに見える。

 キョウはその外側を少し後ろに着けて追ってゆく。ループを左側の車線を通って抜けていくのは不利なのに、シンジはなぜかいつもそうする。どことなく、楽しそうに。キョウはアクセルを慎重に踏み込んでいって、ループの中でシンジを外側から抜こうとする。

 並んだ辺りで、ループが終わった。アルトはそのままいちばん右の追い越し車線に入る。

風切り音を圧倒するようにシンジのハーレイが吼えた。アルトの鼻先をかすめるようにして、キョウの前に飛び込んでくる。いつものアクセルの開け方ではない。ハーレイの調子がいいのもあるのだろうが、シンジは昔なじみのおいぼれエンジンを気遣ってはいない。キョウはギアを落として、エンジンを限界近くまで回して追いかける。いくら古いおんぼろのバイクとは云え、どんな改造が施されているのかシンジ自身もきちんとは把握していないらしいこのハーレイとダッシュを競うのは簡単なことではない。

 料金所のS字コーナーを過ぎたあたりで、前を走っている白いセダンが近づいてくるのがシンジの肩越しに見えた。追い越し車線を、九十キロと少しぐらいで走っているらしい。キョウは舌打ちした。第三京浜は、そんな走り方が許される道ではない。

 左にウインカーを出す。空いているいちばん左の走行車線に、キョウは二車線まとめて車線変更をして飛び込んだ。スピードメーターは百三十キロと少し。右のウィンドウに目をやると、シンジとハーレイが車線の間をスラロームするようにしてセダンをクリアするのが見えた。

 川崎のインターチェンジが迫ってくる。意識して丁寧にハンドルを切って、真ん中の車線にアルトを移す。タイヤが小さく悲鳴を上げる。シンジが前に見えた。分厚いジェリーの壁のように立ちはだかっているに違いない空気の壁に対して、シンジはハーレイの上に身体を伏せるようにして立ち向かっている。キョウはシンジの左に並んだ。風の音とハーレイの排気音で、さっきから鳴っている筈のバッハがまるで聞こえない。シフトレバーを五速に放り込んで、アクセルを踏み込む。メーターがむずかるようにじわじわと上がってゆくのにつれて、少しづつシンジが下がってゆく。排気量は五割方少ないけれど、最高速はアルトの方が上だ。エンジンの振動と風圧を相手に闘っているシンジより、同じ条件では間違いなくスピードが出る。

 鼻先にクリーム色のベンツが近づいてきた。シンジはまだ充分に離れていない。左の車線はマツダのハッチバックでふさがれている。仕方なくキョウはアクセルを踏み続ける。ベンツとの車間距離が五十センチぐらいに詰まったところでキョウはタイヤが煙を上げそうになるほどの勢いでブレーキを踏みつけ、ハンドルをこじるようにしてアルトをハーレイの前に飛び込ませた。

 なかなかのスリルだ。ひとつ間違えば、シンジはそのままアルトのテールに突っ込んでくることになる。なんのためにこんなことをしているんだろう、と少しだけ思った。

 頭を振る。もちろんミキを手に入れるためだ。決まっている。余計なことを考えている場合じゃない。

 ルームミラーを見る。ハーレイのヘッドライトが光っている。眼を前に戻した瞬間、視界にピックアップの尻が迫ってきた、ブレーキをとっさに踏む。その瞬間に、アルトの左側をハーレイがすり抜けていった。

「馬鹿野郎が」

 左のドアミラーで後ろを確認し、ギアを一段落としてキョウはシンジを追う。ハーレイの赤いテールランプが、ゆっくりと近づいてくる。ピックアップを追い抜いて、追い越し車線がクリアになった。都築インターの表示板が出ていて、車が少なくなってきている。キョウはシンジより先に追い越し車線に入って、再びシンジと並ぼうとした。

 突然、シンジのハーレイの後輪が激しく揺すぶられるのが見えた。


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