テレキャスター・ダンシング
Monkey Strut
両谷承

四へ戻る。六へ進む。



 こんな風に晴れたのは何日ぶりだろう、と思いながら尚美はメイン・ストリートを駅に向かって歩いてゆく。もう夕方で、街の人出もそろそろ増えて来ている。少しだけ夏の匂いを含んでゆっくりと流れる空気が気持ちいい。

 駅の階段を登る尚美を、女の子の声が呼び止めた。振り向いた尚美の前に、男の子と腕をからませた愛子が立っていた。

「やっぱし平田だ。久しぶりじゃん」

「あんたが授業に出てないだけでしょ」

 愛子の隣に立っている今風に整った顔立ちの、育ちのよさそうな男の子には見覚えがある。『津島くん』だ。こうして二人並んでいる所を見ると、いかにもどこの街角にもいそうな普通のカップルである。気付かなかったのも無理はない。

「そりゃあんたほど、まめじゃないけどさ。なあに、これからデート?」

「なんでよ。そう、見える?」

「見えるわよ。あんた、そういう格好するとまるでモデルよね」

 そういう格好、といっても紺のパンツにえんじのスペンサー・ジャケットを着て、薄く化粧をしているだけだ。確かにいつもの、着古しのジーンズ姿とは違うけれど。

「ね、あんたバンドやってんだって」

「誰が言ってたのさ」

「誰って、ちょっと聞いただけだよ。最近、なんか付き合い悪いって思ってたんだ」

「そうかなあ」津島くんが多少じれた表情になっているのを、尚美は見て取る。「ごめん。あたし待ち合わせに遅れそうなんだ」

「やっぱりデートなんだ」

「いいでしょ。それじゃね」

 駅の二階の改札口前にあるステンドグラスはこの街では待ち合わせの名所で、土曜の夕方という事もあって何人もの男女が人待ち顔で立っている。ひとしきり探した後、その端っこに、尚美は上岡さんの姿を見付けた。

「すいません。遅れちゃった」

 尚美が近付いて来るのに気付くと、上岡さんはほっとした顔を尚美に向けた。

「十五分の遅刻。来ないかと思ったよ。あれ、髪、伸ばしたんだね」

 ゆるいウェイブのかかる自分の髪が嫌いで、高校生の頃の尚美は髪を刈り上げ寸前にまで短くしていた。今、尚美の髪はポニー・テイルになっている。

「上岡さんは、切っちゃったんですね」

 尚美が上岡さんを探し当てるのに時間が掛かったのは、短い髪にポロシャツ、白いジーンズといった姿があまりにも記憶と違っていたからだ。

「これ? そっか。きみとバンドやってた頃は長髪だったんだよな」

 上岡さんと並んで尚美は階段を降りる。

「待ってる間に腹減っちゃったよ。あっちに車が停めてあるからさ、飯食いに行こうよ」

 駅の一階の玄関から出て、上岡さんは尚美と歩調を合わせるように駅前の駐車場に向かう。白いクーペの前で上岡さんは立ち止まり、尚美のために助手席のドアを開けてくれる。「どうぞ」

「おじゃまします」

 尚美の神妙な言葉に少し笑いながら、上岡さんは運転席に乗り込む。エンジンの始動音に続いて、にぎやかに光るカー・ステレオが動きはじめる。

 スピーカーから流れて来る、人工的なビート。さっき初めて上岡さんを見付けた時と同じ違和感がよみがえって来る。上岡さんは何よりも生のバンド・サウンドが好きだったはずなのに。

 車が発進する。ステアリングを回す上岡さんの横顔を、尚美はそっとうかがい見た。髪型は変わったけれどその整った顔立ちは昔のままで、尚美は少し安心する。

「ねえ、少しやせた?」

 気楽な感じのイタリア料理店。食後のコーヒーを間に置いて尚美に話しかける上岡さんの声は、どことなく昔より優しい。

「そうかもしれませんね。なんか人相悪くなっちゃって」

「そんなことないよ」上岡さんは微笑みながらコーヒー・カップを口に運ぶ。「昔の方がかわいらしかったけど、今の方がずっと綺麗だ。ちょっと、びっくりした」

 綺麗だ、と言われるのが尚美は何よりも苦手だ。尚美は少し、うつむき加減になる。高校入学以来の一年間片思いしていた相手の口から出た言葉なのに、どうしてか素直によろこぶ事ができない。

「ねえ、上岡さん」

「うん?」

「今は、バンドやってるんですか」

 尚美の問いに上岡さんはちょっと黙って、それから煙草をポケットから出した。

「軽音部で、きみたちとやってたバンドが最後だな。あれっきり、足を洗っちまった。ここ二年くらい、ギターも弾いてないよ」言葉を切って、煙草に火を点ける。「どうも忙しくてさ。尚美ちゃんは? 敏子たちとやってたバンド、どうなったのさ」

「しばらくは、続いてたんですけど」

 尚美と他のメンバーの喧嘩がもとで解散した、なんてとても口にできない。口ごもる尚美を見ながら、上岡さんはレシートを手にした。

「そろそろ、出ようよ」

 何も云わずに、尚美はうなずく。立ち上がってレジに向かう上岡さんを、あわてて尚美は追った。

「あの、あたし、自分の分払います」

 上岡さんは立ち止まった。不意をつかれてとまどっているみたいな目を、上岡さんは尚美に向ける。

「どうして? 別に構わないよ」

「でもあたし−−」

 奢って貰うのが嫌いだ、と言おうとしたが、上岡さんの表情が先を続けさせなかった。

「いいんだって。で、これからどうしようか」

 上岡さんのクーペは市街を抜け、郊外へ向かってゆく。少しずつ移り変わってゆく風景を助手席の窓越しに眺めながら、尚美はいろんな事を思い出した。

 ロックが好きだ、というだけで軽音楽部を選んだものの楽器ひとつ弾けなかった高校一年生の尚美に、ピックの持ち方から教えてくれたのは当時三年生の上岡さんだった。よく言えば自由、悪く言えば身勝手な人間の多かった軽音楽部の中で、上岡さんだけはいつも親しげにしてくれたし、優しかった。今になって考えると上岡さんはどの女の子に対してもそうだったのだけど、そんな事はあの頃の尚美には関係のないことだったし、今の尚美にも関係のないことだった。

 今の大学を選んだのも、初めは上岡さんと同じ大学に通いたいと思ったのが理由だった。二年の間に、そんな事はすっかり忘れてしまっていたけれど。

 クーペは長い坂道を登ってゆく。はしゃいだ口調で昔話を続ける上岡さんの横顔が、時折街灯に照らし出される。十六歳の尚美なら夢に見ただろう状況に、十八の尚美はいる。

「でもさ、こんな遠くの大学に来るなんてうちの高校じゃ珍しいよね。特に女の子だし」

「行きたい学科が、他の大学になかったんです」

 はじめの動機はどうあれ、これはほんとうだ。

 上岡さんは、坂道の途中で車を停めた。辺りには霧が立ちこめていて、サイド・ウィンドウ越しの夜景が少しぼやけて見える。二百キロ彼方の尚美の故郷も夜景を売りものにしていたけれど、こんな風に見たことは一度もなかった。

 ぽつりぽつりと光るビルの灯やハイウェイに流れるヘッド・ライトが窓の向こうでにじんでいる。思わず黙り込んで見とれている尚美の後ろで、上岡さんがシートベルトを外す音がした。夜景から眼をそらすと、上岡さんは尚美の顔をのぞき込んでいた。

「眼を閉じて」

 尚美は言われたとおりにする。口紅を塗った尚美の唇に柔らかいものが触れ、あっけなく離れていった。

 そっと、眼を開く。暗い車内に小さく赤い火が見える。ヴォーカルを取るから、という理由で、昔の上岡さんは絶対に煙草を吸わなかったのに。

「一本、もらえますか」

 ボタンをかけ違えたようなどこかしっくりしない気分で、尚美は言ってみた。煙草のパッケージを差し出す上岡さんの表情は、まるで見えない。尚美がパッケージを受け取ると、上岡さんは車のギアを入れた。


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