テレキャスター・ダンシング Monkey Strut 両谷承
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教室の窓を、水滴がつたっている。このところ続いている雨のせいか、教室の中もどこか湿っぽい。 尚美は窓際の机を前に座ったまま、窓の下をのぞき見る。二階の教室からは、学内を歩く学生たちがアスファルトの上を滑ってゆく傘の群れ、といったふうに見える。入学して初めての梅雨が来たらしい。
「ねえ。見たい映画があるんだけどさ、行かない?」
前の椅子に座っている愛子が、尚美に話しかける。昼休みの教室には、尚美と愛子しかいない。尚美は食べ終えたサンドウィッチのパックを丸めて学食のポリ袋に突っ込むと、テーブルの上の缶コーラを口に運んだ。
「午後の講義はどうすんのよ」
「次はホーム・ルームだよ。出ても単位になんないじゃん」
「ホーム・ルームはいいとしてもさ、四講めは英語でしょ。荻野さんだよ」
「誰かに代返頼めば平気だって。実はさ、チケットあるんだ」
通学用のかばんから、愛子は映画の前売り券を出した。尚美はいくらかうんざりした気分でコーラの缶を置く。
「津島くんでも誘えばいいじゃない」
「津島? −−そうねえ」愛子はチャーミングな上目づかいで尚美を見る。「でもさ。あたしが誘うわけ?」
「やってみれば? 『映画のチケットが二枚あるんだけど』って」
「それって何か変じゃない」
「まあ、普通は逆かもね」
「だいたいあいつ、今日大学来てんのかな」
ゴールデン・ウィークを過ぎると、学生たちの講義の出席率は目に見えて下がってくる。ことに男の子たちはそうだ。
「悪いけど、あたしはパス」
「つれないやつだな。三講め、どうすんの」
「出る」
「ホーム・ルームに? 酔狂ねえ」
一年生の間だけのホーム・ルームの時間は、クラスの三割も出席しない。最初のうちはクラス・コンパの予定を決めるために出席する学生もいたけれど、五月も下旬になるとクラスもいくつかのグループに分かれてしまってそんな必要もなくなってしまったらしい。
「いいよ。あんたは映画行きなよ」
「ひとりで行ったってつまんないじゃん。つきあうよ」
「津島くんがくるかもしれないし」
「あいつが? まさか」愛子の口調が、少しだけはにかみを含む。「――ねえ、あんた機嫌悪い?」
「なんでよ。そう、見える?」
「見えるって。先週、津島とか加藤くんとかとドライブ行った時なんか、あんなにはしゃいでたくせに。ここんとこ、暗いよ」
「そうかもね」
尚美は落書きだらけの机に頬杖をつく。
「――あたしさ。ちょっと、退屈してるんだ」
「退屈?」
愛子は不思議そうな顔をした。尚美は小さく溜息をつく。愛子にうまく説明できるとは思えない。
「なんだかさ、ここんとこずっと、地面の上に這いつくばってるみたいな気分なのよ。なんか事件が起きて、あたしをここから引っ張り出してくれないかな、ってそればっかり待ってる感じ」
「ふうん」愛子はどうにも理解できない、と云ったおももちになる。「じゃさ、男でもつくってみるとか」
答えるかわりに尚美はやわらかく笑ってみせた。愛子らしい言い方だ。
「大体、平田って男の子に冷たいんだよね」
「そう?」
否定するのも面倒な気がして、尚美はあいまいに答える。愛子に比べれば、確かに無愛想かもしれない。
「そうだよ。あんた美人だし、背も高いしさ、その気になりさえすればいい男つかまえられると思うけどな」
尚美には、小柄な愛子の方が自分よりずっと可愛らしく思える。自分の細長い手足や生意気に見られがちな鼻は、いつも嫌いだった。
チャイムが鳴る。小学校以来十二年間クラス委員を続けて来ました、といった感じの男の子が教壇に立って話しはじめる。教室の中の話し声はいっこうに収まらず、男の子の言葉は尚美の耳まで届かない。
「ね、うちのクラスにあんなやついたっけ」
愛子が尚美の肩をつついて言った。愛子の視線を追うと、教室の後ろのドアをくぐって入って来た男の子が目に入った。
男の子は黒いタキシードを着ていた。この雨の中傘も持たずに歩いて着たのか履いているラバー・ソールまでぐっしょり濡れていて、垂れ下がった前髪からしずくが落ちている。それだけでもかなり異様なのに−−タキシードにラバー・ソールなんて格好は、尚美ははじめて見た−−その男の子の背中にはのぼりがくくり付けられていた。どこかでかっぱらって来たとおぼしきのぼりには黄色と緑のペンキが乱暴に塗りたくられ、その上には赤く文字が書きつけられている。
『ギター弾き募集中』
愛子はうさんくさそうにぐしょ濡れの男の子を見ながら、小声で言う。「どっかのバンドの奴かな。なんだか危なそうじゃない」
「そう−−ね」
尚美は生返事をしながら、のぼりに小さく書かれた『お問い合わせはサークル棟C=二八まで』という文字を頭に刻み込んだ。
ひょっとすると、これは事件かもしれない。それも、尚美をとんでもない所に引っ張り出してくれるような。−−そんな奇妙な予感を尚美はぼんやりと感じている。
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