投函された一通の手紙

連載第5回 (秩父市 三木久幸)


 たこいさんへ。

 こんにちは。

 糸納豆ありがとうございました。いつもながらの濃い内容、とても楽しめました。

 川端さんの文章も読んでてとても面白かったです。是非後半をやって欲しい。しかし、未完という話なので、「このまま未完」というウラワザが通用してしまうのもまたSF研なんだが、と心配してしまいます。それはそれで、いいかもしれないけど。

 しかしなんといっても、両谷氏の文章が復活しているのが嬉しい。しかもこの暴走した文章。疾走感。いいっすねえ。私は好きです。これも、フリッパーズの時はクールに、パール兄弟の時はイカレ気味に、と文体を微妙に変えてるような気さえする氏の文体ですから、ネタがBCJだから暴走だっ、ということなんでしょう。

 氏が文中で指摘する客観的な批評性というのは、「ガーッと極限まで行っちゃう自分」を表にたてながら、「ははは、すげえなあ、俺」という目をも内包するということなんでしょう。そんな感じで言うなら、氏の文章はとても「ユーモアのセンス」を内包していて「かっこいい」と思います。「かっこいい」ものは「ユーモラス」。そうそう。その通りなんだよ。その通りだからこそ、文の最後でワビを入れちゃうのはかっこ悪い。「ユーモア」がここでポロッと欠けちゃうような感じがしますね。

 そういう意味では、中島みゆきの『生きていてもいいですか』の最後の二曲、「エレーン」と「異国」なんて笑えたな。あと、『時計仕掛けのオレンジ』とか、小沢健二の『ライフ』。(そういうユーモアが欠けてる点で『風の谷のナウシカ』嫌いだったんだな、きっと)ポップな方面では、「きっとだれも気づいてくれないけど、こんな細かいアレンジまで凝っちゃうんだよなあ、俺って」なんてつぶやきが聞こえてきそうな山下達郎や奥田民生なんてのも入れて良いと思うんだけど。(そうか、だから『紅の豚』はOKなんだな。待てよ、そういう意味じゃ『ナウシカ』もOKなのか)  こんな風に例証してると、浅はかさが知れてしまいそうなのでこの辺で止めときます。こんなことを書いてる奴が一番「かっこわるい」、と、笑点のようなオチがついたところで、いいっしょ。

 そういえば、いつか新生アフターダークに載っていたサイバーパンクについての佐藤のりお君の文章も、笑えましたね。いきなり太字で「カードを殺せ!」とかいうアレ。すげえなあ、ここまでやればすがすがしいよなあ、って感じで。

 ビーイング系のバンドの変な名前といえば、むかし、ザードというのとジーグというのがあるという話を聞いて、その二つが合体してニュー・バンドを作ったら、名前はきっと「ジイド」だな、と友だちと話していたことがありました。バンドのメンバーはきっと、全員屈強な男で、髪はモヒカンで革ジャンの前をはだけていて、こめかみには「ZーXXX」とナンバリングされているんだろうなあ、でも演奏する歌は「揺れる思い」とか「負けないで」だという。

 それから、桑原さんの文章を読んでて思い出したんだけど、1992年の秋に僕がアメリカを音スレ多彩には、『キャプテン・プラネット』という子供向けアニメをやってて、これがエコロジーとヒーロー物の結合、といった感じ。そういうと、『ターちゃん』みたいな印象ですが、でもキャプテン・プラネット自身は、仮面を付けてマントをした、普通のヒーローなんです。僕の観た回では、アフリカで象の密猟をしている悪者をキャプテン・プラネットが退治する、という話でした。しかもその密猟団のボスが、黒縁眼鏡をかけて背広を着た大橋巨泉みたいな日本人。最後に「おぼえてろよ」みたいなことを叫んで去っていくのでした。キャプテン・プラネット、アフリカであの格好じゃ暑いだろう。

 しかし、観ていて、こうやって「世界の警察官」たるアメリカ人ってできあがるんだなあ、と思ってしまった。ってことは、日本に来たアメリカ人は『セーラームーン』をみて、こうやって日本人はできあがるんだなあ、なんて思ってるんでしょうか? ちょっと怖いね。昔、研究室に招待したアメリカ人の先生は、ホテルのテレビでAVチャンネルを観てしまい、日本では子供の起きてる時間からあんな物をやってるのか、と怒ってたもんなあ。

 アメリカ人といえば、アメリカに行った際、「俺は日本の音楽に興味があるんだ」なんていってた学生の一人に、持参したテープを何本か貸してあげたことがあります。内容は、佐野元春、フリッパーズ・ギター、そして、たま。翌日感想を尋ねたところ、昨日は2本しか聴かなかった、といっていました。初めにSANOと書いてあるテープを聴いた、アレはなかなか良かった、次にTAMAと書いてあるのを聴いたんだが、と彼は視線を落とし、それきり言葉を探している様子。

 どうだった? とうながすと、小さく一言、「Strange」とだけつぶやきました。ははは、あの外人はもう二度と日本の音楽は聴かないな。残ったフリッパーズも聴かないぞ、きっと。

 しかし、今回の糸納豆、またしても「投函された一通の手紙」があるとは思いませんでした。とほほ。相変わらず、ガーンと1ページも。しかも連載第4回。なぜ載るんだろう。いや、載ってて嬉しい自分もここにいるのだがね。返事が早いからかな。早いのが取り柄。岡本信人君か、俺は。しかし両谷氏の前座としては結構良いでしょ、なんて言い訳したりして。文章稚拙だなあ、俺。しかも、編集後記でのコメント。いやいや、たこいさんとはお互い二十歳前からの知り合い。たこいさんのつかう「至極まっとう」という言葉がほめ言葉ではないことぐらい、承知でございます。だから単なる手紙なんだってば。

 そうそう。じゃあ、手紙らしく近況報告でもしますか。

 一旦会社をドロップアウトして入院(大学院に)していた僕でしたが、めでたく会社に潜り込むことができました。博士号を取るために社会から隔絶されているうちにバブル時代は終わり、就職活動の立場もすっかり逆転して、とてもわがままなんていえなくなっていたわけですが、(会社の人が菓子折持って毎週の様に研究室に来てた時代なんて!)それでも幸運にも希望の研究所に入れてもらうことができました。さすがに博士号が効いたか? 今は、埼玉県の秩父市という、とても田舎の町に住んでいます。埼玉県は広い。浦和や大宮が埼玉のすべてではないんですね。ここ、秩父には映画館もありません。バスもほとんど走ってません。セブン・イレブンは7時に開いて11時に閉まるんだぞ。おいおい、都会のセブン・イレブン、こんな基本はもう忘れてるだろう。俺も忘れてた。忘れていたかったよ。いきおい、週末は池袋へ2時間かけて出かける日々が続くのでした。しかし、東京の本屋、CD屋はでっかくて逆に不便ですね。なかなか目的のものが見つからない上、買いたくもないものまで買ってしまって、おかげでお金がなくなってしまう。

 しかし、社会人になってみて、今でも個人誌を発行してるたこいさんのすごさが実感できます。大変でしょうが、頑張って下さい。マックのDTP個人誌もたこいさんのレイアウトセンスのおかげで単調な感じはしないし、なかなかいい感じじゃないですか。でもやっぱり、「お楽しみはこれからだッ!!」がないのは寂しいぞ。OB、OG情報も僕の知っている範囲の年代の話が少なくて、個人的にはちょっと寂しいです。でも、上の世代の人たちって、顔は知らないのに糸納豆でよく知ってるから、結構楽しめはするんですが。

 そういえば最近、筒井康隆の断筆や、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」のせいか、差別表現の話題をよく目にしますね。そのたびに僕は昔の部室を思い出します。あれは、もちろん差別などではなく、差別表現ごっこだったわけですよね。では、「心からの差別」/「主義主張としての差別」と「ゲームとしての差別表現ごっこ」では、どちらが悪いでしょう? 僕はなんとなく後者のような気がしてならないのですが、それをうまく表現する言葉が思いつきません。いや、「キモチワルイ」なのかな。ちゃんと言葉にしようとすると、責任とかそういう言葉になってしまって、誤解されてしまいそう。でも歯切れの悪いままでも、少しずつでも、ぴったりの言葉を探していかねば、とは思うのですよ。この話題は、次の手紙以降にも続くかもしれない。(続かないかもしれない)

 しかし、これ、載るのかな。載るとしたら、マックのワープロで書いた文章を一旦プリントアウトし、郵送して、それをまたマックのDTPソフトに打ち込むわけで、手書き職人としての最後のクラフツマン・シップを見る思いです。載らない気もするけど。

 ではまた。今度は実際に会いたいですね。

1994.11.22. Miki

P.S.プリンタは持ってないので会社のMacで打ち出してます。本当はプリンタも買いたいのですが、秋葉原に行くと俺が40万で買ったSE/30が10万そこそこで投げ売りされたりして、暴れたくなるので、行かないのです。


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