投函された一通の手紙
連載第11回 (秩父市 三木久幸)


 たこいさんへ。

 こんにちは。

 糸納豆が届きました。有り難うございました。またまた、感想の手紙が遅くなりました。

 「ぼくはこんなにも〜」が相変わらずの力作で、つらつらと読み始めると止まらなくなります。「エヴァンゲリオンは不快中枢を刺激する」というあたりの文章の雰囲気に、惹かれつつ、距離をとろうとしつつ、という心情が滲んでる気がしました。そういえば、ビデオであの映画を見終わった後、ふと、映画の副題が「まごころを、君に」だったんだと改めで気づいたとき、何とも言えぬ不快感がこみ上げてきたのを思い出しました。

 最近は、マンガを全く読まなくなってしまいました。私のマンガの源は寮の食堂に放置してあるマンガだったんですが(笑)。お陰で、「お楽しみは〜」についていけなくなってしまって悲しいです。「お楽しみは〜」を読むと、ネタになってるマンガを読みたくなりますね。そして、「C.A.R.E.」が、久々の音楽ネタだったのが嬉しかったです。

 それと、私の「手紙」で背景にオザケンの写真を使ってくれたのが、もう、非常に、嬉しかったです。どうもどうも。オザケンに対する「愛」(笑)を感じました。森博嗣に関しては、ちょっとコメントしておかねばなりません。あれからシリーズを最後まで読んだのですが、うーん、後半に行くと反則が多くて、これはどうかな、という感想が増えてしまいました。特に、7冊目以降はちょっと...。新シリーズに至っては...うーむ。とりあえず、あの手紙を書いたときの勢いは無くなってしまったのは確かです。(新刊が出たら、たぶん、迷わずに買いますけれど。その位の勢いは残ってます(笑)) 教訓、「小説を全部読む前に下手なコメントはするな」。当たり前か(笑)。


 オザケンといえば、約1年半ぶりの曲が届けられましたね。トリビュート版の日本版ボーナストラックとして。これが今後のオザケンの活動の呼び水になるのか、それとも「遠い地の友人から届いた年賀状」くらいの近況報告なのか。このマイナーなリリース形態からして、後者のような気がしますが。非常に考え抜いた上でのマイナーさ、を感じてしまいます。自主制作よりも、ずっとマイナーですよね。

 でも、買ってしまいました、このCD。マーヴィン・ゲイなんて全然知らないのに(笑)。しかも、聞いてみたら趣味じゃないし(笑)。でもオザケンのトラックには大満足。また新しい日本語にチャレンジしてるし、歌もちょっと太くなった気がします。悪くないです。いつまでも待ちますよ、ってところです(笑)。


 と、言うわけで、今回は、久々に音楽ネタで行こうと思います。でも、あくまでも個人的に。大上段にふりかぶると失敗するのだ(笑)。

 私は毎年、「その年に出た曲集」という編集テープを作っています。始めは「アルバムの中で1曲だけ良い」というのがあまりにも多くて、それだけを纏めたテープを作ってたんですが、それが段々面白くなったと言うわけです。

 98年のテープは、こんな感じです。

A面 G.D.W./ミッシェルガンエレファント
   赤いタンパリン/ブランキージェットシティー
   はじまりは今/エレファントカシマシ
   冷たい頬/スピッツ
   Windy Hill/パステルズ(コーネリアスMIX)
   終わりなき旅/ミスターチルドレン
B面 Sunday/トーキョーNo1ソウルセット
   再会/中村一義
   DRIVE/スーパーカー
   Morning Sun/黒沢健一
   春にして君を想う/小沢健二
   さすらい/奥田民生

 98年の、一つの断面は見えつつ、通して聞いてもスムーズ、と自負してるんですが、どうでしょうか?(笑) (そんな酔狂な人は居ないと思いますが、もし興味がある人が居たら作ってみて下さい、54分テープですので(笑)。)この手のテープを作るコツは、「好きな曲ばかり並べない」ということでしょうか。たまに「何だこれ」というようなのが入っていた方が、聞き直す時、面白いのです。

 このテープで言えば、ミッシェルガンエレファントと中村一義とソウルセットは、ちょっと首を傾げつつ収録と言う感じです。特に中村一義は「金字塔」の言葉のインパクトが凄すぎて、2作目の「太陽」ではちょっと普通になってしまったと感じました。でも、この「再会」で歌われた「「終わりだ」と言って、健康に生きてる。殺風景よ、さよなら。また今度ね」という言葉にはしびれました。「また今度ね」がクールで好きです。それと「僕の体で、僕を越えてゆく」という、アルバム一枚分のメッセージを、一行で決めてしまった必殺の一行。ここは素晴らしい。

 オザケンの「春にして君を想う」も、スローテンポでリラックス系で、初め聞いたときはイマイチと感じたのです。ですが、1番で「君と行くよ、年をとって」と君への長い愛情を歌ってるくせに、2番は「君は少し化粧をして僕のために泣くのだろうなあ」と始まるこの歌詞、変ですよね。「あれ? 一生一緒にいるような事言ってなかった? なんで同時に君を泣かすことも考えてるわけ?」と思って、次の瞬間、気づきました。お葬式なんですね。しかも自分の。「化粧をして、誰かのために泣く」って葬式くらいですよね。つまりオザケンは、「僕が死んだら、君は泣くんだろうなあ。良いなあ。たまんないなあ」と歌ってるんですね。これに気づいた瞬間、自分の中でこの曲がランクアップしました。こんな幼稚で感傷的な想像を臆面もなくしつつ、歌詞には謎かけみたいにして練り混む。オザケンは、冷静なまま、ぶっとんでる。

 今思うと、「犬キャラ」から「球体〜」までのオザケンの主題は、アルバムとアルバムとの間の「動き」だったのだと思います。アルバムは、あくまでオザケンの現在位置を知らせてくる指標に過ぎない。つまり、「ジャズをやるオザケン」は、凄くて思わず拍手を送ってしまう。でも「オザケンのやるジャズ」は別に凄くない、愛聴版にはなりえない。そういうことです。私の友人は「オザケン良いけど、何年か先でも聞けるようなもんじゃないね」と言ってましたが、良く判ります。今の時点で、一番聞けるアルバムって「犬キャラ」じゃないでしょうか。それは、このアルバムには、その「動き」そのものが精密に記録されているからだと思うのです。

 話をテープに戻しましょう。いま思うと、ドラゴンアッシュを入れておくべきだったか、と思います。ソウルセットを抜いて、ドラゴンアッシュの「Under Age’s Song」を入れといた方が良かったかな。でもこの曲、初めて聞いたときにはピンと来なかったんですよね。今聞くと、凄く良いんですが。

 宇多田ヒカル、ドラゴンアッシュ、椎名林檎。私は、これらの若い人たちに尾崎豊の影を感じます。でも、それは引用とかリスペクトとかいうものではなく、普段の生活で耳に入った尾崎豊を呼吸した、という感じです。呼吸して、咀嚼して、断片化して、忘れた頃にふと口をついて出てしまう。たぶん、アウトプットの問題なのです。尾崎豊をリアルタイムで知っている人は、曲を作ったとき、ふと「なんかこれ尾崎みたいじゃない」と思ったら、それを捨ててしまう様な感覚を持ってるのではないでしょうか? 小山田圭吾が、「犬キャラ」発売前の小沢健二のフリーコンサートを見て「尾崎豊みたい」とバカにしたのを思い出します。(コーネリアスの曲を聞いた小沢の反撃コメント「フリッパーズの歌詞とピチカートファイブの音が好きなんだね」ってのも凄かったけど)

 でも、これらの若い人たちにはその感覚がない。これは、もちろん良いことなのです。なぜなら、尾崎豊は特別新しいことはやってないから。あの人の本質は、やはりそのパフォーマンスと存在の仕方にあって、曲としてはただ「青春期に誰もが陥る心境」を歌ったというだけだからです。そのテーマを封印したままにしてしまうのは、日本語を狭くするでしょう、たぶん。その封印が、いま解かれようとしてるような気がします。


 それにしても、最近の若いバンドは良いのが多いですね、本当に。変にコンセプトコンセプトしてないのに、充分新しい。あ、ビジュアル系は除いてね(笑)。

 スーパーカーとトライセラトップスの、韻文と散文、口語と文語が奇妙に混じりあった歌詞も新しいし、ドラゴンアッシュのパンクとラップのハイブリッドも楽しいです。スチャダラパーやソウルセットが陥ってしまった「本物志向」という奈落の危険性をパンクの勢いでかわしてます。グレイプバインのタメたリズムから沸き上がる色気もポップで好きです。中村一義の必殺の一行にも驚かされます。黒沢健一のメロディメーカーぶりも頼もしいです。「メロディメイキングマシーン」と呼びたくなるほどの完成度の高さ。そして、いい年こいても相変わらず自分の迷路をさまよい歩くミスチルも、いっそ清々しい。奥田民生、エレファントカシマシについては、何をいわんや、ですね。


 そんな音楽に囲まれつつ、それでも私はオザケンの復活をこころ待ちにしているのです(笑)。今度は、どんな風にやるのか。もちろん「方法論」のないただの歌手というのも、あり、でしょう。


 また、まとまりのない独り言となりました。つきあって頂いて、有り難うございました(笑)。音楽ネタは、書き始めると楽なんですけど、突っ走ってしまうので難しいです。インターネットにも出てるってのに、思いこみだけで書くのもどうかと思うんですよね(笑)。

 それでは、また。

 暑いですけど、お体など、気をつけて。

1999.8.5. 三木


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