The Counterattack of Alpha-Ralpha Express

Extra #1 「吾如何にしてMac-erとなりしか」

両谷承


 なんというか、編集の蛸井氏からこんなお題目を貰ってしまったのだけれど。ちなみにマッカーって云うのは青木光恵用語。ものすごく頭の悪そうな響きがあるので愛用している。要するにMacintosh Userって意味なんだけど。わたしの友人たちは林檎基地外と表記することが多いが。要は脊椎の髄から文系人間であるとして名高い両谷が何故にMac購入などという行動に走ったかと云う経緯を書くようにと云うことであるらしいのですが。少なくともこれからコンピュータを買おうと云う人にとってなんの参考にもならない文章となるのは必至。とりあえずCDプレイヤーにドナルド・フェイゲンでもぶち込んで、始めるとしましょうか。


 多分、コンピュータを買おうと思いはじめたのは九十五年の末ぐらい。直接の原因は恐らく、Itonatto Home-pageにあったんだと思う。何しろあそこには青猫亭もC.A. R.E.ものっかっている。(どう考えても自意識過剰ではあるけど)自分の書いたものが世界中何処でも読めるようになっている。なのに書いた本人にはアクセスできない。こんな馬鹿なことがあってなるものか。ぼくだって電脳空間(どうでもいいけど一般名詞になってしまうとどうしてこんなにださいんだろう)に飛び込んでやるう、と云うような気分だったのを記憶している。


 もうひとつ忘れてはいけないのは、当時ぼくがべた惚れだった女の子に振られかけていたこと(こんな話、読まされる方も迷惑だろうと思いますけど)。今になって考えると、ともかくも生活を変革する必要があったわけですね。ぼくに対して誤ったパブリック・イメージを持つ人々にとってはそんなことは日常ちゃめしごとではないかとか云うかもしれないけど、もちろんそんなことはない。ちなみに彼女は証券会社で外国人投資家向けのマーケット・レポートをつくるのを仕事にしていて、仕事で使っているのはColor Classic IIだったりした。「Macって赤ちゃんみたいだよ」と云う、今考えても素敵な科白を口にしたりもしたことであるよなあ(泣)。


 折しも世間はWindows95ブームの真っ最中。当時ぼくがいた支社の支社長なんかなんだか知らないけど大はしゃぎ。「いよいよ発売だなあ」などと共感を求められて困ったりした。上司の課長なんか「おまえも若いんだからWindows95ぐらい」とか意味不明のことを云ってくれたりした。面白いんで「なんに使うもんだか知ってますか」って訊いたら力強く「しらん」と云うお返事が帰ってきたけど。

 まあとりあえず今ぼくが禄をはんでいる会社は古河系列で、グループ内に富☆通がある。日常的に使っているのはWindows3.1で動いてるBibroだ。とりあえず世間はBil l G.とMicr♂shitとか云う会社を中心に動いてる、とかみんな云ってる。慣れてるのもあるし、会社と互換性もないのもなあ、やっぱりAT機かな、などと漠然と考えたりしてた訳です。とりあえずリサーチかな、と。


 さて振り返って我が住居。社宅というか寮というか、そんなようなところにぼくは住んでいるのだけれど、これが狭い。むちゃくちゃ狭い。バス・トイレ・キッチンつきの四畳半という、バブルの産物としか形容しようのない部屋。そこに最初からベッドと机が放り込んである。学生時代に庭付きの3LDKに独りで住んでいたわたしとしては、入居当初は気が狂うかと思ったほど。ワープロを使うにもベッドに寝そべるしかない(机の上はアンプとCDプレイヤーのためのスペースです)。こんな状況で、一体何処にコンピュータを置こうと云うのか。これはノートブックしかないよなあ。仕事で使ってるのはBibroだし、雑誌を見てるとMebius Noteというのも良さそうなことが書いてある。

 そういう訳で秋葉原に実地リサーチに行った。同行をお願いしたのはNTTでWeb pag eをつくるという羨ましい仕事をしている奴と、PowerPCを搭載したワークステーションを某社の子会社で扱ってたばりばりのマッカー。待ち合わせに成功したとたんに昼飯がてら万世でワインを一本半呑んでしまうと云うのも我々らしいと云うかなんというか。

 一応はプロのふたりとうろうろ見て廻る。ノート型のAT機、と云うとふたりしてDi gital Hi-Noteを薦めまくる。確かにかっこいい。でも値札があんまりである(この当時、わたしは自分の生活にこれほどまでにコンピュータが密着することになるとは思ってもみなかった)。あれこれいじってると片方が「おまえ、Macの方がいいんじゃねえか。多分Dos-Vじゃ訳わかんなくなるぞ」。ここで初めてMacintoshと云う選択肢を意識したわけですが。


 ノートは高い。その事ははっきり分かった。デスクトップの方がいい。でもこの部屋じゃ――そうか、発想を換えればいいんだ。

 部屋を片づける、と云う考え方がある。何しろいくら散らかしても散らかしきれない境遇で大学5年間を送ってしまったもんで、ぼくの部屋には床がない。ものが入らないから物欲が減退する。その反動で性欲が暴走する。この悪循環を解消するというのはどうだろう。

 まず、社会人になって以来週に3〜4冊のペースで増えてきた文庫本を始末する。もう一回は読むかもしれないけど二回は無いな、と云うシビアな基準で選別すると――おお、段ボール箱に3箱ほど処理できるではないの。これで床が少し出来た。後は棚に使っているカラーボックス2つを始末すれば、コンピュータ用の机が置けるぞ。――それにしてもこの部屋は汚い。カラーボックスも埃を被ってる。でもそんなこと云うとキッチンやバスルームの方が汚いぞ。そういえば結婚して出てった奴が置いていったやかんもあったな。綺麗に磨くとお茶も入れられるぞ。あそこのドラッグストアで鳩麦茶が安かったな。バスルームはどうだ。洗ってしまえば綺麗になるもんだ。そういえばこの部屋で風呂に浸かったことって無いな。バスクリンを買ってきて、と。やっぱり気持ちいいもんだな。カラーボックスもなくなっちゃうんだから、CDの収納方法も考えなきゃ。おや、このCDラックは280枚も入るぞ。これならうちにある奴を全部ぶち込んでもおつりが来る。この辺に積み上げてある手紙だのテープだのはどうしよう。なんだか家具屋さんって楽しいな。

 ――かくしてわたしの生活はコンピュータを購入する以前に変革されていったのですが。


 Macかあ。無くなっちゃいそうだしなあ。Acerのマシンかっこいいしなあ。誰かに相談してみよう。蛸井さんなんかどう云うかな。――Userに相談すればそう云うよなあ。そういえばあいつらが今度呑もうっていってたな。どう云うかなあ(といって相談したのは青猫亭のNewtonヴァージョンを作ったコアなマッカーIとLC630ユーザーの元N大SF研会長のT氏だった)。こいつらもおんなじこと云うな。なんだか包囲網食らってるような気がしてきたぞ。まあ買うんならPerformaなんだろうけど、Webで遊ぶにはいっちょんちょんじゃなあ。あれ、これって新機種なのかな。6310? にっぱっぱのモデムが付いてるって。うーん。うちの妹はどう云うかなあ(奴はエプソンを使っているにも関わらず言下に「Mac」と言い放った)。


 しょうがないな。あの子も仕事じゃMacだし(この頃はまだだいぶん未練がましい)。


 かくして運命の95年3月17日。昼間っから軽いワインの酔いに身を任せたわたしは(終いにゃ肝臓が腐るな)購入にいたり、今日までの4か月あまりの苦闘への道を歩んでいるのでした。


 結局Macでかきあげられることになったぼくの生涯二番目に長い小説の話とか、セットアップの際にハードディスクをかついでやってきた友人の話とか(おかげでぼくのMacにはMathematicaとかAdobe Auditionとか、使い方の分からないソフトでいっぱいです)、愛しの彼女との行く末とかいろいろあるのだけれど、長くなったのでやめにします。今度は音楽の話を。それではまた。


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