The Counterattack of Alpha-Ralpha Express

Rapid #1 「しんぺんざっき2」(あるいは一種の転地療法)

両谷承


 東京を離れて、少し群馬に住んでから、何故だか仙台に戻ってきた。冷静に考えてみても理由らしい理由がある訳ではないけれど、旧い仲間と馴染んだ気候は役立たずの憂鬱と闘うには比較的有効ではあった様子。と云う訳で今回のCAREは手短な1年程の雑記。


 この1年のうちのCDプレイヤー。昔よりお金がないのと、仙台には(まあ、東京に較べると)あまりCDを売っている店がないのと、最近パラノイアックなパワーが分散気味なのとで古いも新しいもごちゃ混ぜ。

 MISIA。コーザ・ノストラ。原田知世。マイケル・ナイマン。シェリル・クロウ。ホリー・コール。阿倍薫。UA。ソフィー・セルマーニ。バーバラ・ボニー。CHARA。ビョーク。カウボーイ・ジャンキーズ。アニタ・オデイ。ボニー・ピンク。ベネディッティ・ミケランジェリ。BJC。椎名林檎。


 椎名林檎。

 表現衝動。弱さと、それ故に能動的に獲得できるものとしての強さ。誠実さのためには避けて通ることが出来ない幾つもの嘘。声と、言葉。周りを取り囲むいろんな状況の断片と、そのひとつひとつに切実に関わっていく以外の方法を選ばない遣り口。

 「うたうこと」が、表現。そのために、言葉を選ぶ。けして「言葉を伝えること」が、表現の主軸では、ない。同じように(メガヒット・プロデューサーたちに選ばれた歌のうまい女の子たちのように)「自分の声を鳴らすこと」も、それほど重要なことではない。「うたうこと」のために選んだ言葉と、旋律と、ビートと、楽器としての自分の身体。外から持ち込んで利用できるものは幾つもある。ただし目的がシンプルなら、それらが横道へ導いていくことはない。

 ベンジーの愚直さも、ボニー・ピンクやMISIAの「楽器性」も、彼女は所与のものとしては持ち合わせていない。それでも彼女は彼女のもの。自分の姿勢と、佇まいと、やり方は彼女自身で選べるもの。衒おうが、気取ろうが、演じようが、すべては彼女とその表現にしか帰着しない。その地点に、立つ。選んだのも、彼女。自己愛と、欠落の認識と。

 嘲笑うような巻舌と、胸を締め付けるように切ないブレス。その振幅にギャップはないし、勿論「等身大」なんて云う愚にもつかない言い訳への逃げ道は準備していない。

 いいぞ、林檎姫。もっと行け。


 ホンダを降りて、ヤマハに乗り換えた。ちょっとした人生観の転換ポイント。

 400c.c.のアメリカン(200kg、チューンして32馬力)と、850c.c.のヨーロピアン(190kg、カタログどおりなら83馬力)。低速のトルクなんてからっきしないけれど、コーナーを抜けて順当に加速していけば気負わなくても4速にシフトアップする前に速度計は3桁を越えている。共通点はツインである、と云うことだけで、それにしたってエキスパートとは到底云えないぼくからするとミシュランの(5000kmももたない)ハイスポーツタイヤと相俟ってリスクにしか感じられない。

 Okay. 綺麗な銀色の華奢なトラス・フレームとヤマハならではのストイックなカヴァ・デザイン。そいつに跨がって、どう機能するか。少しもうまく行かないから、素敵なテーマだ。


 7年ばかり空けていたあいだに、この街の夜も随分と変わってしまった。昔は夜の早い街で、ひるを過ぎても(ぼくたちは午前零時過ぎをこう表現する習慣がある)遊んで廻っているのはぼくたちぐらいのものだったのだけれど、今はそういうことはない。真夜中になっても、何をして暮らしているのだかよく分からない嬢ちゃんや坊やたちがうろうろしていて、昔の仙台とは比較が難しいくらいNastyな雰囲気が溢れている。

 幾つもの昔馴染みの店が潰れてしまったけれど、Hell's Angelsの身内の髭面親父がやっている安呑み屋は今でもある。この辺りならぼくみたいな不良中年だって受け入れてもらえる。

 彼らのチルドレン、みたいなやつらが幾つかバーを構えていて、おかげで退屈することはそうそうない。結構滑稽なことに、ぼくは歳をとっていると云うだけで彼らに対して最低限のRespectの対象にはなるらしい。若い連中に混じるリスクも恐れないことにして、ぼくはそういうBiker's Barの間を泳ぎ回ることにしている(まあぼくは普通にサラリーマンをやっている只の30男なので、何が起きる訳でもない)。

 その中でも多分一番やばいバー(店員のTattooの量からすれば)。薄暗い店内。壁に描かれた品のないペインティング。ぬるいハイネケンと、山ほどのポテトと一緒に出てくるハンバーガー。カウンターの中にいる、恐ろしくスレンダーで小さな可愛らしい顔をした無防備な女の子。彼女のぴったりしたTシャツと、細っこい足を包んだジーンズの上に覗くキュートな臍。

 靖子、と書いてせいこ、と読むそうな。なんとなくBJCの「左利きのBaby」を連想して、まあこう云うのは素敵なBitchとか云ってもいいんだろうな、なんてことを考えて苦笑する。


 こんなふうに浮かれて暮らしてます。それではまた。


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